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BORN TO RUN "BEHIND THE MASK II"



 船井紀里也。フナイキリヤの真ん中を取って、リングネームは「ナイキ」だ。
 17歳の若さで、キックボクシング世界チャンピオンの座に就き、防衛が5回。現在もタイトルを保持している。現在は20歳。
 階級はミドル。実力的にはヘビー級でも通じると言われているが、自身のベスト体重とタイトル保持を加味すると、積極的には転向を考えていない。
 比較的整った顔立ちと、過剰なリップサービス。そしてそれに伴う実力で人気を集める一方、反感も強く、これまた本名から真ん中を取って「イキリ」と揶揄される事もある。
 だが、船井紀里也のそれは本来の性格とは違う。
 キックボクシング界の名伯楽と呼ばれる、メルヴィン・ガーウェンが古巣を離れて隠遁しようとしていた所、日本のジムが箔をつけるために特別顧問として名前を借りようとしたのである。
 ガーウェンは単に名義貸しだけで小遣いが入り続けるなら悪い話ではないと快諾した。領収書を切って日本に旅行できるのもいい。その程度の安請け合いだった。
 だが、一応ジムには来た事がある実績やジムに来た証拠写真は欲しいと言うので、ジムを訪れた所で、船井に出会ったのだ。
 この時、船井はまだ高校生になったばかりの15歳。ジムにも入ったばかりだった。しかし、ガーウェンは瞬時に船井の才能を見抜き、引退を撤回したのである。
 ガーウェンは無理矢理に船井を本国オランダに留学させ、古巣で面倒を見た。更に高校を休学させ、タイにムエタイの修行へと出している。
 その後、日本へと戻り、プロデビュー。そのプロモーションを行ったのも、ガーウェンなのである。
 リングネームを決めたのもガーウェンだ。その際に、日本語で「イキリ」がどんな意味を持つかも知らされており、むしろ好都合と「船井紀里也」の名前でデビューさせ、注目を浴びた4戦目から「ナイキ」に改名させた。
 そして、本質的に大人しい船井を、大口を叩く「イキった」キャラクタに仕立て上げたのである。本人は、その提案を素直に実行するほど大人しい性格だ。
 ガーウェン曰く、闘争心の足りなさは致命的な欠点だが、闘争心が有り余っている選手との相性はいい。だからこそ、煽って煽って、船井のポテンシャルを引き上げようと言うのである。
 普段は黙々とトレーニングを続ける地味な青年なのだ。
 本日も日課であるロードワークの最中である。シャドウを兼ねてのロードワークだ。人目を避けて、夜の公園を走る。
 その船井の前に、黒い襲撃者が現れた。
 あの、噂に聞く「辻斬り」である。
 「イキリの船井クンにしちゃ、重心が逃げを狙ってるね」
 黒ずくめの長身がそう言った。見抜かれている。辻斬りの噂は耳にしていた。自分の所に現れる可能性も考えてある。そう。船井は戦わずに逃げるつもりだった。
 「念のために言っておくと、俺は船井クンより脚が速い。見りゃわかるが、スタミナもある。逃げるのは得策じゃない」
 襲撃者が黒いマスクの下で嗤う。
 「面白いンだけどさ。今までやった格闘家は何人もいたけど、結果として逃げた奴は2人だけなンだよね。結局、口では逃げろとか言っといて、本音は皆、闘りたいンだよね」
 一人でベラベラと喋る辻斬りに、想像していたよりよく喋る、と苦笑いする船井。
 おそらく、辻斬りの言葉は嘘ではない。瞬発力はともかく、目撃者が多いであろう場所まで逃げ切るのは難しいと予測される。
 大丈夫だ。落ち着いている。噂によると辻斬りは、打撃も投げも組み技もこなすらしい。
 打撃系(ストライカー)である船井の勝ち目は薄いと言える。狙うとすればカウンターのヒザ蹴りだろうが、それは相手も警戒しているはず。
 場所がロードワークに使っている夜の公園でなければ、大声で助けを呼んで辻斬りを追い払う事も出来ただろう。だが、男の船井が大声で助けを呼んでも、すぐさま誰かが助けに入る可能性は低い。
 ならば、最も勝率が高い行動は何だ? おそらくは「打撃を当てて隙を作り、その間に逃げる」だろう。
 だが、違う。辻斬りに襲われて逃げた格闘家が少ない理由がようやくわかった。
 必ずしも彼らが好戦的だからではない。ひとつは、逃げられないからだ。
 この男、アスリートとしての身体能力が高い。大概の逃げ足なら追いつける。だとすると、一撃を与えて隙を作ってから逃げるべきではないか。いいや、違う。
 この屈強な男が、半端な打撃を食らったところで隙を見せる訳がない。逃げ出せるだけの充分なダメージを与えるとしたら、本気で闘うしかないのだ。
 船井が、後ろ足に重心を置き、前足の膝を腹まで上げる。左手を顔面の位置まで引き上げ、右手は胸の位置。ムエタイの基本的な構えである。
 「やる気になってくれたかい?」
 襲撃者がマスクの下で嗤う。
 だが、襲撃者は勝利を確信していた。実際のところ、追いつくにしても走って逃げられる方が厄介なのだ。何しろ明確な犯罪行為である。見つからない方がいい。
 勝負に関しては、何も恐れてはいなかった。船井が世界王者であろうが、何しろまず体格差が大きい。この時点で勝利は揺るぎないだろう。
 そして、船井は立ち技しか知らない。無論、ムエタイ独特の投げや首相撲がない訳ではないが、寝技に関しては素人である。余程の油断をしない限り、折るも締めるも自由自在だ。
 ━━だが、それじゃ面白くない。
 勝てる試合に、ただ勝つなんて当たり前すぎる。そんな事の為にわざわざ危険を冒している訳ではない。
 ━━滾らせろよ。
 本音を言えば、船井とはリングの上で心ゆくまで殴り合いたい。だが、地位も身分も違う。戦えるだけで御の字だ。
 逃走コースも確保してある。船井が大声を上げて助けを呼んだとして、1分以内に勝たねばならない。堂々と殴り合ったとしても、3分以内にケリを付けなければ、人気のない夜の公園だとしても誰が通るかわからない。
 最終的に、組んで寝技に持っていけば、1分以内に勝てるだろう。だが、それではつまらない。ならばせめて打撃で勝つ。それが一番面白い。しかし、体格差があれど船井はキックボクシングの雄である。グローブなしとは言え、3分以内にダウンを奪う事は至難の技であろう。
 ━━アレを試すか。
 睨み合いから、既に15秒が経過している。残り2分と45秒。襲撃者はマスクの下で嗤う。
 先に動いたのは、意外にも船井の方だった。
 いや、元々動き出さねば誘ってでも動かすつもりではいた。想定内だ。
 わずかにフットワークを取りながら、互いにじわりと距離を詰める。
 その他の読みはすべて当たった。グローブをしていない以上、顔面に向けてのパンチを打つ可能性は低い。リーチの問題もある。身長差の問題もある。
 だとすれば蹴りだ。ムエタイの構えから出る前蹴り。ティープと呼ばれる前蹴りで牽制を掛けてくる。それも、キャッチを恐れて、低めの軌道になるだろう。足元はリングでもなければ、素足でもない。地面への食い付きが足りない以上、威力は半減する。すべて予想通りだ。
 記者会見では大口を叩くも、船井の本質は優等生だ。それが顔に滲み出ている。
 襲撃者は前蹴りを打たせ、後の先を取った。カウンターである。
 前蹴りの足が伸び切る瞬間に合わせて、サイド気味に低空のキック。
 異変は直後に起きた。船井の蹴り足の下。膕(膝裏)に襲撃者の足が差し込まれたのである。
 しかも、襲撃者の技は蹴りではなかった。
 膝裏に足の甲を差し込み、手前に引き寄せる。いわば重心を崩す足技。
 だが、腐っても世界王者である。見知らぬ技であれ、肉体が反応して姿勢を保つ。しかし、それこそが襲撃者の狙いだった。
 襲撃者の縮んだ足が、船井の太腿の下を這うように滑った。
 太腿の付け根にある、二つの睾丸を狙って。
 すべては、襲撃者の狙い通りになったのだ。

