vol.16 10年前のワタルさん 【浦山 卓哉】

最近めっきりわたるさんに会う機会も減ったが、なぜかわたるさんのことを思い出すことが多い。

わたるさんと出会った時のわたるさんの年齢に、自分がなったからかもしれない。

あのときのわたるさんは僕からみれば明らかに異質な存在で、毎朝のようにグラウンドに来るわたるさんを見て、社会に出て疲れてしまい、今は少しお休みしている人なんだ、と勝手に理解していた。その認識はほとんど真逆であったが。

わたるさんは言い訳をなくすのがうまい。というかわたるさんが未来に対して言い訳をしている光景は基本的に見たことがない。(お酒絡みでは、「あのときはもはや別人格」という言い訳をよく聞く)

当時先輩から東京タワーなる毎年恒例のOB現役混合チームの存在を聞き、その様々な逸話から自分は東京タワーを恐れていた。そしてお誘いがかかった時はなんとか逃げようと考えていた。

案の定、わたるさんからお誘いがかかった。僕はお金がない、という今から考えれば幼稚極まりない言い訳で逃げようとしたが、「貸してやるよ」と一瞬で論破された。金のある大人には通用しないんだと学んだ。ただ、その時言われた「行きたくないなら別にいい」という言葉がやけに真剣で怖かったのを覚えている。この時がわたるさんとちゃんと話した最初の時だったと記憶している。

そして、わたるさんは言い訳をなくした後、楽しむのがうまい。

思い返すと、自分は2年生の時あまりラクロスが楽しくなかった。3,4年生はうまかったし、練習しても上手くならんし、くすぶっていた。そんな時、わたるさんが夜の農グラで1on1をやろうと言い出した。

確かお題目は当時DFだった平野くんのDF強化だった気がするが、永遠に1on1してれば、いくらわたるさんでも最終的にはシュートまでたどり着く。
そんな単純な練習だが、とにかく楽しかった。

2年生でラクロスが楽しかった記憶はほとんどないのだが、わたるさんとの農グラはやけに楽しく、あの頃踏ん張れたのはわたるさんのおかげだったし、今でも感謝している。


ただ、時にわたるさんの楽しむ姿勢は狂気をはらんだものとなる。

2015年くらいの鹿島オープンだったと思うが、お酒を楽しまれたわたるさんは部屋の中で制御不能となり、ひとしきり暴れた結果、誰かの強烈なラリアットを食らい、そのまま無事ご就寝された。

私は嫌な予感がしたため、別室で就寝したが、翌朝部屋を覗くとここでは到底記載できないとんでもない部屋の状況となっており、ガチで野生動物が部屋に侵入したのかと思った(もはやわたるさんの名誉もクソもないが、一応フォローすると、その惨状の半分弱はわたるさん以外の方の仕業であった)。おまけにわたるさんの足の指の骨が折れていた。

人は記憶がない間に骨が折れていたら当然テンションは下がるはずだが、わたるさんは嬉しそうにグラウンドにやってきて、「ねえねえ、足の指の骨折れてんだけど」と自慢していた。この時すでにわたるさんとは長い付き合いだったが、流石にひいたのをよく覚えている。


社会人になってからも当然わたるさんとの交流は続き、普段の生活や仕事に飽きた時、わたるさんがやっているハウスシェアに参加させてもらいたいなーと思ったこともあった。正直にいうと、わたるさんの生き方を羨ましいと思うタイミングは今でも結構ある。

だけど言い出さなかったのは、自分なりの意地なんだろうと思う。多分自分がわたるさんの表面的な生き方を真似ようとしても、その先に幸せはない。多分精神的にも肉体的にもぶっ壊れる気がする。

そのことはいい悪いの問題ではなく、わたるさんが今までずっと問いかけてきてくれたように、「お前は何をしたいんだ」という問いの先にこそ人生の目的があると信じている。わたるさんがそうしてきたように自分も自分なりの方法で一生懸命でアツい人生を送りたいと思っている。

そういう意味では、出会った頃と違い、わたるさんは人生の良きライバルであり、指標だ。


わたるさんに負けない、悔いのない人生を送っているか。
出会った時のわたるさんより魅力的な大人になっているか。
まだまだ勝てる気はしないが、わたるさん40歳おめでとう。

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浦山卓弥/Takuya Urayama

・プロフィール
東大ラクロス部25期 #28 主将
4月に結婚し無事尻に敷かれている
ラクロス以外の趣味模索中

・ワタルさんとの初めての出会い
2009年、御殿下グラウンド、よくわからないが絡んじゃいけなさそうな人

・ワタルさんとの一番の思い出
よく飯田橋のもみじ屋でラクロスの話から人生の話までした時間

・ワタルさんに一言
人生楽しみましょう。負けないよう頑張ります。

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