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島根のじいに会いに行く

このnoteは途中から有料です。
プライベートな写真や話が含まれているため
本当に読みたい人だけに読んでもらいたいと思っています。
親愛なる年の離れた友人「島根のじい」に捧げる
ただのロードムービーのような旅日記です。

1.

島根に行ってきた。

その日は突然やってきて、今年は仕事に邁進したいから、夏休みはあってもなくてもどっちでもいいし適当に取るねなんて話していた矢先に、連絡はやってきた。オンラインストアにきたいつも通りの注文は、いつも通りの注文じゃなくて、スタッフが驚いて夫に報告を上げたのだった。

「注文の備考欄に余命半年って書いてあるんですけど…。どうしたらいいですか?」

「えっ???」夫も驚いて、内容を確認する。注文者の名前を見ると、気が知れた人の名前が書いてある。島根のじい(愛称)だ。

「これは社長に返信してもらおう。」と夫は答え、私に一本のLINEが届いたのだった。夫は社内で私のことを話す時にだけ社長と言う。違和感も感じるけれど、夫なりの誠実さだと思って何も言わず受け取っている。

「この注文へのコメントは社長が書いた方がいいと思うので、確認をお願いします。」注文画面の写真と、あっさりとしたLINEが夫から飛んできた。仕事中に何気なく目にしたLINEに衝撃を受けた。一瞬、目を疑ったし「え?」としか言えなくて、悶々としたのだった。

3時間後に意を決して、注文主に電話をかけた。「もしもし!」と電話口で聞こえる明るい声は、余命半年なんてとても思えなくて、久々に話して、体調や現在の暮らしを聞いたのだった。思ったより元気というか、じいらしい口上でいつも通りに感じたけれど、夫と相談してできるだけ早くと、思い切って翌日に出発することにした。元気なうちにどうしても会いたいし、本当かどうか確かめたい。

夫に行く意思を伝えると、相変わらずフットワークは軽く、二つ返事で行くことに同意してくれた。飛行機は急すぎて取れなかった。車で家族4人での島根旅行があっという間に決まってしまった。スタッフに伝えると、行ってらっしゃい、ついでに色んな場所を旅してくるといいですよと言ってくれた。でもそんな気分は起こらなくて、寄り道なんてしてる場合じゃないだろう。気分は、鎮魂歌か葬送曲って感じだよって思ってた。

急な旅を決めたのは、人生で2回目だった。1度目は、7年前。わざわざの実店舗を建築する準備の段階でのことだった。どうしてもロケットストーブ※1内蔵のパン焼き窯を作りたくて、それは、女性が一人でどうやって薪窯でパンを焼くことができるのかということを考え続けた結果だった。(※1)小燃焼のストーブ。少ない薪で効率的に火を燃やすことができる

薪でパンを焼くという重労働をやり続けることができるのか?と考えたときに、出た答えはNOだった。それでもやりたいと思ったのは、2011年の東日本大震災の時に感じた無力感で、もし自分が当事者になっていたとしたら、何ができたんだろう?と問うと、誰かの役に立ちたいと思ったけれど、パン屋として電気もガスも止まったら人の役には立てないと痛感したのがきっかけで。もし、薪窯のパン屋だったら、電気もガスも止まっても近隣に食物を供給できるし、パン屋としての責務を果たせるだろうと考えたのだった。

だけど薪窯のパン屋は重労働で女性一人じゃ無理がたたる。何かいい方法はないものだろうかと思案していた時に、一つのブログのことを思い出した。ロケットストーブについての実験を繰り返すブログ、そう島根のじいのブログだった。幸いにもブログに連絡先が書いてあってすぐにコンタクトを取ると、じいは二つ返事で技術的なことを教えてくれると言ってくれた。時は2011年5月。夫はサラリーマンでGW休暇中。明日行ける?おっけー。じゃ、行こう。明日行きます、明後日には多分着きます。

1回目の急な旅もじいに会うことが目的だった。2回目の旅もじいだった。私らしいし、じいらしい。二人が会うときはいつだって突然なのだ。

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