 まるで自分がロードワークを終えたかのように、ランニング客を装って、公園を出る。
 不意に、視界へと不自然な動きの大型車が近付き、停車する。何者かと警戒したが、周囲に気配はない。何者であっても公園の外である。何者かに正体を知られての報復ならば街へと逃げ込む。警察ならば公園へと逃げ込む。何とでもなりそうだ。
 そう思った瞬間、車の後部座席の窓が開き、声が掛けられた。
 「乗れ」
 知った顔と声である。
 「社長」
 襲撃者、山本マゴトは促されるまま、後部座席に乗り込んだ。
 「勝ったんだろうな」
 隣に座る巨躯が嗤う。既に老齢だが、肉体のぶ厚さは山本に匹敵する。身長なら山本以上だ。
 「あのマッチメイクじゃ、負ける方が難しいっスよ」
 拗ねたような態度で、マゴトが答えた。日系ブラジル人の血を引く。日本人名の「マコト」と、女性名のマーガレットからマゴトと名付けられた。
 出生直後まで、股の肉に男性器が挟まれていたため、女児だと思われていたのである。
 山本自身は幼少期より日本で育っているため、あまり日系ブラジル人の血を引く自覚はない。だが、類稀なる肉体的優位は外国人の血を引いているおかげだろう。
 「スター選手とガチンコ勝負が出来るんだ。文句言うな」
 隣に座る巨躯が楽しそうに言う。辻斬りの噂を聞いた瞬間に、「使える」と思い付いた。プロモーションとしても使えるが、何より、山本を育てるには最高の環境だと思ったのである。
 会社経営の後継者は既に育てた。しかし、自分の格闘家としての後継者に見合う人間は育っていない。だが、候補はいる。山本もその一人だ。
 人間的にはまだまだ「ガキんちょ」だが、闘争心や血の気の多さ、犯罪歴や倫理観の低さ。自身の裏の部分を継ぐには最適の素材だ。
 「もっとヒリつく相手にしろよ」
 船井との勝負が物足りなかったのか、山本が愚痴る。
 「山本、口を慎め」
 運転席にいる巨躯が、山本を遮るが、社長はそれを過去の動きひとつで制した。
 「お前ら格闘家はいいよなァ。早くて三ヶ月、下手すりゃ1年に一回の試合に出るだけで、オマケに試合も15分で終わると来た」
 トレーニングとスパーリングさえしていれば、本番は30分にも満たない。そんな連中に負けるはずがない。トレーニングとスパーは当然として、日本全国を駆け巡って年間で200試合以上。海外へも何度も遠征した。そして、表には出てこない幾多の試合もだ。そのほとんどの試合に勝ち続けた自負はある。
 団体経営、プロモート、育成、スター選手、格闘家、政治家、そして、裏稼業。
 その全ての面で自分を凌ぐ後継者などいない。だが、各方面で自分に勝る後継者は育てた。裏の自分を継ぐのは山本の可能性が高い。
 「出たよ、おっさんの昔話」
 「だからお前には試合をさせてやる。魅せる試合と、殺し合いの二本柱だ」

