きつね山の女の子 第二回
山元ときえ 作
七、ボロボロになったくま太ズボン
「ただいまー!」
げんかんのドアをあけると、外に出ようとしていたお母さんと、ぶつかりそうになりました。
そのしゅんかん。
「るみな、いったい、どこへ行っていたの!」
お母さんの大きな声が、頭のうえからふってきました。
「くらくなっても帰ってこないから、これから、あなたをさがしにいくところだったのよ!」
それだけいうと、お母さんは力がぬけたように、だまりこみました。ところが、るみなのズボンを見て、また、新しいひめいをあげました。
「ズボンが、ボロボロじゃないの! いったい、なにをしていたの?」
るみなも、ぼうぜんと、自分のズボンを見おろしました。
くま太によくにた金茶色のフリースは、まえもうしろも、うえからしたまで、まだらに毛がすり切れていたのです。まるで、なにかに強くこすりつけられたみたいに。しかも、ところどころに、草のしるやドロじみもついて、ズボンは、もう、茶色だか灰色だかわからなくなっていました。
「‥‥知らない女の子といっしょに、きつね山で、ソリすべりをしてあそんだ‥‥」
るみなは、なんとか声をふりしぼっていいました。そしたら、
「ソリなんて、もっていかなかったじゃないの。ズボンのまま、斜面をすべりおりたのね」
お母さんが、なさけなさそうにつぶやきました。
「ちがうよ! 女の子がよういしてくれていたから、ちゃんと、ダンボールのソリにのって、すべったよ」
「ソリにのっていて、こんなに、ズボンがボロボロになるはずないでしょ!
あーあ、毛はすり切れるし、色もあせちゃって‥‥。このまえテレビで見た、きつね山の年よりぎつねのけがわみたいじゃないの‥‥」
ズボンにさわりながら、お母さんは、大きなためいきをつきました。
「うそじゃないよッ! ほんとうにソリにのっていたんだよ。それに、ズボンのことも、ちゃんと気をつけていたよおー」
ひっしにせつめいをする、るみなの目から、大つぶのなみだがこぼれおちました。お気にいりのズボンが、わけもわからずボロボロになり、お母さんもしんじてくれないなんて‥‥。もう、かなしくて、くやしくて、たまらなくなったのです。
「うわーん! るみなは、ぜんぜんわるくないんだよおー!」
るみなは、とうとう、大声でなきだしました。すると、その声にびっくりしたお父さんが、げんかんまでやってきて、聞きました。
「るみな、どうしたんだい?」
るみなが答えるまえに、お母さんがいいました。
「くらくなっても帰ってこなくて、しんぱいをかけたうえに、買ったばかりのズボンをだめにしてしまったのよ。うら山で、斜面をすべりおりてあそんでね。気をつけるように、ちゃーんといっておいたのに」
「ズボンのことは、気をつけていたよー。ほんとうに、ソリにのってすべっていたんだよー! それなのに、知らないうちに、ズボンがボロボロになっていたんだよー」
るみなは、ますます声をはりあげて、なきました。
「わかった、わかった。そんなにいうんだから、るみながソリにのっていたことは、お父さん、しんじるよ。
だけど、るみな、気をつけていても、しっぱいするってことはあるもんさ。それは、もう、どうしようもないことなんだ。だから、ズボンのことはがまんしような」
お父さんが、いっしょうけんめい、なぐさめてくれました。
「うわーん。お父さんは、おとなだから、がまんできるんだよー。るみなは、子どもだし、ぜんぜん、わるくないんだもん。がまんなんて、できないよー!」
くま太ズボンのことが、あきらめきれなくて、るみなは、なきさけびました。あんなに楽しかったのに、いっしょにあそんだ女の子のことまで、にくたらしくなってきました。それで、るみながもっと声をはりあげ、じだんだをふんだときでした。
「おやおや、なにごとだい? バス停まで、なき声が聞こえてきたよ」
とつぜん、げんかんのドアがあいて、明るい、はりのある声が聞こえてきました。
「るみなが、そんなに大声でなくからには、なにかわけがあるね。さあ、なくのはやめて、話してごらん」
「おばあちゃん?」
ハッと顔をあげたるみなの、目と口がまん丸にひらかれました。
ドアのむこうに、くま太を作ってくれた、大すきないなかのおばあちゃんが立っていたからです。
八、おばあちゃんがやってきた!
