重戰騎兵7

 前回。

 

 合流は郊外にあるショッピングモールの中庭だった。本来なら何段階かの追跡防止行程を経るらしいが、今回は途中で一度車を換えたぐらいである。無関係の場所で落ち会わせることで代用したらしい。
 職業が職業だけに、住居や身許が判明する事はご法度である。つまり、ゴーストの「家族」である事は絶対に知られてはならないのだ。
 その家族を目の前にして、風間は困惑していた。
 目どころか、顔が合わせられない。バツが悪い。これほどまでに苦手だとは風間自身も思わなかった。子供の相手は得意ではない。まして、実子でもおかしくない年頃の娘だ。何を話していいのかなんてわかるはずもなかった。
 あまつさえそれが、後見人として面倒を見ている相手で、ごく短い時間だけとは言え、一緒に暮らしている未成年であり、自分にはその記憶が一切ないのだから。
 ついでに距離があるとは言え、中庭から通じる駐車場の車内では、滝川がこちらの様子を伺っているのだ。
 彼女をここまで連れてきたケースワーカーの女性の不安げな表情がなお一層、風間の動きを鈍くしていた。
 「あー…」
 ようやく発した言葉が、それだけである。
 「おかえり」
 その声を待っていたのか、凛とした声で言う。及川美鳥。15歳。高校一年生。風間と違って、しっかり風間の方を見ている。
 おそらくまるで化粧していない。少し太めの眉。何かスポーツでもやっているのだろう。子供らしい焼けた肌をしている。短い髪に、少年だか少女だかわからない華奢な肉体。
 どうしていいのか戸惑っていた風間は、その瞬間に目が覚めた。確かに、自分の置かれた状況は特殊で、子供なんかに構っている余裕などない。
 しかし、それは風間の事情だ。何も知らない15の少女に負担をかけていい理由にはならないのだ。
 「ああ。ただいま」
 風間が美鳥の方に向き直り、顔を合わせて返事をする。
 「記憶、消えちゃったんだって?」
 美鳥が一番聞きにくいであろう事を単刀直入に聞いた。どうやら、無遠慮なのではなく相当に聡明な子だ。おそらくは「記憶喪失」に対する覚悟を最初に決めていたのだろう。
 「ああ。見事に、自分に関する事だけ。綺麗にサッパリ」
 風間が唇を歪める。
 「あたしのコトも?」
 美鳥が声の調子を変えずに言う。だが、嘘発見器を使うまでもなく、その声の調子は変わらなかったのではない。変えなかったのだ。
 「すまない」
 風間は本心から謝った。記憶を失った事ではない。未成年の被保護者に負担を与えてしまっている事に、だ。
 だが、美鳥は口角を上げ、元気な声で答える。
 「事故とか病気みたいなもんでしょ」
 「そりゃまあ、そうだが」

 風間に記憶はない。この美鳥との関係が良好なのかどうかも知らない。しかし少なくとも、後見人として生活費を捻出している存在が、音信不通のまま一ヶ月だ。それだけで不安にもなろう。
 しかし、美鳥はその不安だった感情を、肉体的に無事ではあっても、記憶を失ったという不安を、風間に見せるまいとしている。
 「思い出せそう?」
 「残念ながら。ある日、ポンと思い出すかも知れんが」

 そのうち思い出すよ、と言うつもりでいたが、本心が引き出される。ほんの数分前とは、まったく違う戸惑い。なるほど「ゴースト」に家族を持たせる意味はあるのかも知れない、と風間は唇を歪める。
 「まあ、別に思い出さなくてもいいけど」
 「そう言うものか」

 実際、資料に目を通した限り、風間と美鳥は、ジュディとジャービスの関係に近い。いわゆる「あしながおじさん」である。美鳥に生活の報告義務があり、風間には養育費を出す義務という関係で、会う事が義務付けられているのは週に一度。しかも、その週に一度も、多くは風間の事情で飛ばしている。だから、家族のように長時間一緒に暮らしている訳ではない。
 だが、思い出さなくてもいい、と言うのは美鳥にとって、風間を心配させないための、まるっきりの嘘という訳でもない。忘れられてしまった思い出があるのは事実であり、悲しい事でもある。
 無論、思い出してくれれば嬉しい。しかし、いい思い出ばかりという訳でもないのだ。
 「過去の記憶に縋るよりも、これからの方が大事」
 「若いのにしっかりしてるな」
 「まあね」

 風間が唇を歪めた。美鳥は家族に恵まれなかったらしいが、だからこそ真っ当に育ったのかも知れない。風間は自分の過去など何一つ思い出せないが、自分には到底、真似できない素直さだと思う。
 そう。風間は記憶していない。その言葉を言われたのが美鳥自身であることも、言ったのが目の前の男であることも、風間は知らない。

