ケアンズ、またいつか行こうかな。
5年前、僕が19歳の頃にオーストラリアで知り合った同い年の友達が長野から大阪にある僕の家に遊びに来た。
湧き上がってくる色んな思い出に浸りながらお酒を飲んだ。
今思えば彼女との出会いも面白い物だった。
僕が語学学校に通い始めて3ヶ月程経った頃、僕が学校へ行くと幾つか知らない顔があった。彼女もその一人だったが毎週誰かが入学して来るこの学校に慣れてしまい、僕は仲の良いグループで固まって喋っていた。
すると放課後、背後から突然声が聞こえた。
「すみません、、、。」
震わせながら絞り出した様な声だった。
「ん、、?あ、おれか。どした?」と戸惑いながら返事をすると
「あの、、友達になって貰えませんか。」
声を出して笑ってしまった。
友達って気が付けばなってるもんだしなぁ、こんな友達の始まり方は初めてだし、どうするかなぁ。そうか、海外に一人で来て知り合いもいなくて右も左もわからないもんな。そりゃあ不安だよな。なんて思いながら
「いいよ、今から暇だし遊ぶか!」
と言うと彼女は
「この子も一緒にいいですか?ここに来る飛行機が同じで同じ日にこの学校に入学したので良かったらお願いします。」と頭を下げ、隣に居た男の子を紹介してくれた。
コミュニケーションは不得意だろうに、振り絞った勇気を人のために使えるこの子はどれだけ素敵だろうか。
僕がオーストラリアに来た時は不安なんてものよりもワクワクが勝っていて何も知らないこの状況が楽しくて仕方が無かったのに対してこの子は初日からホームシックになりかかっている。だから放っておけなかったのだろう。
そうして出会った彼女達を連れて街を案内した。食品はここが安いよ、昼休みは学生達はあそこのピザ屋さんでご飯食べてるよ、学割で安く食べられるからね。SIMカードの契約や口座の開設はここで出来るよ、なんて得意気に説明して不安を取り除きながら僕も楽しんでまわった。
そうしてホームシックに陥る事を防いだ後は毎日を全力で楽しんだ。
サメやクロコダイル、猛毒クラゲが頻繁に目撃される海に飛び込んだ。防波堤ではしゃぐ現地の少年達の釣り糸の先にサメの背びれが見えた時は流石にビビった。
一緒にカジノやナイトクラブに行ったり、海沿いの公園でフットサルをしながらBBQをしたり街ぶらでケバブを食べながらマーケットに野菜や果物を買いに行った。
何より思い出に残っているのは毎週月曜日に僕がシェアメイト達と開いている国際交流ホームパーティーに彼女を招待した時のこと。彼女の表情はずっと笑顔だった。英語が全く話せないはずなのにね。
今思えば彼女がオーストラリアに居たのはほんの3週間。
あれから5年経った今でも時折飛行機に乗ってそのたったの3週間の思い出を手土産に会いに来てくれる彼女は僕にとっても"あの時"を知る大切な存在だ。
見た物や触れた物に対する考え方や価値観が前提から全く違う彼女に出会えて良かった。
僕の中で"あの時"がまた遠い思い出になった時、飛行機に乗って近付いてきてくれると嬉しいよ。
ありがとう。またな👋🏻
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