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【家族】過去と家族と私

不適切な言葉が多めです。ご了承ください。

この記事には、母と兄が登場します。
父は私が5歳のときに死別しているので登場しませんし、以下を傍観しているわけではありません。

ときは数週間前、母から一本の電話がきました。

「兄が仕事の依頼をしたいらしいから話してくれないか」

とのこと。
私と2つ上の兄はまさに犬猿の仲で、幼い頃から掴み合いの喧嘩をしたり暴言を吐いて暴れて家のもの壊して…を、お互いにしてました。笑
あ、お互いに対してですよ。

私の記憶にあるのは小学生以降ですが、記憶にある限りはずっと仲が悪いです。

私が高校を卒業して大学へ進学し、ひとり暮らしをしてからも帰省するたびに暴言を吐くなどの喧嘩が絶えませんでした。

お互い、相手が何をしても何を言っても気に入らないんですよね。

ちなみに、前提として、年上で男である兄からは暴力・セクハラ(抱きつくなど)・モラハラを受けて育っていたので今でも世界一嫌いで生理的に無理で一刻も早く●んでほしいとすら思っています。

さらに兄はニート(自称自営業)で実家に寄生して威張り散らしながら生きてます。
酸素の無駄遣いですね。

そんなゴミのことはどうでもいいんですけど、母からそんなクズと話してくれと、虫けらから仕事の依頼だと言われたわけです。

固有名詞が安定しないので、不服ながら、以下、分かりやすく兄と表記します。

母にそんなことを言われても話したくないわけで。

まず何故向こうにとっても世界一嫌いであろう私に仕事を依頼しようと思うのかという話です。

信頼できるから

と言われました。
キモくてキモくて言葉を失いました。

後から分かるのですが、実際は先行きに不安を感じたそうです。
高齢(90歳前後)の祖父母、定年近い(50代後半)母とクズニート(30歳)のゴm…兄。

3人兄妹で、私は中間子(実家を出て10年)、妹は私の5つ下ですが1年前に就職して実家を出ました。

兄は社交性も社会性もコミュニケーション能力も優しさも才能も運転免許でさえ何も持ち合わせていないので、今後寄生している実家のことを、近所付き合いとかも含めてやっていかなければいけないかもしれない、祖父母の介護が必要になるかもしれない、というのが不安に思ったそうです。

以前から私は、子どもの居るシングルマザーで実家から遠く離れたところに住んでいても、祖父母や母に何かあれば実家の近くに引っ越して面倒を見るという気もありました。
長女だから、というよりも、兄と妹がアテにならないから、という中間子の謎の面倒見の良さを発揮したのかもしれません。

しかし、実家に寄生している生理的に無理なゴキブr…兄が居るので話は別です。

ただ、兄と和解はできずとも近づける程度に気持ち悪さを感じなくなれば実家の手伝いもできる状況が生まれるのかなと、とりあえず話を聞くことにしました。

電話番号も知らない、名前も忘れたような兄と話すのは本当に何年ぶりか分かりません。

そして最後に言葉を交わしてから数年、お互い大人になりました。

開始数分で喧嘩が始まる。

身体は大人、中身は子ども。
まぁお互いにでしょうけどね。
年をとることで大人になれるとは限りません。

とにかくお互いに話し方が気に入らなくて初っ端から喧嘩腰だったので喧嘩が始まるのはすぐでした。

収集がつかなくなり暴言を吐き始めたので、兄から母に交代。

母は穏便に収めたいため私を宥めようとしますが、それが気に入らない私は

兄をずっと甘やかしてきたのは母。
そんなに兄が好きならずっと一緒に居ればいい。
私はずっと複雑な思いを抱えてきた。
兄に隠れてこそこそと電話をしたり、嘘ついて孫に会いに来たり、私達の存在を否定するなら二度と連絡をしてこないでくれ。
私には大切にしたい家族がいるから害のある家族なんてもう必要ない。
もう私のことは死んだと思ってくれていい。

を長い捨て台詞に、電話を切りました。

昔から犬猿の仲だったわけですが、実はこれが更に悪化した出来事が私の結婚でした。

私は、いわゆる授かり婚で、長男の妊娠が発覚してから半年後に入籍しました。

田舎だからなのか、祖父母・母が古い人間だからなのか、子どもの頃から

順序(結婚→妊娠)だけは間違えたらあかん

と言われ育ってきました。
私は一番そのことを気にしていなかったし、授かったことはおめでたいことです。

しかし私の授かり婚以降、兄からは

我が家の恥
あれだけ言われて順序を間違えた
家族に謝れ

と散々言われました。
特に謝れというのは何百回も言われましたね。

私が精神的に未熟だからでしょうか、

実家なんて要らない、必要ない。
授かったことを謝るということは子どもを否定することになる。
私が、産む決断をしたことは決して間違っていない。

と頑なに謝ることだけはしませんでした。
私に、子どもに、否などありません。
子どもができたから面倒見てくれとも頼んでいない。
金銭的にも生活的にも何ら援助を受けていません。

私たちを受け入れようとしない環境に対して、謝罪をしてまで受け入れてほしいなんて思えませんでした。

この抗争は、長男が6歳を目前に控えた現在も続いています。

というわけで、兄からの仕事の話も「二度としてくるな」と断り、兄が居る限りは実家に近づきもしないと宣言しました。
(数年前から近づいてもないですが)

しかし、一つの複雑な思いがあります。

子どもたちから家族を取り上げてしまった。

です。
離婚をして、

父、
父方の祖父母、
父方の伯母、
父方の曽祖父母

を失い、

この度、子どもたちには母と兄弟しか居なくなりました。

家族というより、一族が3人ぽっちになってしまいました。

ランドセルもママが買ってあげる。
お誕生日もクリスマスもママとお祝いしよう。
旅行にもママが連れて行ってあげる。

全部全部、子どもたちと約束しました。

子どもたちから大人の都合で取り上げてしまったものを全部補うのは無理かもしれないけど、おばあちゃんが居なくたって、お父さんが居なくたって、他のお家の子どもたちと同じように楽しい思い出たくさん作ってあげる。

子どもたちがこれから先、自分の足で立って生きて、兄弟助け合いながら協力していけるように、私には絆を育む使命があると感じました。

ただ、妹に関しては完全に蚊帳の外で(笑)
妹はホームシックで実家が好きなのでそれはそれで良しとしてます。
上記の兄と母との出来事も事後報告しました。

妹とは同県(車で2時間程度)に住んでいるので、交流はあります。
アテにはならないけど、私の中では気楽に付き合える後輩みたいな立ち位置です。笑

私は元々、家族や友人という繋がりに対しての思いが希薄だったので今くらいがちょうどいいです。

ただ、結婚をして移り住んだ今の地域には助けてくれる方がたくさん居て、仲良くしてくれる方もたくさん居ます。
だから、私は実家がなくてもたった三人の家族でも暮らしていけます。
私たち家族に楽しいことや嬉しいことをたくさん教えてくれたのは、これまで一緒に過ごし家族のコミュニティに居た人たちではなく、社会の中で私が出会い、自分の意思で関わりを維持している周りの方々です。

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