 邂逅の後、美鳥とケースワーカーの女性と共に、食事と、幾許かの会話、そしてゲームセンターで遊びに付き合わされる。
 どうにもやりにくい。美鳥と2人きりよりは、ケースワーカーの女性がいる方が助かると思っていたが、どういう訳か、美鳥よりもケースワーカーの女性の方も扱いが困難である。
 何とも言えない空気が耐えられず、風間はトイレと言って中座した。
 特に尿意があった訳ではない。だが、小便器を前にすると、不思議と出るものである。
 その時、背後にある個室のドアが開いた。
 「やっと1人になったわね」
 女の声が、すぐに背後から聞こえる。出始めたばかりだが、ほぼ無意識に小便を止め、ファスナーをあげる。
 「ここは男子トイレだと思ったがな。それとも、ここは海外の安売春宿か」
 その気配が普通でない事は承知していた。そして驚いた事に、風間は無意識に懐にあって欲しい銃の存在を探す動作をしていたのだ。
 ーー記憶はなくても、身体が覚えてる、か。
 「このチャンスを何時間も待ったのに、野暮だこと」

 背中に銃口が突き当てられる。いや、銃ではない。刃物でもない。女の細い指先だ。
 「何者だ」
 顔だけでゆっくり振り返り、女の方を見る。絵に描いたような美女だ。年齢的には三十路手前という所か。その美貌が生来のものか、化粧映えか、整形なのか、風間にはわかりかねる。
 風間の女の好みとしては、もう少し肉付きが良い方がいいのだが、それでも出ている所は充分に出ていたし、そもそもそんな状況ではない。
 「あたしのコトを覚えてないなんて、記憶がないと言うのはホントなのね」
 スウェットに似たシルエットの動きやすそうな服だが、デザインは洒落ている。
 「質問に答えろ」
 「時間がないから手短に言うけど、あたしはあなたの味方」

 女が髪をかきあげながら言う。どこかに武器を隠し持っていないとも言えない。どんな攻撃であっても、肉体を金属硬化させればだいたい間に合うだろう。しかし、記憶喪失を知っている以上、この肉体の事を知らないとは思えない。弱点さえも知っている可能性はあるのだ。油断は出来ない。
 「そうある事を願うよ」
 敵ではないにしても、まともなご対面ではない。真っ当な世界の人間ではあるまい。問題は、風間の敵ではないとするなら、誰の敵か、だ。
 「ゴーストの連中は信用しちゃダメよ」
 額面通りに受け取るなら、この女はゴーストの味方ではない。しかしそれさえも信用は出来ない状況だ。もし滝川がまだ風間の記憶喪失を疑っているとしたら、稲垣の配下と見せかけてこの女を送り込んでくるぐらいの事はするだろう。だが、一番濃厚なのは、
 「稲垣の配下か?」
 女は風間の問いが終わる前に答えていた。
 「あなたが稲垣と戦うのなら、私も稲垣の敵」
 女が楽しそうに嗤う。風間の直感が、信頼は出来るが、信用は出来ないと警告する。おそらくはこの女もスパイの類だろう。そして、優秀がゆえに信用できない。
 「持って回った言い方だな。時間がないんじゃなかったのか?」
 女がくすくすと嗤う。相手を馬鹿にした、いや、小馬鹿にしていると理解させるための表情。
 「試してるのよ。滝川がすぐに来るかどうか」
 どうやってこの男子トイレに侵入したかはともかく、風間の記憶喪失と滝川の存在を知っている。ゴーストと稲垣の他の第三勢力の可能性は否定できないが、ほぼどちらかの差し金だろう。滝川が揺さぶりを掛けているか、稲垣が内部にネズミを残していったか。
 「どういう…いや、盗聴か」
 問おうとした風間が、途中で気付く。おそらく滝川は駐車場で待機しているだろう。その滝川が風間を信用していないとしたらどうする? 滝川から渡された物は色々あるが、服なり何なりに盗聴器を仕掛ける事は容易い。だが、電源も確保できない、衣摺れで聞き取りも怪しくなる衣服に仕込む可能性は低い。最も怪しいのは携帯端末だ。
 だがそれを確認する術はない。滝川を信じるか、あるいは、盗聴されている前提で行動するか。そして、この会話が盗聴されているとするなら、どちらにせよ、もう手遅れだ。
 「ご明察。いきなりここに突撃して来るかと思ったけど、盗聴されていると知られるのは避けたいのかしらね」
 ーーもう遅えよ、この女狐め。

 風間が心でごちて唇を歪める。嵌めやがった。滝川が盗聴しているにせよ、盗聴の事実を知られないためには出撃できない。盗聴していないとしても、当然、出て来られない。
 風間としてはどうあれ滝川を疑るしかない。この女の目的が、滝川と風間の不和にあるとするなら、その守備は上々という訳だ。
 「お前の目的は?」
 率直に問う風間。確たる証拠は何もないが、この女が滝川の差し金である可能性は低い。
 稲垣の手の者か。それとも本当に第三勢力が動いているのか。政府とテロリストの諍いに割って入って得をする組織なぞ存在するのか。だが女は短く、
 「あなたの身柄の保護」
 と答えをぼやかした。
 「誰の差し金だ?」
 「言える訳ないじゃない」

