見出し画像

自分の過去や本懐、これからの生き方に想いを馳せる話

■ 最近のわたしの内からは解放感にも、諦観にも似た無力感があふれ出ていて、これが良くも悪くも、あらゆる物事を積み上げる手を止めてしまっている。
これまでの生涯、見えそうで見えなかった自分の本懐に気づいた気がしてしまったから。


■ 去年の8月ごろ、職場の部署で色々あって、精神科の転院を勧められた結果、ADHDの診断を受けるに至った。
問診には未就学児の頃にまで遡る、生きた過去を尋ねる内容が多数あり。どうにもこうにも、その時からしばらくわたしは過去辿った選択や、見た景色の事ばかりを考えていた。

■ 実家の両親は、よくお酒と薬に溺れて酩酊を繰り返す人だった。ひどい時にはその事で警察沙汰を引き起こし、大人らしからぬ面倒をかけてしまう程だった。子供心ながら「こうはなりたくない」と強く決意したことを、今でもよく覚えている。
彼らは自分の悲しみや希望、歩きたい道を表現する言葉を持たない人だった。言葉が無いから、自分の悲しみや絶望を推し量れない。推し量れないから、そのイメージはどんどん膨らんで重たく自分にのしかかってしまい、本当に起こった事実以上に痛ましい物のように感じては、余計にお酒や薬に逃げる口実に化けてしまう。家の中では、毎日のようにこちらに愚痴を吐かれた。同じような内容・同じような展開。何度も何度も。しかし、こちらが同じように言うことは決してできなかった。わたしがするように寄り添ってはくれないことを、よく知っていたし、実際に寄り添われなかったから。
そもそも彼らは、家の中に余り居なかった。借金の督促電話を、そうと知らず取り続けたこともあった。そんな家で『食べさせてもらっている』以上、家の人間が揃う時間は、わたしが彼らに寄り添う事しかできなかった。生きていくために。
思うまま甘えられている他の子が、綺麗でかわいい服に包まれている他の子が。甲斐甲斐しくお世話されているテレビドラマの子供が。すごくすごく羨ましかった。もう少しだけでも、『子供』でいたかった。
言い換えれば多分、無力でいたかった。

『言葉』に対して意識を強く持ったのは、この事からだった。

■ 自分の問題は、自分で解決せざるを得なかった。
自分の内に湧き続ける疑問は、自分の言葉や意識で導かざるを得なかった。
これを生涯で繰り返し続けていると、いつの間にか頭の中で絶えず言葉が流れ続ける悪癖が出来上がってしまった。まるで他の人格がそこにあって、自分と共に思考をしてくれているかのように。

■ とにかく、家から離れたかった。
そんな思いで学や技術を積んで、ようやく社会人になれた。
でもある日、社会人になって間もないころ。手ひどく壊れてしまった。
食べたり飲んだり眠ったりどころか、喋ったり動いたりすらもできないほどに。この時のわたしは、小さい子供未満だった。
この時のわたしの頭はずっと、何かを考えようとした瞬間「分からない」「知らない」と言った言葉を絶えず洪水のようにこちらに浴びせてきて、随分と苦しんだ事をよく覚えている。「今日は何を食べようか」「雨が降るかもしれないな」などと言った、そんな些細な思考にでさえ。「分からない」の洪水は降り続けた。

■ なんとかそれが落ち着いたころ、たまに思うことがあった。
「何をきっかけに壊れてしまったんだろう」と。
そのイメージがなかなか掴めないでいたことが、わたしにはとてもヤキモキすることだった。だってこのままでは、あれほどなるまいと誓った『言葉を持たない』実家の両親たちと、同じような人間と化してしまうのだから。
わたしの中に起こったことは過大に膨らませたくも無かったし、過少に矮小化したくもなかった。あるがまま、なぜそうなったのかを知ることで未来の糧にしたかった。自分を本当の意味で救うのは、自分しかなりえないのだから。

■ 「不安定な自分について、言葉で表す練習をしたい。」
このnoteが始まったきっかけは、そんな疑問を明るみにしたい思いだった。
「自分が本来なりたかった姿ってなんだったのだろう。」
VRChatの世界を知って少し経った頃、そんな考えを良く持つようになった。