げんかんのなかにはいってきた、るみなのおばあちゃんは、せたけは中くらい。体つきは中くらいより、少しふっくらしています。
おばあちゃんは、グレイヘアを丸いおだんごにゆって、おでかけ用のふじ色のスーツをきていました。
「ふふふ。るみな、その顔は、そうとうびっくりしているみたいだねえ。なんのれんらくもしないで来てしまったからね」
おばあちゃんは、いたずらっぽく、ひょいと、かたほうのまゆげをあげてわらいました。それから、るみなとおなじように、まん丸に目と口をあけているお父さんとお母さんに、せつめいをはじめました。
「この町のえきまえに、新しく温泉センターができただろ。今日、そこで、小学校のときのどうそう会があったんだよ。どうきゅうせいたちの顔を見たら、思い出話が止まらなくなってねえ。すっかり、おそくなってしまったから、今夜、とめてもらえないかい?」
それから、おばあちゃんは、ぷくっとふくらんだおなかをおおげさにさすり、
「しょくじは、もう、すませてきたからね。ひさしぶりに、るみなのへやで、いっしょにねかせてもらおうかね」
そういって、にこっと、るみなにわらいかけてくれました。
「それじゃ、さっそく、ふとんのじゅんびをしなくちゃ!」
お父さんとお母さんは大あわてで、ふとんがしまってあるへやへ行ってしまいました。
るみなの顔が、くしゃくしゃのえがおになりました。
「うわあ! おばあちゃん、今夜、とまってくれるんだね!」
るみなは、とびつくように、おばあちゃんにかけよりました。すると。
るみなのカーディガンのむねポケットから、なにかがポトンとおちたのです。
九、ししゅうになったコスモスの花
それは、朝、たたんでいれておいた、白いハンカチでした。けれども、ハンカチのすみには、朝にはなかった赤い花のししゅうがありました。
るみなは、いそいで、ハンカチをひろいあげました。
赤いししゅうの花は、コスモスでした。さっき、女の子が、ポケットにさしてくれたのとそっくりの。そして、女の子がさしてくれたほんもののコスモスの花は、もう、どこにもありません。
ハンカチを見て、おばあちゃんがびっくりしたように、いいました。
「なんとまあ、きれいなししゅうだねえ。まるで、ほんもののコスモスの花が、一りん、さいているみたいじゃないか」
ほんとうに、そうでした。うっかりさわったら、ゆびに黄色い花ふんがついてしまいそうです。
「かれない花だよ‥‥」
女の子の声が、耳のおくによみがえってきました。
るみなは、むちゅうで、おばあちゃんに話しはじめました。
「あのね、今日、いっしょにあそんだ女の子が、帰るときにコスモスの花をくれたの。でも、その花は、いつのまにかなくなってて‥‥。きっと、このハンカチのししゅうに、かわったんだよ」
「ふーん。このハンカチには、そんなできごとがあったのかい」
おばあちゃんは、ふんふんとうなずきながら、かんしんしたように、つぶやきました。それから、るみなの顔をじっと見て、
「これは、たいしたハンカチだよ。るみな、こういうものは、大切にするんだよ」
と、小さな声でいいました。
十、おばあちゃんといっしょのおふろ
その夜。るみなは、ひさしぶりに、おばあちゃんといっしょに、おふろにはいりました。
二人でゆぶねにつかりながら、るみなは、昼間のできごとを、すっかり、おばあちゃんに話して聞かせました。
色や毛なみのかんじが、くま太によくにた、くま太ズボンをはいて、きつね山に行ったこと。きつね山でであった女の子といっしょに、斜面でソリすべりをしてあそんだこと。そしたら、知らないあいだに、くま太ズボンが、ボロボロになってしまっていたこと‥‥。
おばあちゃんは、だまって、るみなの話を聞いてくれました。
「わたし、ぜーんぜん、なっとくできないんだよ。どうして、くま太ズボンがボロボロになってしまったのか。だって、わたしはズボンをよごさないように、ずっと気をつけていたし、ダンボールのソリにのっていたんだよ。それなのに‥‥。家に帰ってみたら、ズボンはボロボロになってしまっていたの。だから、かなしくて、くやしくて、はらがたつんだよ!」
るみなは、むっと口をとがらせ、顔をまっ赤にして、話しおわりました。そして、ふたりは、おふろからあがりました。
るみなの体をバスタオルでふきながら、おばあちゃんが、ぽつんとつぶやきました。
「ソリにのっていたのに、あれほどズボンがボロボロになるなんて、たしかに、ふしぎでおかしな話だよ。でもね、おばあちゃんは小さいころ、にたような話を聞いたことがあるんだよ」
