見出し画像

「一緒に行こう」(Dew)

タイBL映画「デューあの時の君とボク」を見た。
2001年の韓国映画「バンジージャンプする(原題:번지점프를 하다)」のリメイクだ。

注:明確なネタバレはしませんが、物語は展開を知らずに鑑賞した方が楽しめるような作りになっているため鑑賞後に見ることをお勧めします。
また、個人的には原作映画と見比べるとさらに理解が深まると思いました。
よりこの作品のメッセージが際立つように思ったので、原作映画と比較している箇所が多々あることをおことわりしておきます。


監督は「ミウの歌〜Love of Siam〜」が日本公開もされているチューキアット・サックヴィーラクル(以下、愛称のマシュー監督と呼びます)、主人公のデューをパワット・チットサワンディ(以下、愛称のオーム)ポップ役をサダノン・ドゥーロンカウェロー(以下、愛称のノン)という実力派キャストで描いた作品だ。

予告編


あらすじ
1996年のタイ北部パンノイ。
保守的で同性愛への偏見が色濃い田舎町で厳格な家庭に育った高校生ポップは、少し都会のチェンマイからやってきた母と二人暮らしの転校生デューと出会う。2人は友情を深めつつ、お互いに惹かれあっていく。
その関係は学校にも家族にも知れ渡り、周囲に理解されず追いつめられていくポップとデュー。
「ここではないところへ行こう」という目標に向かって過ごしていたある日、2人の関係性を変えてしまう出来事が起こる。

23年後の2019年。
結婚し臨時教師として母校に戻ってきたポップは、担当クラスの問題児の女子生徒リウを気にかけるたび、なぜかデューとの思い出がよみがえる。


韓国の制作会社CJ MAJOR Entertainmentがマシュー監督に韓国映画『バンジージャンプする』の脚本をもとにした映画制作を依頼。
監督は一部自分の体験を織り交ぜて脚本を書き上げ、原作は女学生に片思いする青年の物語だったものを男子高校生の2人の物語にするなど改変が加えられて制作されたのが今作だ。


原作との比較

①時代設定
今作は1996年が舞台となっている。原作の舞台が1983年なので15年ほどスライドさせている。
今から25年ほど前、携帯電話やインターネットがまだ広く一般庶民にまで普及していないころ。
身近に音楽を聞くツールはカセットテープ、田舎の未成年の遊びはツーリングかスポーツか音楽鑑賞か読書、友だちとのやり取りは固定電話かポケベルという時代だ。

何より印象的な現代との違いはLGBTQ(性的マイノリティ)の人々のとらえ方だろう。
エイズがまだまだ未知と偏見にまみれた病気だった当時、世界中で「男性同性愛者に多くかかる」ということで多くの当事者が偏見にさらされた。

今作ではなんと開始すぐの学校の朝礼シーンで校長がエイズ撲滅のため「矯正キャンプ」を行うと宣言、対象になる生徒を選別するシーンがある。

「矯正キャンプ」で何が行われているのか具体的な描写はないが、トラックの荷台に載せられてキャンプから帰ってくる生徒たちの顔や腕にはたくさんの傷がある。
マシュー監督はあえてそんな時代設定のもとでBLドラマを描くという挑戦をしたんだ・・・冒頭から監督の想いと覚悟を感じた僕は震えた。
(タイの現実にどこまで忠実かは分からないけど、監督が意図的に現代にしなかった意味を考える)


②大切なときには雨
ここは原作と同じように「2人がはじめて出会うとき」「2人の距離が縮まるとき」には雨が降る。

面白かったのは「傘」の使い方。原作では仲違いのシーンで主人公がいらだって破壊するが、今作では2人の距離を縮める役割をしている。また、「デューが都会から来た田舎の暮らしになれていない、ちょっと浮世離れした人」というのも上手く表現されていると感じた(田舎の人は多少の雨で傘なんてささないし、ましてやバイク乗りながら傘をさしたりしない)


③夕焼けのシーン
これは原作とまったく違う使い方をしていて興味深かった。
原作では2人の幸せ絶頂期のときに美しい夕焼けを背景にダンスするシーンが、今作では2人の気持ちがすれ違うときの背景として使われている。
どちらも「これから夜が来る」と暗示的だ。
(ダンスシーンも見事に違う場面に転用していて、マシュー監督の脚色力にニヤっとしてしまった。)


④歌
原作映画にない要素はいろいろあるが、個人的に印象的だったもののひとつは歌がキーポイントになっているところだ。
原作にはないカセットテープと"歌詞の翻訳”が重要なシーンで使われていて、グッときた。
音楽プロデューサーでもあるマシュー監督のこだわりが感じられる。


⑤タイトルと駅
この映画のタイ語の原題は「ดิว ไปด้วยกันนะ」直訳すると「一緒に行こう」。
僕はここが何より原作映画と違う(監督の思い入れが強い)ところだと思った。

駅での待ち合わせシーン。
原作では「兵役に行くための列車の見送りに行く」ためだったものが、今作では「一緒にここではない何処かへ行く」ためのものになっている。
別れではなく「一緒に生きる」ための待ち合わせなのだ。
これは明らかに意図的だろうし、その後の展開を考えてもとてもいい改変だと思った。


⑥バンジージャンプ・・・する?
ラストはほぼ原作に忠実ではあるけど、最後にちょっとびっくりする展開が待っていた。
(監督は原作にちょっと逆襲したかったのではw)


