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「星座のような世界で」Text by 李氏

world's end girlfriend "Resistance & The Blessing" (2023/09/09)

LP/CD/DL 
https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/album/resistance-the-blessing

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https://linkco.re/rAz8g4Cv


「星座のような世界で」 text by 李氏

 その名の通りworld's end girlfriend(以下weg)は長らく世界終焉を想起させる壮大な作風を貫いてきた。『Ending Story』、『farewell kingdom』、『dream’s end come true』、『LAST WALTZ』といった一連のアルバムタイトルから、ポストロック、IDM、シューゲイザー、サンプリングミュージック、ヘヴィメタル、モダンクラシック、プログレッシヴロックといった諸ジャンルを横断しながら構築される重厚でエピックな音楽性に至るまで、そのキャリアを通じて、彼はさながら世界の終わりのためのサウンドトラックを追求してきたようにも思われる。
 一方でwegの作品にはどこか子供の戯れのようなユーモア感覚が一貫して感じられるのも確かだ。1stアルバム『Ending Story』の童謡的ですらある、児戯性に満ちたサンプリング感覚はその端的な表れで、このような彼のファニーな感性はしばしばエイフェックス・ツインなどにも例えられた。さらにビジュアル面ではアルバムカバーに少女のモチーフが散見されるなど、ある種の未成熟さは彼の創作の通奏低音だと言えるだろう。
 ワールズエンドガールフレンド。世界終焉という極大的な事象と思春期の恋愛という極私的な事柄が重なり合う、歪で異様なスケール感覚は彼の仕事に独特の存在感を与えてきた。
 
 前述したwegの作家性のアンバランスさを考える上で、彼のキャリアの前提となった情報環境の変化を追うことは重要だ。そもそもwegの出発点となったポストロックやIDMといった音楽性自体がハードウェアレコーディングや楽曲制作ソフトの発達に多くを依っており、これらも大きく見れば1990年代以降大きく進んだデジタル化の文脈の上にあるからだ。
 写真、映像、そして音声といった諸メディアにおけるデジタル化は概ね1980年代に技術的に用意され、1990年代から2000年代にかけて一般化したと言える。例えば映画の領域では、『トロン(1981年)』といった先駆的事例もありつつ、実写映像とコンピュータグラフィックスを重ね合わせるVFXの手法が『ターミネーター2(1991年)』や『ジュラシック・パーク(1993年)』の商業的な大成功を経て標準化したと言われている。
 デジタル化がもたらしたのは、端的に言えば記録媒体の事後的な加工可能性だ。視聴覚情報をデジタルな電気信号に変換することによって、コンピュータなどを用いた編集・加工が広く可能になったというわけだ。そしてこのような利便性と引き換えに、メディアの記録媒体としての一次的な信頼性が損なわれたという点が重要である。写真にせよ映像にせよ音声にせよ、それ自体をもってして何かの証として受け取ることができないという状況。現代音楽の大家カールハインツ・シュトックハウゼンがアメリカ同時多発テロのツインタワーの崩落に対して「最大の芸術だ」と評したエピソードは、まさにデジタルメディア以降の現実性の喪失を物語っている。
 話題をwegに戻そう。前述の通り彼がキャリア初期から音楽性のベースとしてきたポストロックやIDMはまさしくこのような時代的趨勢を前提とした音楽ジャンルだった。Pro-Toolsに象徴される音楽ソフトを用いたレコーディング音源のデジタル加工・編集。ラップトップミュージックの別名の通り、コンピュータ上での制作演奏が十分に行える環境の確立。
 そしてwegの諸作において世界終焉のイメージが付き纏うのは、彼自身がデジタル化の技術的恩恵を受ける中で、それがもたらす世界の不確実性をどこかで感じ取ってきたからではないか。これ以上なくメディアに依存する一方で、同時にこれ以上なくメディアの真正性が問われる時代。このような不確実性が、圧倒的な現実としての、極大化した共時性としての世界の終わりへの拘りを生んだとしても不思議ではない。
 加えて制作の前提となる世界の認識のあり方が連続性や脈絡を欠いているが故に、その終わりのありようを十全な形で描き切ることができないという指摘もなされるべきだろう。前述した彼の作品におけるユーモア感覚、児戯性、未成熟はこの不可能性の文脈で解釈可能だ。
 
