1+1=?
1+1=2
幼稚園から小学校のころ、わたしはこの最も簡単な算数の問題にうまく答えることができず大変苦しんでいました。
こんな話をしてもきっとほとんどの方にはいったい何がわからないのかわかってもらえないと思います。
当時のちっさいわたしの持論はこうです。
たしかに豆1つぶあるところにもう1つぶ豆を持ってきたら2つぶになるかもしれない。
でも粘土だったら、1つと1つを一緒にすると大きな1個ができます。
ある人は言いました「粘土がひとつになったように見えても重さは2倍だ」
とある人はこう言いました「屁理屈をいうんじゃありません」
またある人が言いました「この場合余計なことは考えずただ2であると覚えなさい」
幼児だったわたしは、こねてひとつになった粘土の塊を見ながら「じっさい1+1が1になった例がここにあるのに、どうしてみんなこの具体例から目を背けようとするのだろうか」と悲しい気持ちになったのでした。
わたしは別に1+1が2になることを認めたくなかったわけではありません。
それ以外のことも起こりうる可能性があるのに、みんな見て見ぬふりをするばかりで、そのことについて多くの人とで考え、話し合う機会を持てなかったことに納得ができなかったのです。
まあそれは哲学で、数学はそのような考えに基づくものではないと言われれば話はおしまいなのですが。
ちなみにわたしにはお金の価値も(多分みんなと同じようには)よくわかっていないと思います。
もちろん大人だし人間社会で生活するうえで必要なシステムであることは理解しているので、働いて稼ぐこともできるし当然のように使用することもできますが、お金じたいが素晴らしいものであるという実感はありません。
言ってしまえばハンコ押してもらうポイントカードや5枚集めるとガラガラ回せる福引きの券とたいして変わりはありません。
だってお金って概念です。
世界じゅうのみんなが「お金は物と交換できる価値がある」という共通認識を持ってはじめて成り立つものであって
わたしらが使っているあれは紙です。
例えばとても悪い人がお金を盗むとします。
でも悪い人はステキなおじさんが印刷された紙が欲しいんじゃない、本当ははその紙と交換できる何かが欲しいのです。
そんなにも悪い人なのに、なぜ欲しいものを直接奪わず、人間のつくったルールにちゃんと従ってわざわざいったんお金という段階を踏むのか???
わたしには本当に意味不明です。
それとも他の全ての人間が生まれながらに数字を理解し、お金に価値を感じているのなら、
やっぱりわたしは人間として重大な欠陥のある生きものなのでしょうか。
願うことなら山に帰って野に放たれ、何にも縛られずに野生の生き物として自由に生きていきたいけれど、残念ながらわたくしは人間に生まれてしまったので、少なくても今世では死ぬまでこの致命的価値観の違いを抱えたまま人間の社会でうまく生きていかなければなりません。
それなりの学習能力はあるので、以上のような自分の主張を押し通さず、面倒を起こさず、悪目立ちしないように生きることはできると思いますが
心の奥底では首をかしげたままあと何十年かこの世界で生きて死んでゆくのだと思います。
今わからないことでもできればいつか理解したいわたしは、ものごとをいっぱい観察しなければなりませんでした。いろんな角度からいろんなものを見なければ他の人には追いつけないでしょう。
ありがたいことに世界はわたしの知らないことを知っている人だらけです。
全てのひとが、なんらかのジャンルで、わたしの知らないことを知っています。
大事なことも面白いことも悲しい現実も温かい何かも。いろんな人のいろんな視点が複雑にからみあってこの世界ができているのです。
もっと知りたい、もっと教えてよ
わたしにとって世界は本当に知らないこと、わからないことだらけです。何歳になっても興味がつきることはありません。
そして、もしかしたらわたし自身も何か、あなたの知らないことを知っているのかもしれません。
わたしの知識や経験があなたの視点を増やす役に立つのなら喜んでシェアさせてもらおうと思います。
わたしの知っていることを話しましょう。そしてあなたの知っていることを教えてください。あなたにとって1たす1は何ですか?
そしてこういうとき「やっぱり人間は人間で面白いのかも」と思ったりもするのです。
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