私「春へ」

 わたしが、なりたくて、なれなかったもの。ピンク色の主人公、お花屋さん、パティシエ、少女漫画のヒロイン、チア部、アイドル、あの子、魔法少女、チア部のあの子、トイレの鏡の前のあの子、教室の窓辺でねむそうなあの子、花束を手渡されるあの子、いつか愛され幸せになれるあの子、うん、愛されて居たかった。わたしも。ノートからふと顔をあげる。息をする。「あなたも?」
「あなたも、そういうの、あるでしょう。べつに自分にとって可能性ですらなくて、生まれた瞬間から諦めることが宿命づけられていたとしか思えない、キラキラしたもの。選べなかったほう数えることでしか、いつも、わたしのかたちがわからなくって、夜ごとにこうやって、書き出して。ほんとうは、何色がよかった? 何色がいちばん、似合いたかった? ぜんぶもう、今さらだって、今まで裏切り続けてきた身体が重たくて変われなくて同じ場所にとどまって、いつも泣いてる」四月のぬるい風が頬にさわる。振り返ると、窓がわずかな隙間から、乱暴に手を差し込まれたみたいに、かたこと揺れている。薄桃色をした桜の花がぽつぽつひらくのが、白昼の夢みたいなざらざらした画質で、うまくわたしのものにできない。花も風も、季節に無理やり運ばれてくる希望は、わたしにもあなたにも、いつもちょっと、苦しい。斜めのくせが強く出たわたしの筆跡を追いながら、わたしはまたしゃべる。唇がかさついて、息継ぎがおくれた。こんな失敗までマイクを通して伝わってしまうなら、はやく死んでしまいたい。生きて、生まれてしまった汚い気持ちぜんぶ、バレてしまうなら、今すぐ。だれもわたしのことばを聞かないで! でも、つたわって。「新入生のみなさん、ご入学、おめでとうございます」ハウリングののち、低いわたしの声がひびく。もうどれが、用意されたことで、求められているせりふで、でも言いたいことはなんなのか、わたしにはもうわからない。開いたノートが風で暴れて、原稿を探すのも億劫になる。ただもう喋り続けるしかない、と思うのはわたしの勝手で、だってどうせだれも聞いてないし、いつだって立ち止まって振り返ったらやり直しが効いたはずなのに、後戻りの効くすべてのポイントでわざと、俯いていた。気にしてほしかった。暴いてほしかった。だから、意味のないことまで口をついて出た。わたしもあなたも、そういう愛されかたしかおぼえられなかった!
「この春から、東中央高校の一員として歩みはじめるみなさんを、在校生一同、心から歓迎します。新入生のみなさんが、これから明るく楽しい高校生活を送っていけるよう、わたしたちも一生懸命サポートしていきます」
 あなたのなかで、今、わたしはどんなすがたをしている? 髪もからだも制服の着こなしも、なんだってどう想像してくれたって、かまわない。ただわたしは、東中央高校でたったひとりの放送部で、妄想が人よりすこし激しくて、春が好きじゃない、現実のことをうまくやるのが苦手で、退屈な、ただしすべての女の子。みんなわたしに似ていて、わたしはみんなと似ている。手元には、わたしたちの未来、と太いフォントで題されたプリントがいくつも重なっていて、枠で囲まれたやたら大きな余白に、文字が、それぞれの文字が、ひとつとして同じものはなく、新入生たちの将来の夢を示している。これを新入生歓迎会のあとのロングホームルームで読み上げるのが、わたしの仕事。ことばだけになる、わたしの仕事。みんなははしゃぎ疲れ、退屈していて、ひどくねむたい。ペーパーフラワーが机の下に、くたびれて落っこちている。ねえ、将来の夢なんて、書いた端から叶わなくなってくんだから、今まで書いてきてほんとうにできたことなんてひとつも、ほんとひとつも思い当たらないんだから、ずっとなりたいものは秘密にしておかなきゃいけなかったんだよ。そう思わない。指先で紙をめくって、適当な一枚を抜き出す。彼女の未来を、想像してみる。


