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遠くはない未来へ

ハイスタのツネさんが亡くなった。その前にはジェフ・ベックさん、YMOの高橋幸宏が亡くなった。ツネさんが亡くなる一日前には、松本零士さんが亡くなった。数日後には、笑福亭笑瓶さんが亡くなった。声優界では、飯塚昭三さんが亡くなった。

年始めに、有名人の訃報が続いている。今現在に至るまで多くの人に影響を与えた、物凄い方々。そしてこの世に残した作品は、これからも人々に影響を与え続ける。

どんなに偉大な人でも、人間だから、いつか死ぬ。ビルゲイツさんも、ジェフベソスさんも、イーロンマスクさんも、例外なく死ぬ。

そう、私たちも、いつかは死ぬ存在なんだ。どうして私たちは、その事を忘れてしまうのだろう。どうして、いつまでも生きる気がしているのだろう。どうして、このままずっと今が続いていくと勘違いしてしまうのだろう。老いも若きも関係ない。友達だろうが家族だろうが、関係ない。

…問いてはみたものの、答えは知っている。常に死に怯えていては、生きていけないから。生きている限り、生きていく為の事をしなければならない。必然の忘却。言わば防衛本能。

でも、時々、思い出さなくてはいけない大事なことだと思う。


数年前に、読書会で死生観について書かれている本を紹介した時に、こう言われた。「死について考えることは、無駄だ。」と。

もしこの人が、死後のことを言っていたのであれば、大いに同意する。考えても仕方のないことだから。死んでみないと分からないから。でも、自分が死ぬ、大切な人が死ぬという事を考えるのが無駄だと言っているのだとすれば、あまりにも安易すぎる発言だと思う。

当時はどういったニュアンスでこの発言をしたのかは不明だが、今まで私は死についてずっと考えてきたので、自分のアイデンティティを否定されたようで、読書会が終わってから随分と頭を抱えた。

その時私が伝えたかったのは、自分が死ぬとき、大切な人が死んだとき、何をしなかった事を後悔するのか、という事だった。

死は、計り知れない痛みを人に与える。そしてその痛みが完全に癒えることは無い。
大切な人でなくても、ドラマで重要人物が死ぬだけでも泣くほどに辛い気持ちになる。
架空の死でも、あんなに辛い気持ちになるのに、現実に起こる死はどれほど受け入れがたい痛みか。

二度と会えないこと、伝えたかったことを伝えられなかったこと、この2つが痛みの大元だと思っている。
当たり前の影に隠していた感謝の思いは、渡すべき相手を失い、心の中でさ迷うことになる。
その形は刺々しく、事あるごとに痛みを与え続ける。


もし、あなたに大切な人がいるのなら、ためらわずに伝えておいたほうがいいです。ほとんどの人が、「いつか」という言葉に騙されて、伝えずにいることが多いです。たぶん。
直接言うのが恥ずかしいなら、手紙でもいいです。寧ろ手紙のほうが形に残るのでオススメです。私は口下手なので、遠くに住む会うことの少ない友人に、会う機会があれば手紙を書いて渡します。

過去の記事に詳しく書いています。


有名人でなくても、誰かが理不尽に亡くなるニュースを目にすると、思い起こすようにしている。どのような終わり方かは分からないが、いつか自分にもやって来るんだな、と。そして死ぬ間際の後悔を少しでも減らすために、生きていく。


今回は以上です。
目を通していただき、ありがとうございました。

P.S

因みにですが、人間が人のことを忘れる順番は、聴覚→視覚→触覚→味覚→嗅覚だそうです。
はじめの方に声と顔を忘れていくなんて、なかなか酷です。
生前の動画を残しておくのは、後々救いになるかも知れません。


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