 女が楽しそうに嗤う。どうやら、心理的な駆け引きにおいては、この女の方に分があるらしい。少なくとも、風間という個人の記憶がない状態では不利だと言える。
 「滝川を信用してる訳じゃないが、今のお前よりはマシだな」
 溜息交じりに言う風間。女の言葉を信じるとしても、宇宙人に寄生された人間を保護して利益になる組織など存在するのか。身体に宿した金属が、ふたつとない貴重品だとしても、それを手に入れて利に換えられる人間は少ないだろう。
 売り捌く相手もいなければ、確実にアシがつく。研究して利用するにしたところで、設備も研究費もかかる割りに、実用性に乏しい筈だ。第3の組織が存在するとしても、その実態が霧の中だ。
 「私も別に、いきなり信用してもらおうとは思ってないもの。あなたが『暁』と『稲垣』の両方を信用できなくなったら、私の元に来て欲しいだけ」
 女の言葉に眉を寄せる風間。
 「暁? キャラバンの事か?」
 それを聞いた女が、さも噴き出しそうな勢いで嗤った。
 「本当に記憶をなくしてるみたいね。『暁』はゴースト総本山の組織名よ」
 「なに!?」

 確かに、ヒヒイロカネの名前を用いるような組織だ。国粋主義的に「暁」の名は相応しいと言える。そして、その「暁」から離反したからこそ、稲垣は「暁のキャラバン」を名乗ったのかも知れない。
 「あなたがどちらに付こうと、どちらと敵対しようと構わない。私はあなたの味方。それを伝えに来ただけ」
 そう言うと、女がきびすを返した。
 「おい」
 「さすがにそろそろお暇するわ。じゃあね」

 風間が呼び止めようとするが、意に介さずトイレから出ようとする女。さもここか女子トイレであったかのように堂々と。
 だが、扉の所で思い出したように、
 「あ。あたし、タチバナ ユキ。よろしくね」
 それだけを告げて扉の向こうへと消えた。
 取り残された風間は、小便の途中だった事も、手を洗う事も忘れて、トイレから出た。
  妙なものだ。記憶がないという特殊な状況に、寄生金属。しかもスパイであるらしい。突拍子もない話の連続だが、不思議と受け入れてしまっている自分がいる。
 記憶を失う前の風間が非日常に晒されて生きていたのかも知れない。記憶があってもなくても、動じない性格なのかも知れない。
 風間自身の意向としては、トラブルも波乱もなく、呑気に暮らしたいとは思っているのだが、どうやら状況はそれを許してはくれないのだろう。
 ーー平穏を望むのは、元の自分が平穏ではなかったからかも知れないな。
 トイレから出て、ショッピングモールの廊下を見る。既にタチバナと名乗った女の姿はない。あの様子だと滝川が追跡したところで、絶対に捕まらない自信があるのだろう。
 滝川を信用するかどうかはともかく、今後の身の振り方をどうするか。思案を曇らせた風間の目を覚まさせたのは、同じくトイレに行っていた美鳥だった。
 「おじさん」
 黒目がちな目が、風間の顔を下から覗き込むようにして話し掛けてくる。どうにも、この小動物のような生き物の相手をするのは得意ではない。
 「ん」
 「どしたの? マジな顔して」
 「いや、何でもない」

 だが、自分の事はともかく、この美鳥にまで危害が及ぶ事は避けたい。それは風間の本心だった。少なくとも、滝川の存在、記憶喪失、この場所までが筒抜けだった事になる。『暁』の中に敵のスパイがいる事は間違いないだろう。
 「ねえ」
 それでも浮かない顔の風間に美鳥が問う。
 「なんだ?」
 「あたしの事を忘れてるのはいいんだけど」
 「なんだ」

 どうにも嫌な予感がする。それも、あのタチバナ ユキとは違う方向での嫌な感触だ。
 「サエさんとはちゃんと話した方がいいよ?」
 「誰だ」
 「ウチのケースワーカーさん。付き合ってるんだって」
 「初耳だ」

 嫌な予感は的中した。面倒ごとは嫌いなのだが、状況はそれを許さないらしい。だが、それで合点はいった。異様にやりづらいと思った空気の理由は、おそらくそれなのだ。
 「やっぱりかぁ」
 美鳥が呆れたように言った。


 (´・Д・)」 ヒロイン1とヒロイン2登場。

 次はヒロイン3と4だな。


 ※ この記事はすべて無料で読めますが、面白かろうとつまらなかろうと、投げ銭(¥100)があるほど、早く完結します。
 なお、この先には後書き的な事しか書かれてません。


ここから先は

111字

¥ 100

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。