 一年五組四番、井上ミサキ。中学の卒業式に、それまで毎日ポニーテールに結っていた髪をボブまで切ったのは、髪の短い自分を一度見ておきたいと思ったからで、好奇心に抗えない性格なのだ、意気込んで訪れた美容室で、顔を上げたとき、正直自分でもあまり似合っているとは思えなかったけど、伸びきらないまま入学式を迎えてしまった。中途半端な毛先が春の風にさらされ揺れるたび、高校のクラスメイトに、ポニーテール時代の自分を知ってもらえないことが悔しいような気がして、ポニーテールでいさえすればすでにクラスの中心はわたしだったかもしれないという気すらしてしまって、それで髪型が自分を形づくっていたことに気がつく。最初の登校日の午後にはもう、スカートを折っているけど、見られない。あの子には到底叶わないことが、教室での呼吸ごとに、刻みこまれる。あの子は吹奏楽部に入ろうと思ってる。じゃあ井上ミサキは、スーツ着てコンクールでぴしっと決めた先輩たちへの憧れを、捨てなきゃならない。将来の夢は、うーん、じゃあ、アパレル店員。
「ねえ、わたし、こんなんじゃない。もっとずっとよかったのに、もっとずっといいとこあるのに、それをだれもわかってくれないせいで、なんか薄っぺらい友だちしかできないし、わたしがいちばんに彼氏できそうって言われてたのに、あの子より、わたしのほうが吹部入りたかったし、性格悪くないし、個性あるし勉強はまだわかんないけど、してきたし、そもそもあの子アイプチしてるよね。トイレで毎回確認してるの見てんだよわかってんだよヘラヘラしてんなよって。わたし、あの子よりこんな気持ちで生きてきたのに。あの子よりあの子よりあの子よりわたし……って思ってくれる人、この世にぜったいいないってもうなんか、わかる。どこ生きたってあの子が居る。みんなあれが好きでしょ。夢中になってりゃいいよ。あーあわたし吹部そんな入りたくなかったよよく考えたら。先輩かっこいーって思ってたけど、うん、科学の先生はもっとよくてさ、だれも気づいてないっぽいけど」
 夜のコンビニには、きらいなあの子の呼吸がまじらない。もうだれともべつべつに生きてる、わたしはわたしだけでここにいる、って真に思える場所はコンビニだけで、長く居たり通り過ぎたり、目と目が合って一瞬、運命と勘違いしそうになっても、さよならだって簡単で、教室とは真逆の性質に、井上ミサキは、すごく安心する。教室はおそろしい。あいつは妊娠したから早い夏休みで、先生は優秀な生徒に手を出していて、根拠も証拠もなくって勘違いを正す隙も与えられないまま、進んでいって、這いつくばって着いていって血まみれで追いついたらドン引きからのガン無視。あー、このままだれとも、出会ってしまいたくない。夏だから恋とか、ぜったい、いらない。そう、もう、夏になる。駐車場のブロックに座り込むと熱い。井上ミサキは、部活を決められずだれとも出会わず、知られないままに、夏になる。退屈だった。髪はもう、だいぶ伸びた。たまに通り過ぎる車のライトで、走らせてきた自転車の反射板がちかちかっと光る。吸って、吐く。カップルの舐め合うアイスがでろでろとろけている。吸って吐く。呼吸がたのしくって、うれしい。いっつも楽しそうなあの子には到底、わかんないだろうなってまた、甘い息が、喉につまる。ねえ、いつも、いるね。頭の右上から声がして、ショートパンツから伸ばした脚を無意識に縮めながら、井上ミサキは顔を上げる。わたしはコンビニの店内から、週刊誌を読むふりで、ふたりの出会いを、ふたりが出会ってしまうのを見つめる。開いたページには、人気舞台俳優、深夜のコンビニで連続ナンパ! と文字が踊る。雨が降り、ふたりはキスをした。井上ミサキは、つい最近家で見た映画を思い出している。

  *