 時代は変わった。かつてほど、殴り合いや殺し合いでの力比べは価値をなくしたのだ。だからこそ、いざという時に相手を黙らせる暴力は持っていた方がいい。
 「本物の辻斬りと俺、どっちが強いんだろうな」
 山本が呟く。何者かは知らないが、数十名もの武術家を倒したと言う。ビデオで確認した限り、肉体的には山本の方が上だ。しかし、古流武術と思われる「相手を殺しに掛かる技術」は本物の方が上だ。
 あの技も、ビデオで観たものを真似ただけだ。
 「本物だな。正体の見当はついてる」
 「へえ?」

 察しは付いている。武術界隈には、口では何のと謳っても、その暴力を試さでおけない阿呆がいる。ビデオで観た動きから、流派は幾つかに絞り込めていた。
 年齢的に、その師とは戦った可能性も高い。
 相手を殺すことだけ追い求めた武術。そして、それを高め、絶やすまいとする阿呆がいる。自分もまた、その一人なのだ。
 連中は強い。そして、本物の辻斬りも強いだろう。
 「だが、お前を本物より強くしてやる」
 ヴィクトリオ伊場。引退してもなお君臨するプロレス界の怪物。山本マゴトは、その後継者の一人である。


 ※この記事はすべて無料で読めますが、結局あの人がモデルのキャラクタが出てくるんだな、と、思った人も思わない人も投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には「気の長い話」しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。