■ 何度も何度も、このNoteで書き続けてきたことだけど。
当ても確証もない未来を考え続ける事は、それだけで脳のリソースを大きく占有する非効率な思考であり、自分で自分の首を絞めていくような疲れを次第に及ぼしていくものだと、そう強く思っている。
沸き立つ感情は煙のようなもので、少し目でも目を離すと元の形を保っていられなくなる。
だから、言葉という形ある器に閉じ込めて、自分がその時感じたものがなんだったのか。譲れないものは何で、歩み寄れるものは何なのか。正しく思い出せるようにしなければいけない。この文章だって、そのためにある。
自分の内から出てくるその『器』は何なのか。どんな形なのか。そして幾つあるのか。色は。匂いは。肌触りは。その姿を観測したいから、わたしは懸命に。あるいは闇雲に。VRの世界の中で、様々な相手や場所に潜り続けた。
望んだ形の『親』や『師』がこの先現れないのなら、周りのあらゆるものから少しずつ。それを見出せばいいと思ったから。

■「もうなんでもいい。とにかく優しくされて救われたい。」
その気持ちを癒して貰っていたある場所で、癒しを与える側も苦悩の果てに、愛をこちらに分け与えていることを学んだ。
「"女の子の体"を愛されているってことは、"わたしそのもの"を愛されてるのかもしれない。」
恋愛フィクションドラマで見るような錯覚を覚えて、不安定に誰かを求め続けたり、人格がぐねぐねと変化し続けたりした。
そして仮想世界にいても、相変わらず文章を書き続けていた。
先述したような『器』を象って、大事に飾っておくような文章を。
ある日、そんな文章をきっかけにして、まるで物語で二人の人物が運命的な出会いを街角でするような。そんな奇跡的な出会いがVRの中であったりもした。ここからさらに、わたしの観測できる世界は広がった。

■「あなたは水のような人だね。」
過ごす時間の中で、良い意味と悪い意味、それぞれで何度か言われることがあった。
良い意味では『入ってきた色を余すことなく優しく包んで活かせる人』として。悪い意味では『器が無ければ己を保てず、無重力下では自己批判で小さくなり続ける人』として。
どちらの言葉も、大事に覚えておきたいと思った。

■ 「言葉も人柄も暖かい人だね。」と言われることがあった。
「何を考えているのかわからない。」と呈されることがあった。
「君には是非幸せになってほしい。」と包まれることがあった。
「実のとこ、君は人生どう生きたいの?」と怪訝がられることがあった。
沢山の時間と人が、そうしてもやのように曖昧に漂う『わたし』という姿に対面して、あらゆる角度からイーゼルを置き、キャンバスにスケッチをしていくように。その実態を明らかにしていく。
わたしの根源にあったひとつの本懐が、少し見えてきた気がした。

わたしは、受け入れたかった。
随分長い間、子供の頃から祓えなかった欲求を抱えて生きるこの姿を。
わたしは、拒みたかった。
社会の中で関わる人に『親』を見ては、彼らが望む姿に染まろうとする自分の側面を。

■ 社会の中で何度かしてしまった休職。失敗の一因は、そこに大きくあった気がする。
自分の人生の中での最優先事項は、自分の欲よりも『家から離れて自分一人の安全な環境を作る事』だった。
ようやくそれができた頃、ふと市井の人間と同じく。"自分の幸せ"や"自分の人生"に向き合わされる展開が訪れる。
でもこの頃のわたしには、それが何なのかまるでわからない。

わからないから、それに近い価値観。長い間頭で培われた次善の価値観がそれに代替してしまった。
例えば会社の上司に。例えば先輩に。例えば一般的な社会の価値観に。
彼らに『親』のロールを重ね合わせて、彼らの求める姿に染まり切ることを幸せだと思うようになってしまった。

■ だから、上手く行くとこの上ない幸せが訪れた。
この繰り返しで、『自分一人の安全な環境』がより強固になる気がしたから。
だから、失敗すると計り知れない絶望が訪れた。
せっかく培った、『自分一人の安全な環境』が崩れるかもしれないから。

失敗が続いた場合、その焦りが自分の特性に悪くかみ合ってさらなる失敗を生む。そうして気づいたら疲れ果ててしまって、職場を離れてしまう結果につながってしまう…実態はそうだったんじゃないかと、今は思う。


■ その事にようやく気付けて、すごく楽になった。
ままならない自分を受け入れられているという、そのこと自体もそうだけど…

自分の作ったあらゆるものが、どういった心理で突き動かされていたのかをよく理解できたから。
『世の中』に自分を迎合するための文章を、無理に書き続ける必要がなくなったから。
そして…

自分の弱い姿を自罰して、『望ましい姿』にするための思考を絶えず走らせて、自分を疲れさせなくても良くなったから。


■ これからの人生は、もっと違う気持ちで。純粋で前向きな気持ちで何かを書いたり作ってみたい。なんだかんだ言って、技術や表現で夢を見ることは好きだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?