 一年一組三十二番、武藤うい。東京からやや郊外へ、弟のスポーツ強豪校への受験を機に引っ越してきて、新しい部屋に、お気に入りのぬいぐるみだけを並べてあとはまだ段ボールに詰まったまま放置している。目の奥に、夜のパルコの看板の光りかたが焼きついて、離れない。そういう、感情のいちばんマシなとこ写真に撮ったみたいな、思い出じみた光景ばかり残っているのは、あれが居場所じゃなかった証拠だ、と思う。東京へ帰りたいんじゃなくて、いつも、今いる場所が、べとべとして、鼠取りに引っかかったみたいな居心地だってだけ、帰りたい昔もとくになくて、じゃあ歩くしかない、死なない限りはこういうのが続くんだと思うと、ひどく退屈、幸せってなに、ってママに訊きたくなる。武藤ういのママは、結婚してからずっと、家に居る。居ない日はない。家に居て家に居て家に居て、同じ毎日をわらっていて、ひどい殺人にニュースを見たあともわらっていて、ママはたぶん、神様にされてしまったのだ。彼女をひとりぽんと置いておけば家庭は安心、というご利益のある守り神、好き勝手拝まれて中身はすっからかんになってしまった。武藤ういはそんなママが怖いから、将来の夢は、ママ以外のなにか、とにかく母親ではない生き物を目指していて、でもそんなことは書けないから、公務員、とまるまった字で書いてみる。
「ぼくがママみたくなりませんように。ぼくがママみたいな女になりませんように。ぼくがママになりませんように。ぼくが母親になりませんように。ぼくがなにも、産みませんように。ぼくの、産む機能が、死にますように。ぼくのからだがなくなりますように。ぼくのからだがだれのことも好きになりませんように。願いませんように。呪いが続きませんように。ぼくですべて、絶えますように」ぼくの夢は、幽霊になることだ、と、午後の日差しに目を瞬かせながら、武藤ういはこぼれるように思いつく。プリントを早めに提出すれば、早めに帰ることができる、今日はぼくの十六歳の誕生日だ、けど、早めに帰りたい場所もなくて、プリントをただひっくり返す。なにかの裏紙を利用したプリントらしく、放送部員募集中! とフリー写真が添えられている。
 武藤ういはとんかつ屋のキッチンでアルバイトをはじめる。かつをさくさく等分することは楽しい。SNSをはじめる。中性的な外見がウケて、@u_muimuiとして、自撮りがバズる。彼氏をつくる。ハンドボール部の彼は、ちょうどそのころ頻発していた交通事故に巻き込まれ、右腕を骨折していて、告白されたとき、骨が治るまでの間は付き合っていようと武藤ういは決めた。骨と骨が正常にくっつくまで、三ヶ月、武藤ういは彼とほとんど話をせず、なにか伝え合うこともなく、ただベタで下手くそな壁ドンやキスで、自分が引き裂かれていくことをぺろぺろ味わっていた。そのことに痛みすら感じなくなったら幽霊になれると信じてみていた。東京に行けばもっと、関節から内臓から、解体現場よろしく、人にバレずにバラバラ壊すことができるかもしれないと、朝食の目玉焼きにかぶりついて半熟の黄身を口の端から垂らしながら、パルコの文字が爛々と光る景色を、ひさしぶりに思い出す。あらういちゃん垂れてるわよとママがわらう。彼の骨折の完治まで、夏休みが終わるまで、残り一ヶ月もない。

  *
