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★相対的価値と絶対的価値のこと。

「自分のことがキライだ」と、思春期から結構いい年まで考えていました。

といっても、私は〈生〉に執着があるので、死にたいとは思わず、むしろ苦しくて死にそうなことに腹が立っていました。

今はといえば価値観が変わったので、「自分がキライ」だなんて、頭に思い浮かぶことさえなくなりました。

海の向こうに行けば、株や先物の投機ができることより、刃物ひとつで食べもの(生きもの)をしとめ、食べられるか食べられないかを見極められることが、生死に関わる重要技術ということもあります。

併せていうと「鼻が高い」は欧米では褒め言葉になりませんし、まず通じないですよね。相手を褒めているつもりで容姿のことに終始して語るのは、スマートじゃないあたまがわるいとさえ思わせてしまうかもです。

それを知って「ぼっち最強」を謳っている私としては、自分を中心に揺るがない価値評価〈絶対的価値〉を持つことが大切だと思うようになりました。

一方、〈相対的価値〉というのは他人との比較、相手が変われば変わる価値です。それは場合によっては国という単位での価値評価かもしれないし、あるいはもっと広く大陸という単位での価値評価かもしれない。

ところ変われば価値変わる、です。

「自分はブス」だと思い込んで、メソメソしている子どもをみると、『地球上に何人の人間がいるか知ってる?この国の相対的価値評価なんて、わずか1億3千万にも満たないのにな。しかもあなたの学校に、生徒は何人いるの?』って感じます。

「整形なんかせんでいいよ。歯だけしっかりキレイに磨きなさい」とそれだけ、おばちゃんは伝えたいのです。

「じゃあ、その〈絶対的価値〉ってどうやったらわかるん?」

そう子どもは訊いてくるかもしれません。私ならどういうでしょう・・・。

「だから勉強するんだよ」

かな。

勉強して他人の価値評価〈相対的価値〉をたくさん知って、揺るがない自分の価値評価〈絶対的価値〉を作りなさいと。

他人の価値評価〈相対的価値〉ほど、危ういものはないのです。

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頑固がんこになれといってるのではないぞ。

もっともっと他人(国や世界も)を知って、何が揺るがないものか知りなさい。そうすれば、「自分のことが好き」になるよ、○○ちゃん。

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