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番外編的な|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし

はやいもので74日目。
Note。毎日投稿よく続いてます。
ダレカほめてください。

突然ですが、今日は私の話をします。

例えばそう、こんなとき。
真っ赤になった庭のトマトに水が滴る様子を見たとき。
網戸に蝉がとまってるのをみつけたとき。
ふと見上げたら空いっぱいに夏雲が広がってたとき。
開け放った窓から吹き込んだ風に、どこかの花火の火薬のにほひが混ざっていたとき。

ああー、夏だなー、って。
今年も夏なんだなー、って。
生きてるんだなー、って。
俺は幸せだなー、って。
ガツン、とみかん食べたいなー、って。笑
思います。

ほら、私、あまり恵まれない家庭環境で育ったじゃないですか。周りを見渡せばいつも、だいたいひどい環境で。ろくでもないことばっかりでした。そんななかで育ったからでしょうか。幸せを感じる感度がとても高いです。ん?低いのかな?これいつも、どっちかわからなくなるんですが、感度は「高い」で合ってる気がする。幸せを感じる基準が「低い」んですね。そうだ。そうですね、きっと。あってますよね?
ちょっとしたこと、よく見てなければ見逃すような、日常の些細なことに、そこはかとなく幸せを感じます。毎日。一日中、ふとした瞬間に。じゃなきゃね、たぶんやってらんなかったんだと思います。そうやって細かいのを拾い集めなきゃね、小さい幸せを。だから、わざわざ富士山でご来光を拝まなくても、窓から見える日の出や夕日でたっぷり泣けるし、心が洗われます。高原リゾートに行かなくても、窓からは入る風で十分に癒されるし、しっかり心が満たされます。

だから、平気。
おかんがいても。
よく、すごいね、えらいね、と言っていただく機会があります。でも、違うんです。すごくないんです。そんな状況でも、いやそんな状況下だからこそ、身についたストレス耐性やスキルというかチカラがあったりして、それだから本人は人が思うほど大変じゃないってことも多いんです。学生時代に2年半ほど路上生活まがいなことをしていたことについても同じ。すごいね、よく耐えたね、と言われる度に、なんか申し訳ないというか照れ臭いというか、ちょっと引け目を感じてたりします。実際、あの家に帰るよりはよっぽどラクだったりしましたしね。暑い、寒い、キツい、ねむい、なんかは、本人ほとんど負担にも感じてないですし。

というわけで、ちょっと番外編的に、今日は私について書きました。
それもこれも、おかんが順調なおかげです。
なんとなく50歳から第二の人生がはじまってるという気が私はしてまして。そういう意味では、なかなかどーして順調な滑り出し。窓からだけじゃなく、人生にも、わりといい風吹いてます。

感謝。


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筒抜け、丸裸「たなべあーのすべて」がここに
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