我が反省人生4

東京の喧騒から逃れたくて、しかし東京にしがみついた結果、よりディープな東京に住み着いてしまった事に気づいた時は後の祭りであった。
そこは密かなる芸能人のアジトであったのだ。その街がどこかはあえて伏せておこう。
そこに住み着いた結果、なんだか余計な悲しみを自分も背負う事になった気もするし、何か気になる風景や人物がそこにゆかりがあったり通ってたり。テレビと現実がぐっと近寄り、そこと距離を取るのがやや難しい状態になっていたようだ。

精神力がある人間ならばそれをチャンスとしてテレビの側に滑り込み、ただの一般人はただ通り過ぎるのを立ち尽くして見て、目立った行為をすれば笑われるだけである。

そこにはありとあらゆる、テレビの中の世界が転がっていて、いつすれ違ってるかわからない状態になっていた。テレビでの話題がその場所にあったり。最もその場所は電車で通う距離であった。きっとただ普通に家と仕事の往復で使っていただけの人も多かったろう。
結局そのメディアがごく近くにあるという事が自分のメンタルに悪く作用した。
そして後に住居の地域に萩原朔太郎が住んでいたらしいのが、自分が引き寄せられた原因のような気がした。

そして自分の引越し経路が、割とスタンダードなクリエーターを目指す人の行き着くところのようだとも。

1人はミュージシャンを目指すもんじゃ焼き屋の店員で、もう1人は確か昭和初期辺りの文学の人だったような。

結局対人関係とサーチの情熱に欠ける私は2人しか例をあげられない。

記憶には霞がかかっている。

オリンピックを降板になったミュージシャンのイラストを描いた事がある。なんとなく描きやすく親しみのある顔だったからだ。友人からは「似てる」と言われた。そしてもう少し似てる人に出会ったのだが彼は私の同級生をいじめていたようだった。

もうひとり似てると言われたミュージシャンがいた。彼は夭折してしまった。

顔の形ではなく多分醸し出す何かが似ていたのだろう。

それは多分ここにいるのだけど身体が浮いている感じだと思う。
どうしても多分身体が浮かんでしまうのだ。
実際浮いてるわけじゃない。でもなんだか常に地から足が浮いてる感じがする。そんなふうに写真に映ってる。

映り方が似てるのかもしれない。

何かこの世界に居られないかのようなそんな感覚を持っているのだろうか?