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悔しいって楽しいの仲間だったのか

なんだかんだ今も好きなものや続けている事に共通する事ってなんだろう。途中で辞めてしまった物に共通するものってなんだろう。

得手不得手だとか環境だとか色々考えたけれどそれだけじゃ繋がらず分けることも出来なかった。

勉強なんて人が費やした時間よりも短い時間で同じかそれ以上の結果を出す事は僕にとって簡単だった。きっと得意なんだろう。でもやらない。

逆に何度も挫折して辞めたバスケを今もやり続けてるし歌だってかなりの音痴だとイジられ続けてきたのに大好きだ。

なんでだろう。辛いのに、苦しいのに、悔しいのに。

ん、、、?

あ、、、悔しいと思えたからか!

思えば今も続けてる物ってどれも悔しいのか!

人が大好きな理由の一つを理解した。

人と人との距離が離れてったり大切な人を傷つけてしまったり優しくしてあげられなかったり理解することが出来なかったり。自分にとっての相手と相手にとっての自分が違うこと、そんな当たり前で小さな事を気にしてしまう自分も。そんな一つ一つが悔しくて堪らないからずっと人を好きで居続けられるし成長し続けられているのかな。なんてね

今まで負の感情として捉えていた悔しさってとても大事な感情だったんだな。

悔しさをバネに。なんて何度も聞いてきた言葉だけど初めてちゃんと理解出来た気がした。

物事を継続出来なくなった時は確かに悔しさを感じなくなってしまった時だった。

今更過ぎてバカだな〜、もっと早く気付いてろよ。と思いながらも嬉しさが込み上げてきた。

楽しいの探し方がわかったからかな。
継続する為のコツが掴めたからからかな。
また少し自分を理解できたからかな。

こうしちゃいられない、
今ある悔しさにもう一度目を向けながら新たな悔しいを探しに行って来ます!

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