 同じ映画のことを思い出している。確か女子高生が援助交際して怪しい男とラブホテル入ってしっかり怖い目に遭うんだけど最後は無事に帰ることができる。生還できることと、殺されてしまうこと、その違いってなんだろう、と大学二回生になった井上ミサキは考える。運だな。運命と言い換えると大袈裟すぎるから、運。二限途中の学食は、人の出入りがまばらで、ガラス張りの構造のせいで春なのにもんもんと暑く、ねむたい。五百円しないくらいのナポリタンをなんか面倒で、セットでついてきた味噌汁にくぐらせていた箸を持ち替えないままにつつく。斜め前の席に学生が顔を寄せ合って集まっている。あの日以降コンビニからコンビニの向かいの空き地へ、頻繁に会うようになった若手俳優の男に、井上ミサキが殺されずにすんだのは、同級生が東京で拉致られる事件があってから、母親が夜の外出に厳しくなったからだった、つまり、運だ、と思う。誕生日、おめでとう! 白いブラウスに、ナポリタンのケチャップがぺしゃんっと跳ねる。そばで上がった声に、顔をあげたせいだ。そもそも男が井上ミサキを殺すつもりだったかはわからないしほかにも無数に女と関係を持っていたわけだから可能性は低いとすら言えたけれど、しかし、殺される運命だったのだと井上ミサキは無意識に、思いたかった。あの子みたいな女はどこに行ったっていて、井上ミサキはそういうものと距離を取るのがうまくなっている。大きなケーキで祝われているのは去年同じゼミだったあの子だ。まじ、生まれてきてくれて、ありがとー。
「殺されなくてよかったって、ほんとうにそう思う?」
 わたしは誕生日集団のなかから、井上ミサキを見つめる。井上ミサキはナポリタンから顔をあげない。井上ミサキは誕生日集団から邪魔くさく思われているが、無視する。
「思うよ。普通に、いやじゃん。殺されて死ぬの。だれにも殺されてたまるかって思うよだって散々、いろいろ、我慢してきたもん、吹部入るのも科学部もなんか、ガチ勢に邪魔されたし。命まであげちゃったらさ、いよいよやばい」
「でも、こうも思ってたんじゃない。選ばれたかった。あの若手俳優のたったひとりにほんとはなりたくて、殺されることでなりたくて、だって今までだれもいちばんだなんて思ってくれなかったから、期待していて、拉致事件の同級生に、そういう、ロマンスの機会を奪われたみたいに思ったんじゃないの」
「殺されるのが? ロマンス。うそでしょ」
「じゃあ、そのあとのことは。男と最後に会ったとき、あの子を男に、紹介したこと」
「わたしの代わりにだれか、かわいい子紹介してよって言われてした、あれ?」
「あの子、あれ以来学校に来なくなった」
「知らないよ。わたしのせいだって、それ、証拠あるの。あのね、そんなこといちいち悪かったなとかその後どうかなとか思ってたら、この世界、だーれも気持ちよくなんか生きてられないよ。みんな無視してるの、気づかないことにしたってことすら自覚しないでおきたいから忘れてくの。忘れて忘れてはじめて、平気で愛されることもできるの。あー幸せ」
 井上ミサキはナプキンでブラウスを拭いながら、ふんっとわらう。わらって、言う。「なんか、あなたとは、価値観が合わない。もう話しかけないでね」
 やがて大輪の花を咲かせた花束が運ばれてきて、こぼれた花弁が井上ミサキの頬をかすめる。嫌いになるのはいつも、春生まれの女だ。路地裏で紐かなにかで首を絞められ捨てられる自分を、井上ミサキは想像してみる。ありえない、それよりはお嫁さんを目指そう、と井上ミサキは薄桃色の花弁を浴びながら、ナポリタンを箸で、淡々と食べ進める。このあとは、三限を受けて、お金をくれるおじさんに会いにいく。たまに花弁まで口に入れてしまって、吐き出す。来年もお祝い、したいねえ。おめでとう。

  *
 一日一粒、クローゼットのわずかな隙間からチョコレートが差し出される。キャンディみたく両橋がくるくる巻かれた包装のちいさなチョコレートが、一日一粒、武藤ういのここ一週間ほどの食事だが、武藤ういには一週間経ったという感覚すらない。両手の自由が効かないので、舌を差し出して受け止める。渇いた口内でチョコレートはうまく溶けず、武藤ういはざり、と頬の肉を噛む。偶然なのか、わざとそうしているのか、自分でもわからないけれど同じことを繰り返していて、口のなかはズタズタだった。鉄の味がじわじわ侵食して、すこしあまく、赤黒い自分のうちっ側を武藤ういは自覚する。カナエ・バイオレットはチョコレートをたべて変身するのだという。
