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誰が為に12.8秒は鳴る

Easy Strand / Swimming Tapes (2018)

ギターポップが青い理由

プール・サイドや廊下が青春映画のルーティーンとして設置されるのは、再現性のなさという観点からも理に適っている。ムービーマヨネーズだってそう言っているし。Thin LizzyかThe Knackで幕が開けたら廊下を通って、クライマックスには水に飛び込むのがセオリー。それがきっと青い春。

じゃあなぜ、ギターポップはなぜ青いのか?

Swimming Tapesの"Easy Strand"は一聴して惚れたのだけれど、その理由は単純なようで根が深く思えた。ジャンル的にも内向的なアティチュードでいながらクリストファー・クロスのように目抜き通りを歩くAORみたいな歌声がズルすぎる、そんなことは周縁でしかなく、この曲は『なぜギターポップ(もしくはトゥイーポップ、ドリームポップ、シューゲイザー...ジャンル名はどうでもいい)は「若さ」「不可逆」と近しい文脈で語られることが多いのか?』という長年の疑問を再び、爽やかで涼しげな顔で突き付けてきた。

"基本的に似た構造"

この世の音楽のすべてはラブソング、みたいなことを少し前に有名なアーティストが語っていた。まあ多分そうなんだろうなと思う。基本的に人の言いたいこと・表現したいことは同じだ。ファズを踏む瞬間だってドロップに至る瞬間だって、ミツメの多くの曲がアウトロの宇宙に入り込む瞬間だって、似たような高揚を帯びているのだろう。下を向いてエフェクターを見ているか腕を振り上げてオーディエンスか空を仰いでいるかの違いくらい。強いて言うならエロス・アガペー・フィリアくらいの差はあるかもしれないけれど、まとめると愛だ。
それにしてもギターポップは他のジャンルと比べて圧倒的に「若い」。少なくとも僕が思う限り。そして完全なる主観だけれど、その鍵はイントロの、「 32拍(あるいは64拍) 」にあるのだと思う。

リズムギター、ドラム、ベースが土台を作ったら、その頭上でリードギターがリフを数回繰り返す。あのはじまりの時間に何かが潜んでいる。

ファズを踏んでアウトロに向けて疾走していくところも醍醐味だけれど、誰にも邪魔されない甘美なイントロこそギターポップを青春の文脈に乗っけているのだと個人的には感じる。

12.8秒の間に僕たちは

32拍(早いテンポの場合は64拍)のイントロは常套なので、ギターポップ特有のものではない。言ってしまえば「ポニーテールとシュシュ」「Everyday、カチューシャ」なんかも同じ構造だ。じゃあアイドル・ソングでMIXを打つ時間——ギターポップ・ソングのイントロが鳴り響く時間に、僕たちは何をしているのだろう?

BPM150の場合、32拍で12.8秒/64拍で25.6秒。「ギターポップ=青春」とい勝手な公式を元に乱暴に結論に持って行くと、やっぱりこの時間、僕は「 前口上を映像で観ている 」。演歌や歌謡曲の前に差し込まれるナレーションのようなものを、極私的な走馬灯のように脳内に映し込んでいるのだと思う。

あのイントロの口上で、ポピュラーソングが一瞬で僕たちのものになり変わるように。

スターやディーヴァの力によって圧倒的に歌い手に感情移入が出来るような詞曲は多く存在しているが、圧倒的に主語をリスナーに委ねてくれる詞曲もある。それが僕にとってはギターポップ/シューゲイザーなのだ。これはルーツとしてサウンドスケープの考え方が存在するという主観的前提ありきだが、詞的表現よりもその音像に重きをおいたサウンドデザインは、良い意味で最高のAR芸術になるのではないかと。滝のような音を漂うくぐもった声たちは自然と、僕たちをそのサウンドスケープの主人公にしてくれるの、かもしれない。

ロネッツとアメリカングラフィティと

結論が朧げなまま、勢いで「ギターポップが青い理由」を考察してみる。

Happy When It Rains / The Jesus and Mary Chain (1987)

名前は付けなくてもよいけれど、この「 美し過ぎる32拍 」が確立されたのはこの曲からなんじゃないかと個人的には考える。ノイズ×甘いメロディがどれだけ人を綺麗で残酷な渦に巻き込んできたか。

そしてジザメリと言えば"Just Like Honey"のイントロがThe Ronettes "Be My Baby"だということは有名過ぎる話だし、彼らのルーツのひとつとして60’sポップスがあることは明白だ。( 轟音の中でひそひそと甘い言葉を囁く、このケミストリーはちょっとした発明だと思う )

Do I Love You? / The Ronettes (1964)

そんなことを考えながらロネッツのこの曲を聞いてみる。イントロの13秒〜からの32拍を聞いてみると、ギターポップの母はロネッツ(もしくはドゥー=ワップ)なのではないかという結論に辿り着く。イントロの構造的なことはもちろん、シンプルでストレート愛を歌っていること、そしてフィル・スペクターのプロデュースという事実がその仮説の背中を押してくれている。ロネッツこそ含まれていなかったと思うが、「アメリカン・グラフィティ」を彩るオールディーズたちのことを思い返すと、戦後の人間・若者とたちの青い恋愛事情によくマッチする通奏低音は確かに存在するのだろうと思う。

轟音の中で忘れることもあるけれど、彼らも基本的にはシンプルな気持ちを歌っているの。

ジザメリがギターノイズと「 靴を見る 」いうスパイスを加えて、深い渦の中でポピュラリティを得て僕に辿り着いたギターポップ/シューゲイザーたち。なぜか青くてなぜか好きな理由は案外、ポピュラー・ソングの始まりに端を発しているのかもしれない。


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