 このような表現の必然性と不可能性というダブルバインドこそがこれまでのwegの作家的傾向だ。
 例えば1stアルバム『Ending Story』のサンプリングやグリッチ処理を多用したブレイクビーツ的音楽性から、2ndアルバム『farewell kingdom』においてポストロックの影響下で今日のモダンクラシカルに近似する方法論を導入するなど、wegが初期の段階から音楽性の拡張に意識的だったのも主題の巨大さ故のことだろう。
 実際その後の『The Lie Lay Land』でノイズロック色を強めた彼は、ジャズを大きく取り入れた集大成的作品『Hurtbreak Wonderland』において評価を完全に確立し、2016年発表の『LAST WALTZ』ではオープニングトラックでスラッジメタル的サウンドを導入したように、現在に至るまで越境的姿勢を貫き自身のエピックな音楽性に磨きをかけてきた。
 そして同時に見過ごしてはならないのが、wegの作品において一貫して見られる、モチーフの巨大さを自ら諧謔するかのようなスタンスだ。そのような姿勢が往々にしてユーモア感覚、児戯性、未成熟として表現されてきたというのは先に言及した通りだが、これが最も明確に現れる楽曲として『Hurtbreak Wonderland』収録の「100 Years of Choke 百年の窒息」を取り上げたい。13分に及ぶ大曲である本作は、概ね3分の2程度が端正なフォークトロニカを思わせる静寂パート、残りの部分がブレイクコアにも接近する激情パートに分けられる。ここで問題になるのが終盤の箇所だ。前述の通り静から動へという定型をなぞりながら進行する本作だが、楽曲が終わりに差し掛かるタイミングで突如全体のテンションがより一層高まり、フリージャズとブレイクコアが乱れ飛ぶザッパ的ですらある異様な展開に突入する。エピックなダイナミクスを嘲笑うかのような同曲の流れには、単なる大仰さに陥らない、戯れに満ちたある種のユーモア感覚が感じられる。このような児戯性は1stアルバムから続くwegの諸作を貫くもう一つの特徴である。
 wegの作家性の変遷は概ねこれら2極の間の往還としてまとめることができるだろう。

 しかしながら最新作『Resistance & The Blessing』は、世界の終わりを想起させるエピックな作風を追求しながら同時にそれを自ら諧謔し否定する、過去の二律背反的な図式を逸脱しているように感じられる。どういうことか。過去作とも異なる今作の特徴を理解する上で、最も重要な鍵は星座のモチーフに他ならない。
 詩の中に頻出し、かつジャケットデザインの着想としてweg自身が言及した星座のモチーフ。時間も空間も共有しない天体から降り注ぐ、幾光年も隔てた光の束。それらは等しく天球にマッピングされ、人々の想像力のもとで象形化される。
 ここで思い出す必要があるのはwegの創作の時代背景としてデジタルメディア以降の世界認識の不確実性の問題があるという点だ。まなざしの先に何もないかもしれないという不安。それはまさしく、既に消失した天体から放たれた光すら感受する星座のようなものと言えないだろうか。言うならば人々は星を見るようにして生きている。
 このような混乱は、楽曲のサウンドの面からも確かめることができる。例えば1曲目の「unPrologue Birthday Resistance」において、冒頭映写機を思わせるノイズの後に同作32曲目の「Ave Maria」のフレーズが過去の記録物のように引用され、さらに2007年作『Hurtbreak Wonderland』収録の「Birthday Resistance 誕生日抵抗日」がエレクトロシューゲイズ的アレンジで再演されるとき、来るべきものが過去に配置され、過ぎ去ったものが現在に配置される時間的倒錯が起こっていることに注意せねばならない。このような操作は執拗なサンプリングやカットアップという形でアルバム中幾度となく繰り返され、各々の楽曲の時間的な非連続性を強め、アルバム全体の安定したドラマツルギーを撹乱している。
 しかしながらこれらの錯乱した作品世界を編み上げるwegの手つきに諧謔の感覚は皆無だ。現代のハイパーポップ以降のエクスペリメンタルシーンと歩調を合わせるように、ポストロック、IDM、シューゲイザー、モダンクラシック、ブレイクコアといった過去の手法をより大胆かつ緻密に再解釈しながら、145分にもわたる長大な時間を緊張感の持続として成立させる手腕はただ事ではない。
 『Resistance & The Blessing』という作品はこれまでの彼の音楽性を総括、再構成した上で極めて精密に織りなされたサウンドコラージュとして捉えることができるだろう。過去作のように単一の壮大なイメージに収斂させたりそれに対して諧謔的に反発したりすることなく、決して1つの現実を指し示すことのない今日のリアリティをサウンドの構築物として提示すること。この意味で、本作はwegの20年を超えるキャリアの中でも指折りの重要作と言えるのではないだろうか。

李氏


李氏プロフィール: 音楽ZINE『痙攣』編集長。音楽を中心に執筆活動を行う。CINRA、Mikikiなどで執筆経験があり、近年の仕事としてはGilla Bandの『Most Normal』国内盤解説などがある。
Twitter:@BLUEPANOPTICON


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