 男は武藤ういを閉じ込めたクローゼットを背にして、アニメの美少女を描いている。武藤ういからは昼間にだけ、狭い部屋の全貌が見える。似たような表情角度の女の子が描かれたコピー用紙がいくつも、支払い関連と思われる重要書類がいくつも、くたびれたジーンズやTシャツ、敷きっぱなしの布団、締め切られた厚手のカーテン、わずかに差し込む光に男の鼻先がちろちろ明るくなる光景が、武藤ういの最後の夏の思い出だ。武藤ういはカナエ・バイオレットによく似ていた。中性的な見た目ながらチョコレートで変身する乙女な、ギャップ萌え魔法少女。よく似た外見の@u_muimuiを、男はSNSで見つけ、池袋サンシャイン通りの入り口で見つけ、自分の人生における最大限の運命がこれで、今、ここだ、と強く、思ってしまう。間違っていても思ってしまう。とくに@u_muimuiを、ものにしたいとか殺したいとか、欲したわけではなく、ただこのまま暗く閉じていくつもりの自分の人生を、こじ開ける機会がほしくて、えいっと手を突っ込んだところに武藤ういが現れてしまっただけなのだった。カナエ・バイオレットもとい麗華かなえが通う中学の制服のコスチュームを武藤ういに着せて、こんなもんかと男は思った。現実の女の子は、自分になにももたらさない、やっぱしょうもない、二次元しか好きにならない、おれが正しかった、と男は思う。武藤ういは、髪がべたついてきたことが気になり、女の子の髪がサラサラなのは毎日のケアのおかげで、チョコレートだけ食べてたらニキビができるし、ってことも知らないままに二次元とはいえひとりの女の子を愛せていると信じてやまない男をすこし、かわいそうに思う。助かりたいとかはいまさら、思わない。昼間の光にも、反応しない。ちょうど同じころ、塾へ向かう途中だった武藤ういの弟が車に跳ねられ色々な骨が折れ、武藤家は不幸へひた走っていくのだが、そんなことは知らない。武藤ういは、ときどき、自分の名まえの漢字について考える。ういという名は、羽衣とか愛いとか、かわいくつけたかったのとママは言ったが、武藤ういには、漢字を改めてあてるならば、憂いであるとしか、憂という漢字を学校で習ったそのときから、思えなかった。武藤羽衣あるいは武藤愛であれば、もっとべつの人生だったかもしれない、と総復習のように、クローゼットで膝を折ったまま、考える。だから、これは武藤ういにとって、チャンスだった。最小限の労力で終わることのできる、チャンスだった。「ほんとに、それで、いいの?」
 わたしは、武藤ういと向き合う位置にいて、武藤ういはそのことに気がつく。たしかに自分にすこしは似ていると思える魔法少女をしばらく見つめて、武藤ういはうっすらとわらう。ママに似ている、似てしまったわらいかた。諦めたわらいかた。男はわたしを描くことを辞めて、床に伏している。
「いいよ。だって、こんな機会もうないと思う。人に殺してもらえる機会なんて、この先、生きてたってそうないよ。ぼくふつうに意気地なしだから、生きてきたからそのくらいわかるから、殺されない限りは生き続けちゃうだろうし、痛いのもなくならないから幽霊になんてなれないし。それに、ぼく、魔法少女だっけ、アニメのキャラとして殺されるんだよ。チョコレート食べてて死ぬんだよ。チョコレートもらってるのに死んで、だれも悪くないし。武藤ういとして死ななくていいなんて、そんなチャンス、もうないよ。名まえをなくしたまま死ぬって、それこそ、幽霊みたいじゃない」
「でもニュースでは、武藤うい十六歳って、きっと報道される」
「そのときにはもう、死んでる」
「火葬されるよ。名まえもからだもなにも、なかったことにはならないよ」
