1/6最近はまっていること

前の記事で、彼のはまっている曲について書いたので、今度は私のはまっていることについて書く。

◯note
 ツイッターをやめるために始めた。ツイッターほど長く見ているわけではないが、日常において「これ書きたいな」「こういうnoteの記事ありそうだな」と思うことが増えた。
 今年の頭から、話題が尽きなくて、いろいろな人がいろいろなことにあーだこーだイチャモンつけている。SNSって自分が思ったことを発信する場だから問題ないが、どうにもネガティブな意見ばかりで見ているだけで疲れてしまった。誰かと同じ意見であるとか、それに反対する意見であるとか、主義主張があるわけではない愉快犯のアンチコメントとか、主義主張がある人の音も葉もないデマとか、そういうものに乗っかって踊らされている感じが嫌になった。
 ゆくゆくはツイッターを見る時間よりnoteを見る時間が長くあるようにしたい。
 ツイッターって文字列を見るだけでXのタイムラインを想像してくれる人が大多数だと思うし、私もそうなのでツイッターと書く。

◯丁寧な暮らし
 今年の目標は10キロ痩せることだ。それに伴い、早寝早起きや食事の見直し、それだけじゃなくて洗濯ちゃんとするであるとか、自炊をがんばりたいだとか、掃除を週に何回するだとか、生活リズムをまるっと改革しようとしている。そうすると、丁寧な暮らしをしたいね〜というところにたどり着く。
 習慣化アプリをいれた。日々の細かいタスクを文字に起こして毎日リマインダーで教えてもらって、できたかどうか記録していく。アプリにチェックしたいから食器洗うか、と思う。どれくらい続いているのか視覚的にわかると嬉しい。もっと続けようと思う。
 丁寧な暮らし、というフレーズにちょっと馬鹿にしている感じがするという話をネット上で見かけたことがある。確かに、見栄えを良くするためだけにみえる詰替えをしたり、毎日カフェみたいなごはんを食べたりしている人のショート動画には、それを馬鹿にするようなコメントがついていることがある。対して、見た目にこだわらない豪快で簡単でジャンキーな動画に「こういうのでいいんだよ」とコメントがついている。そこには「丁寧じゃなくて、こういうのでいいんだよ」という響きが含まれているように思う。その、「丁寧さ」に対するやっかみみたいなものが「丁寧な暮らし」という言葉に染み込んでいて、本当に丁寧に日々を過ごしていて素敵だなあと思ったときに「丁寧な暮らしですね」とは言えなくなっているような感じがある。
 でも私は丁寧に暮らしていきたいと思う。自分の思う丁寧さだから、洗い物を溜めないとか、出したものをすぐしまうとか、自炊してみるとか、そういったことから始めている。はまっていると言いながら継続できる気がしないので便利なアプリにも頼ってみる。今日は作り置きをたくさん作った。

炊飯器の煮物、サラダチキン、きんぴら、春菊のナムル

あと洋梨を食べた。ヨーグルトをかけてナッツを散らしたらすごくおしゃれな食べ物になった。

◯ジョジョ
 昨年末、5部をアニメで見た。お裁縫のお供に適当に見始めたものだが、想像以上におもしろかった。真似したいセリフが多いし、ストーリーもドキドキする。ラスボスが強くて絶望的、でも仲間で力を合わせて向かっていくというのがかっこいい。
 後輩たちに、次は何部をみたらいいか相談した。
「3部!おもろいっす」
「いやー、だったらもう1部から見てほしい」
「4部は知ってるキャラ出てくるだろうし、見やすいかも」
「逆に6部に進むのは?」
 ワクワクする気持ちをそのままにしたくて、まだ次を決めていない。まだ悩みたい。
 と思っていたら彼が4部を流し始めたので、次は4部を全部見ようと思う。

◯香水
 ここ1年ぐらいずっと気になっている。彼に一昨年もらったプレゼントの香りがすごく良くて、彼も気に入っているようなので近いものを探している。
 何事もそうなんだけど、私らしさというものがあんまりよくわかっていないので、他人に「これっぽい」「あれっぽい」と言われると、「これが私らしいものなんだ」「私にはこれが似合うんだ」などと解釈し、その考えが固定されてしまう。
 なので、いいにおいだけど私が身につけるにはなあ、と思って購入する気が出ず、ずっと彼にもらったプレゼントと似た香りを探してしまっている。私も気に入っている香りだから問題はあまりないと思うけど。それに、「いいにおいだなあ」を超える直感というか、そういう出会いを求めている。
 ちなみに、年末にアウトレットにいったら彼がくれたプレゼントと同じ香りの香水があったので迷わず購入したが、ピンときていない。正解だと思っていた「私らしい香り」はどうやら違うようで、まだまだ香水探しの旅は続きそうだ。

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