「なあに?」
るみなが、おばあちゃんの顔を見上げると、おばあちゃんは、声をひそめていいました。
「もしかしたら、るみなは、きつねにばかされたんじゃないかねえ」
「きつねにばかされたあ? そんなこと、ちょっと、しんじられないよ」
るみなは、ぽかんと聞きかえしました。
すると、おばあちゃんはまじめな顔で、こんなことをいいはじめました。
「むかしは、山であそんでいた子どもが、きつねにばかされるってことが、あったらしいよ。
おばあちゃんのおばあちゃんも、いっていたんだよ。子どものころ、山で、色あせた古いきものをきた女の子に会った、って。それで、いっしょにあそんで、家に帰ったら、自分のきれいなきものが、女の子の古いきものにかわっていたんだってさ。おばあちゃんは、その話をするたび、いっていたねえ。あの女の子は、きつねだったんじゃないか、ってね。だから、るみなも、きつねにばかされたのかもしれない、って思ったんだよ。
そういえば、おばあちゃんは、その女の子とあそんでいるとき、じゅもんのようなものを、なんどもいわされたらしいよ。ソリすべりをしているとき、るみなも、女の子に、じゅもんのようなものをいわされなかったかい?」
「ううん。そんなもの、ぜったい、いわなかったよ」
パジャマのうわぎをきながら、るみなは、いきおいよく首をふりました。でも、すぐに、ハッといきをのんで、小さな声でいいました。
「だけど、ソリすべりをするたびに、女の子といっしょに歌をうたったよ」
「どんな歌だい?」
おばあちゃんに聞かれて、るみなは、うたって聞かせました。
とりかえっこ とりかえっこ
ホーイ ホイ!
ふるい けがわと あたらしい ずぼん
ふるい ずぼんと あたらしい けがわ
とりかえっこ とりかえっこ
ソーレ ソレ!
うたいおわると、るみなとおばあちゃんは、顔を見あわせ、だまりこんでしまいました。
ふろ場から出て、おばあちゃんとふたりで、るみなのへやまで歩きながら、るみなはうつむいて、ひくい声でいいました。
「わたし、もし、あの女の子にばかされたんだとしたら、すごくくやしいよ。ソリすべりが、とても楽しかったから、わたし、あの女の子のことを、すきになっていたんだもん。あの女の子が、ほんとうに、きつね山の年よりぎつねだったら、ゆるせないよッ!」
おばあちゃんといっしょにへやに入ると、るみなは、バタンと大きな音をたてて、ドアをしめました。
十一、ししゅうのハンカチがテレビになった?
るみなのへやで、るみなは、おばあちゃんとならんでねむりました。お母さんが、るみなのふとんのすぐとなりに、おばあちゃんのふとんをしいてくれたのです。おばあちゃんのはんたいがわには、いつものように、くま太がねています。
るみなは、ねるとき、つくえのうえに、コスモスの花がししゅうされた、あのハンカチを、たたんでおいておきました。おばあちゃんに、大切にするようにといわれたからです。
そしたら、ふしぎなことがおこったのです。
ま夜中。どこからか、ザワザワと木の葉の鳴る音が聞こえてきて、るみなは、目がさめたのです。その音は、まどのそとではなくて、るみなのへやのなかから聞こえてきます。
るみなは、ふとんのうえに、そっと体をおこしました。
まどのカーテンのすきまから、大きなまんげつが見えました。月明かりで、となりのふとんで、おばあちゃんがぐっすりねむっているのがわかりました。
るみなは、キョロキョロとあたりを見まわしました。すると、つくえのうえにおいたハンカチが、ぼおっと青白く光っているのに気がつきました。ザワザワと木の葉の鳴る音は、そのハンカチから聞こえてきます。
ドキドキしながら、ふとんから出て、つくえのうえに、そっとハンカチを広げてみると‥‥。
ハンカチのうえに、まるでテレビ画面のように、昼間ソリすべりをした斜面がうつっていたのです。コスモスの花のししゅうが、テレビのスイッチみたいに、ぽおっと赤く光っています。
ハンカチにうつっている斜面も、夜でした。ちょうど、今の光景なのでしょう。空には、るみなのへやから見えるのとおなじ、大きなまんげつがうかんでいて、斜面や、山の木ぎを、青白くてらしています。ハンカチが青白く光っていたのは、月の光がこぼれでていたからなのでした。
イスにすわって、斜面のうえをじっと見ていたら、小さなひとかげが、歩いてきました。
(だれだろう?)