俳優の魅力

デューとポップが違う俳優だったら、この映画は、まったく違うものになっていたと思う。
僕はこの2人のキャスティングにも監督の想いを感じた。
個人的にオームは「逆境に負けないたくましさ」のようなものを持った俳優だと思っている。彼が生来持っているその雰囲気のおかげで、デューがただの「かわいそうな人」にならずに存在できたと思う。
また、ノンのもつ「まっすぐさ」みたいなものが演技を越えて伝わってきたからこそ、後悔を抱きながら生きるポップにも共感できるのだと思う。

大人ポップのウィアー(この人の演技のおかげで”ポップは母校に教師として戻ってきたと同時に、学生をやり直しに来たんだ”と感じられた)も、リウのダリサ(難しい役をしっかり自分のものにしていた)も、彼らを取り巻く人たちもみんな適材適所のキャスティングだと思う。

先輩たちに思いを馳せる

この作品のテーマのひとつは、「過去を乗り越えることができるか」だと思う。
誰にでもある過ちや、時代や環境のせいでままならなかった、勇気がなくて踏み出せなかったこと…それは後悔になり、年を取ればとるほど増えていく。

今作の制作にあたり、マシュー監督の恋人(『ミウの歌〜Love of Siam〜』や『デュー』の撮影にも途中まで参加していた)が病で急死したことが、大きな影響を与えているそうだ。
(エンドロールにも追悼文が出てくる)

この作品を見ながら、つくづく「自分は96年のタイの田舎町に生きる高校生として生まれなくてよかった・・・」と思っていた。
自分もそんなに「男らしい」感じではないし、あの学校にいたら速攻で「矯正キャンプ」行きになっているだろう。

リウのセリフで「別の時代に、別の私が生きているって思うことはある」というのがあり、はっとした。
今の時代にこの国に生きているのは偶然で、ちょっと時代や国が違えば、自分が理不尽に迫害される立場におかれるのだ。
いや、今の状況だってちょっとしたことで危うくなってしまうかもしれない。

だから過去や他国のことを「自分とは関係ない」と思ってはいけないし、1996年のタイの「矯正キャンプ」に通った先輩たちのことを忘れたり、無関心でいてはいけないのだと思う。


将来、いろんな国の高校生が「昔はこんな映画がつくられるほどLGBTQへの意識って違ってたんだねぇ」と言いながら、自分の望んだパートナーとこの映画を見る日が来たらいいなと心から思う。誰にでも"美しい居場所"ができる世界。




☆以下結末に触れるネタバレです!!!








原作のモヤっとポイントはどう描かれたか

原作を見て僕がモヤっとしたポイントは大きく3つ。

1.主人公のパートナーの扱い。
 ポップのパートナー、オーンの描き方。これは原作があるので大きな改変は無理だろうな・・と思っていた。どうしても理不尽に悲しい思いをしなければならなくなる。
ただ、原作よりもすぱっと自分で決断してポップのもとを去っていくのは多少救いがあるかな、と思った。
 時代や国の違いもあるし、まぁ個人的には「なぜわざわざ結婚させたのか」とも思ったけど、「矯正キャンプ」に入れられるような社会の状況で思春期を過ごした少年が、それでも自分の想いを貫き通しながら社会人として生きていくなんて不可能に近い。
ポップは自分でビジネスを立ち上げたと言っていたし、社会的な信用を得るためにも結婚は必須条件だったというのは想像できる。だからといって、彼がオーンをないがしろにしているようにも見えなかった。
オーンもポップと同じように、LGBTQへの偏見の犠牲者と言える(それでも理不尽だけど)

2.高校生(未成年)と成人男性との恋愛を美化することの是非
これは個人的にすごく気になっていて、韓国でも批判されたそうだし、タイではもっとアウトなのでは・・・とどのように脚色されるのか気になっていたところだったが、それほど改変されずにポップとリウが接近していくので、ハラハラしながら見ていた。
 でも今作は「デューのとき」と「リウのとき」と人格が明確に切り替わったような描写があり、いい改変だと思った。
 ポップが惹かれているのはリウではなく、あくまでも「リウの身体を借りたデューなのだ」としてみることができる。
 ただ、そうなると現世のリウの人格はどうなっちゃうの・・・?という疑問は残る(彼氏ねトップがかわいそう)

(僕の好きな「Until We Meet Again~運命の赤い糸~」でも前世の記憶に現世の自分が乗っ取られてしまうような描写があったが、前世の記憶は思いを遂げたあと、きちんと身体を現世に返す。)


3.キャラクターの性別変更
 原作ではデューにあたるキャラクターは女性で、現代パートで主人公(今作でのポップ)が出会う高校生は男性だ。「なんでわざわざ」と僕がモヤっとしていたこの設定を「デュー」では反対にしている。僕はこれはとても効果的だと思った。

 もちろん「せっかくなら男性同士で結ばれて欲しい・・・」という思いも湧きはした。でも僕がデューだったら「自分が女性だったら、こんなに辛い想いをしなかったかもしれないのに・・・」という気持ちは当然あったと思う。それを踏まえての転生・・・と考えると、この設定は理解できた。

でも一番は大人デューに会いたかったですけどね!!


「デューあの時の君とボク」
(原題タイ語 
ดิว ไปด้วยกันนะ / 英題 Dew)
制作タイ/2019年


日本公式サイト
http://hark3.com/dew/

#DewTheMovie  #デューあの時の君とボク #デュー #Dew #タイBL #LGBTQ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?