「死んだあとのことなんか、いいよ。そのとき、いないよ。ぼくどこにも。居ないもん」
「それでも、武藤ういは、生きてたよ。生きてる。生まれちゃったんだから、諦めれば」
 武藤ういは、ぱちんっとまばたきをして、口にふくんでいたチョコレートを吐き出す。「でも、連れ出せないでしょ。ぼくの手引いて、出て行ったり、ことばだけじゃ、できないでしょ。ぼくは死んじゃうけど、でも、あなたのせいじゃないよ。ぼくが勝手に、からだを使うこと、諦めただけだ。だって、こうしてあなたとしゃべったってしゃべらなくったって、居たっていなくたって、同じだったんだもん」
 それから武藤ういは、一日一粒のチョコレートすら吐き出すようになり、行方不明の女子高生として捜索がはじまり、しかし発見を待たずに静かに、男すら気づかないままに、最後の呼吸をする。武藤ういは、ハンドボール部の彼氏の骨折が完治するのを待たずに、死ぬ。あまいにおいで満ちたどろどろのクローゼットから、武藤ういは捜索中の女子高生として、痩せこけて、発見される。彼氏は、武藤ういの最後の恋人になる。人気の女子と早々に別れてしまったあと、気まぐれに告白してみただけの、とくに思い入れのない武藤ういの、東京で大人に攫われて殺されてしまった悲劇の女子高生の、最後の恋人として、生きなくてはいけなくなる。弟は、スポーツを諦めて東京へ戻る。次の春、武藤ういの誕生日だ、墓に、ママと彼氏が手を合わせている。季節の花とお気に入りだったぬいぐるみが、武藤ういの墓に供えられる。ねえ、ういちゃんのこと、ありがとうね。すこしの間でも、見ててくれて、ありがとうね。だれが武藤ういなんか見てて、今もおぼえてるんだろ、と晴れた空に飛行機雲が浮かぶのを追いながら、彼氏は思う。そばに流れる用水路に、花弁が巻き込まれていく。お誕生日、おめでとう。来年もその先もずっと、お祝いするからね。


 ああ、女の子には、なにを言ったって、無駄。新入生の夢をすべて読み終えて、マイクのスイッチに手をかける。「わたしたちの未来、のコーナーでした。あらためて新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。以上、放送部がお送りしました」
 でも、そうだ、わたしは、井上ミサキを自分勝手に、抱きしめるべきだった。あなたの通る道で、だれを刺してきたことも、間違いじゃなかったって! わたしは、武藤ういをボコボコ殴るべきだった。全治三週間くらいの怪我を負わせて、それ治るまで生きていてって、やがて死ぬまで繰り返し殴っては、治して! わたしだって女の子で、真新しい制服も張りつめたやわらかい裸も透かした先に見える、グロテスクなハートのかたちが、どくどく脈打ってあなたを生かしていることが、女の子だからわかるから、わかるよって抱きしめられるのに、あなたはいつも、それを抱え込んだまま軽やかに走っていってしまうね。止める間もなく、だから、女の子が嫌いだ。春だよ。放送を終えたのを聞き届けた新入生が、昇降口から飛び出し、駆け出していく。そう、どんな季節の花にも、あなたのつくってきたとびきりの乙女心が、似合う。わたしは窓に手をかけて、一気に押し開ける。びゅう、と強い風が前髪を煽って、崩れるのが一瞬気になるけれど、構わず窓枠に足をかける。公務員、アパレル店員、と書かれたプリントが机を離れて、舞う。すべての瞬間で、ときめきの向くほう選べたら、夢なんてぜったい、いつかは、叶っちゃうんだから、こわいことってほんと、ひとつもない。
 わたしはそのまま、外へからだを押し出す。春へ行く。想像で抱きしめられなかったあの子に、出会い直すためだ。重たいぐちゃぐちゃの心臓抱えて、このからだで、あなたに会いにいくためだ。

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