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私の人生とThe Libertines

出会い

高3終わりの春、人生のどん底にいた。
2年間付き合っていた彼氏と別れ、大学受験に落ちて頭が狂っていた。
2年間も付き合った人を勉強が優先したいと言って、突然別れた。私は仕事・勉強と恋愛を天秤にかけたら、恋愛は躊躇なく切り捨てる女なのだ。

自ら青春を捨てて勉強しまくったのに、受験も失敗し、人生のどん底で死んだような日々。現実逃避のために映画を見まくった。ゲイリーオールドマンが大好きで、彼主演の映画「シド・アンド・ナンシー」を見た。そこから人生が変わった。Sex Pistolsの音楽が眠っていた私の厨2病魂を刺激しまくった。初めて聴いたUK Rockがピストルズなんて幸運すぎる。ピストルズ最高、UK Rock最高!ピストルズからThe Clash,The Jam, Oasis, Radiohead ..王道から聴き始め辿り着いてしまった・「The Libertines」そして「Pete Doherty」

The Libertines

The Libertinesは00年代を代表するUK Rockバンド、ドラッグ&ミュージックで、最高で最低なロック。ど下手くそな演奏に、美しい歌詞。荒削りすぎる。とりあえず聴いてほしい。最高だから。

https://www.youtube.com/watch?v=nUz4jvDknbE

リバはピートとカールが共同で作詞作曲するんだけど、その二人の関係がもうブロマンス。世界中の腐女子が下のような動画にまとめるくらい。

二人が共同で作詞作曲する曲の数々はヘロヘロだけど本当に美しい。Music when the lights go out はリバで私が一番好きな歌。
2人がそろえば演奏がめちゃめちゃでもそれで十分なのダ。

私がリバを聴き始めた2013年はリバは対して活動していなかった。とういうのも、ピートの薬中具合がヤバすぎて、リバは一度空中分解してしまっている。ピートとカールの愛物語が愛憎物語になってしまっていた。(そこらへんは語ると長くなるから割愛)
それでも2010年には一度再結成して、関係が良好になったものの、2013年は特に活動していなかったと思う。

私とThe Libertines


そんなわけでリバの新しい供給はなかったわけだが、狂ったように過去のオタクたちがアップロードしたyoutubeの映像を見て、リバの伝説のたった2枚しか出していないアルバムを聴きまくった。通学中にリバを聴いて、家に帰ってyoutubeをみて、ひたすら過去に出したアイテムを手に入れようとした。NMEの雑誌を集めたり、ロキノンを集めたり。人生で初めての推し活。マジで生活がリバ、洋ロック一色になった。
リバのおかげで他の洋ロックバンドも大好きになり、ライブに行き、フェスに行き、趣味ができた。それだけで充実しな日々になっていったが、、

伝説の2015年、なんとリバが新しいアルバムを出したのだ。2枚目を出してから11年ぶりのアルバム、そしてツアーだ。梅田のタワレコで初めてそのアルバムを聴いた日は忘れられない。本当感無量。Newアルバムは伝説の1.2枚目のアルバムと違って賛否両論あるが、そんなのオタクにとっては関係ない。リバの4人が新しい音楽を出して、新しくツアーをしたことが優勝。特に2015年のグラストは最高。その年のNMEアワードで最高フェスアクトに選ばれてたんじゃなかったっけかな。

日本でもロキノンが特集ページだしたり結構湧いていた。
私もめっちゃでっかいレコードセットを買い、CDを買い、雑誌を買い、結構お金を落とした。生でリバを見ることは出来なかった、なぜなら、ピートが薬中すぎて日本に入国できなかいから。それでも私は満足していたと思う。何も供給がなく過去の映像だけで満足していた日々とは大違いで毎日何かしらの供給があったから。あの1年くらいは本当に最高だったな。

リバ関係ないフジロックでリバTを着る我。

人生のどん底にいた私が大学・大学院とリバのおかげで乗り越えられた。そして大学院2回生の春、就職先が決まった。
リバのおかげでイギリス、敷いては海外が好きになり、海外仕事がある(と思っていた)エンジニア関係の仕事が決まった。自分の希望する就職先も決まり、大学の研究も企業との共同研究でまぁまぁな成績を残せたと思う。外国人とUKロックを語りたくて始めたHelloTalkで何故かスリランカ人の彼氏ができたり、それなりに充実していた・でも何かが足らない・・・
「このままリバティーンズを生で見ることなく、人生を終えて良いのか」

リバオタク女、イギリスに渡る

大学院2年目の夏休みが最後のチャンス、リバはすぐ活動を放棄する可能性があったし、私は仕事始めれば自由に推し活できない。このチャンスを逃せば、もう一生見れないかもしれない・・・
ってことで行きました、イギリス、見てきました生のリバ。
一人で海外フェスに参加し、8時間トイレを我慢し最前列を確保し、目の前でリバを見ることが出来た。

興奮してロクな写真を撮れていない。
念願のピーカル

間違いない、2018年のこの日が私が生きてきた人生で一番最高な1日だった。それは今でも破られていない。

それからのリバと私。2022サマソニ決定

私はリバ以外に好きなバンドもたくさんあったので、来日したアーティストのライブに行ったり、それなりに洋ロックオタクとして活動は続けていた。またカール単独で来日したり、当時一番人気だったThe 1975がサマソニに来日したり、その後もそこそこ充実していたと思う。

またリバTを着てフェスに参加する我

そこで現れたコロナ。また私も社会人2年目でいきなり仕事が激務になった。もともと激務だった仕事がまじで休み0になった。コロナでフェスやアーティストの来日がなくなり、私もゆっくり音楽が聞けなくなり、趣味だった音楽が生活から離れていった。それに合わせてリバも活動が徐々になくなり、時々昔の映像をYoutubeにアップするだけになった。新しい音楽を作る作る宣言だけして、3枚目以降アルバムを出していない。

彼氏のスリランカ人もスリランカに帰って、趣味のライブにも行かず、そんなこんなでこの2年間は仕事しかしていない。それでも仕事は充実していたと思う。この前、私の2年間を捧げた仕事の案件が竣工して本当、泣きそうになった。周りが結婚やらしていく中、私はもうこのまま仕事に生きる、、そう確信し始めた矢先だ。

3年ぶりサマソニ開催決定!
私の青春が一気に帰ってきた。The 1975かブロッサムズ、Strutsとか来日してくれ〜〜って願いながら出場アーティストの発表を待っていた。
発表の日、まず1975が一番に目に入った。最高だ。別Noteで書いたが1975はまじ最高なのダ。そこで歓喜の舞を踊っていたら、見つけてしまった。
「The Libertines」の文字。ピートが日本に来るだと、、信じられない。

イギリスで初めてリバティーンズを見てから、
私の中でリバ欲が満たされた、と思い込んでいた。というのも、もう生でリバを見る事は無いし、これからの人生あの日以上の最高な日は来ないと思っていたからです。でも日本でリバが見れるなら話は変わる。他の日本のオタクと共に、ドンルクを大声で歌うんだ。絶対最高ダ。生きる希望が出来た。

サマソニはちなみに仕事で必要な資格の試験の日とブッキングしているが、絶対サマソニに行く。
当たり前だ、それで会社から何か言われたら、会社を辞めてやる。サマソニの日に現場仕事入れられたら即辞める。

私は仕事とリバティーンズを天秤にかけられたら
リバティーンズを取る女なのだ。

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