目をこらして、顔をハンカチに近づけると、ひとかげが、くるりとこちらをむきました。そのしゅんかん。
「あっ!」
るみなは、思わず声をあげました。斜面のうえに立っていたのは、昼間、いっしょにソリすべりをした、あの女の子だったからです。
ハンカチのなかの女の子は、にこっとわらうと、まっすぐるみなを見て、しゃべりはじめました。
「あんたとあそんで、とっても楽しかったから、あんたには、ほんとうのことを話すよ。
あたし、じつは、このきつね山の年よりぎつねなんだよ。
きょうは、あんたのズボンをボロボロにして、ごめんね。でも、ここから山三つぶん遠くの、月見山にすんでいる、まごむすめのツネコが、おもいびょうきになってねえ。あたしに、とっても会いたがっているんだよ。
だけど、あたしは、年をとって、もう、山を三つもこえられない。こまりはてていたときに、わかいきつねのけがわみたいに、ツヤツヤでフカフカのズボンをはいた、あんたに会ったんだよ。
あんたを見て、あたしは、すぐに、思ったね。あんたのズボンと、あたしの古いけがわをとりかえたら、わかがえって、山なんて、ひとっとびじゃないか、ってね。それで、わるいとは思ったけど、とりかえっこの術をつかったんだよ。
じゅもんの歌をうたいながら、ソリすべりをするたびに、少しずつ、あたしのけがわと、あんたのズボンは、とりかえられていった。おかげでほら、このとおり!」
そういうと、女の子は、ポーンと、とびあがりました。そして、空中で、くるりと一かいてんしたときには、もう、金茶色の体の、わかわかしいきつねに、かわっていました。
あまりのことに、るみなが、おこるのもわすれて見ていると、
「ありがとう! おれいをおいていくから、見ておくれよ」
と、ひと声ないて、きつねは月見山にむかって走りだしました。まんげつにてらされたその体は、色といい、毛なみのかんじといい、まさに、るみなのくま太ズボンです。そして、月の光にキラキラかがやくフリースのけがわのきつねは、ほれぼれするくらいうつくしく、ゆめのように、ふしぎなかんじがしました。
(わたしの、くま太ズボン‥‥。
きつねのけがわになった方が、うんと、すてきだよ‥‥!)
るみなは、うっとりと思いました。
キラキラ光るきつねのすがたは、だんだん小さくなり、やがて、山のなかにまぎれて見えなくなりました。すると‥‥。
斜面のうえに生えていたコスモスの、すべてのつぼみが、ゆらりとゆれ、いっせいにさいたのです。
「わあ、きれい! きつねの女の子がいっていたおれいって、これだったんだ!」
でも、るみながそうつぶやいた、つぎのしゅんかんには、ハンカチは、ただの白いぬのにもどっていました。テレビのスイッチのように、赤く光っていたコスモスの花のししゅうも、ただのししゅうにもどっていました。
十二、あしたが、楽しみ!
「おばあちゃん、おばあちゃん! ねえ、おきて!」
るみなは、むちゅうで、ねむっているおばあちゃんのかたをゆすりました。
「るみな、こんな夜中にどうしたんだい?」
ふとんのうえに、おきあがったおばあちゃんが、ねむそうに目をこすりながら聞きました。
「おばあちゃん、あのね、ついさっきまで、たいへんなことがおこっていたんだよ‥‥」
るみなは、こうふんして、つっかえつっかえ、さっき、ハンカチのなかでおこったふしぎなできごとを話して聞かせました。そして、さいごに、声をはずませていいました。
「おばあちゃん、フリースのけがわのきつね、すごくきれいだったよ! それから、おれいのコスモスの花も、すごくきれいだった!」
すると、おばあちゃんが、
「おや。るみなは、女の子にばかされたことや、くま太ズボンがボロボロになってしまったことが、ゆるせなかったんじゃないのかい?」
と、聞いてきました。
るみなは、ちょっと考えてから、おばあちゃんの顔を見上げ、きっぱりといいました。
「なにもかも、みーんな、あんまりきれいでふしぎで、もう、どうでもよくなっちゃった。
それに、びょうきのツネコちゃんのことを知ったとき、わたし、ばかされてよかったあ、って、思ったんだ。ツネコちゃん、早くおばあちゃんに会えるといいなあ!」
おばあちゃんの顔が、くしゃくしゃのえがおにかわりました。
「そうかい。よかったよかった」
そういって、おばあちゃんは、ギュッと、るみなをだきしめてくれました。
ふとんにはいってから、るみなとおばあちゃんは、あしたの朝、学校へ行くまえに、いっしょに、くぼ地に行くやくそくをしました。きつねのおれいの、まんかいのコスモスの花を見にいくのです。
「おばあちゃん、あしたが楽しみだねえ」
るみなは、ねむそうな声で、おばあちゃんによびかけました。
「ああ、楽しみだねえ。早くねむったら、早くあしたが来るよ。
さあ、おやすみ、るみな」
「おやすみ、おばあちゃん!」
(了)
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