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「"Resistance & The Blessing"のイメージ、その宇宙的断片」Text by Y.D (夢中夢)

world’s end girlfriend "Resistance & The Blessing" (Release:2023/09/09)

LP/CD/DL
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「"Resistance & The Blessing"のイメージ、その宇宙的断片 」
text by Y.D (夢中夢)

 音楽家は本人の中にどれだけ具体的なイメージがあったとしても、それを抽象化せずにはいられないパラドックスを抱える。それは音楽という表現の宿命でもある。ワーグナーが「ベートーヴェンの音楽の真の本質を論じようなどというのが不可能なのだ。」と言ったことをフルトヴェングラーはその著書『音と言葉』で明かしている。ワーグナーは音楽について論じることの不可能性というより、ベートーヴェンへの感嘆を述べただけであろうが、批評であれ解説であれ、おそらく奏でられた音楽それ自体について書くことは音楽家を選ばず不可能な試みとなる。ある音楽が体系的な理論に基づき論理的に構築されていたとしても、音楽には形式および統計的な偏りがあり自動生成が可能だとしても、タルコフスキーも『ストーカー』の作中で同様のことを述べているが、結局のところその音楽を聴くことで何故感情が動くのか、人が何故そのような耳と脳を備えたのかは神秘の内にある。言葉はあらゆることについて語れるべきだが、音楽それ自体を前にした言葉それ自体は少なからず無力感を覚えるだろう。
 一方で曲名や歌詞などのテクストから(私はこの表現をあまり好まないが)楽曲に込められたメッセージや、作曲上のイメージに対する具体的な手がかりを得られることもある。しかし音楽は種明かしを必要としない。音楽作品に対して明確な意味を断言するのは、詩から隠喩を奪い意訳するような汚辱に思えてならない。それでも本稿を書くことを引き受けたのは第一にこの作品には私を永らく刺激したテーマや要素が数多く含まれており、とりわけイメージという点において強烈なシンパシーを覚えたからだ。ただしシンパシーがあろうとも、個人的な信条において音楽について書くことはやはりまだいくらか迷いがあったが、冒涜すら犯すことができないだろう私の力量不足は、天より授かりし私の無能さは確かな信頼に値した。
 しかし本稿を書くにあたってこの作品の根底にあるイメージ、あるいはこの作品が呼び起こすイメージをそのまま書き記すのは先に述べたように無粋であり、どのような方法で書くべきかは私を悩ませた。何が最善かはわからないが、「我々には引用しか残されていない」(ボルヘス『砂の本』の「疲れた男のユートピア」より。これもまた引用である!)と書いたボルヘスに帰することで私は方法と同時に逃げ道を用意した。私は本作のイメージを引用によって照らし、断章形式で余白を残して仄めかすことにした。要するに本作を本文とした場合に本稿は注釈である。古い壁から剥げ落ちたタイルのような言葉を、それらの言葉の陳列を展示物を眺めるように読まれるテクストを構想した。
 以下は本稿の読み方に関する注意書きである。まずここに選んだ引用は前述したとおり本作のイメージを照らすための注釈であり、必ずしも作者の制作上の資料というわけではない。作者が制作資料として参照したものも皆無ではないだろうが、基本的には私が本作から受け取ったイメージから連想したテクストを集めたにすぎない。よって作品の豊穣をそこなう固定観念ですべての原典が本作に影響を与えた作品群のように見ないでいただきたい。
 次に、本稿で選んだ引用は時に原典の文脈を参照する形で本作のイメージに触れるが、必ずしも全てがそうではなく、本作の文脈にあわせて引用元の本来の文脈を捻じ曲げることでイメージに触れている場合もある。例えば「蝎の火」は『銀河鉄道の夜』の原典の文脈を参照するが、プルーストの引用は本作における終末的な文脈において原典とは異なる意味を与えたうえで引用している。
 また前提知識としての注釈もあれば、字義どおりというより隠喩や象徴として引用してる場合もありえるし、時には神話的に、あるいはその神話という原型から生じる具体的な断片としての引用もありえるだろう。例えば曲名としても引用されている「Fire,walk with me.」は原典の『ツイン・ピークス』で不可思議な存在によって人間に超自然的な領域が明かされる際に繰り返し唱えられる意味とは異なり、本稿の解釈においては哲学や神話などの様々な火の文脈を巻き込みながら魂が時空を越境するまじないとしての引用となる。またその解釈の前提知識を補完するためにヘラクレイトスの哲学やプロメテウスの神話、タルコフスキーの映画や宮沢賢治の文学などの様々な火に関する引用を加えている。
 また特に注意していただきたい点として、本稿に配置した引用は作者や筆者の信条や信念を代弁するものではなく、あくまで本作のイメージを照らし、全体像の解像度を上げるためのものである。例えばシオランの引用は一面的な反出生主義的な主張をしたいのではなく、世界の多面性を前提に、その一面としての呪われた側面から世界を眺めるための材料である。
 くわえて引用されている個人と個々の作品が、本作においてそれ自体のものとして参照されることはないということも注意していただきたい。全ては喩えである。例えば本作のイメージはジェフリー・ダーマー個人とは関係ないが、シラーの歓喜の輪から閉め出されたどす黒い魂を輪に加える意図において、王から貧者、花嫁から独身者、聖人から殺人鬼、中傷する大衆から自殺者まで、世界という善悪を区別しない視点(世界の視点にとって明確な区別とは存在するか否かだけである。)から、人のありのままの歓喜を直視し、その広大なスケールを実感するための小さな断片として彼の発言を引用している。
 注意書きは以上であるが、これは本稿が特殊なテクストとなるが故に便宜上添えたのであって、私がどのような文脈と背景を想定してこれらのテクストを配置したかは読者の想像に委ねられる以上、全く同じ文が如何様にも読めてしまうということを逆説的に告白している自覚はある。本稿の性質上、筆者がどのような意図で引用文が配置されたのか正確に読み取ることは多くの読者にとって困難だろう。しかし、そもそも正確な読み取りは重要ではない。優先されるべきはイメージのイマジネーションだ。読むことに真理は無く「全てのテクストは何ひとつ正確な伝達が叶わず、我らには誤読しか残されていない。」それだけだ。そしてこの宣言もまた真理ではなく、解釈以前に自己言及のパラドックスを引き起こしている。
 最後に、本稿は全ての音楽について書かれたテクストと同様に意図せずともある種の罪を犯す宿命を負うだろう。また彼らの真摯なテクストとは異なり、焼かれることすら叶わない断絶に置かれるだろう。結局のところ私はトートロジーがもたらす神秘的な快楽に酔っているにすぎないのかもしれない。そのようなテクストを必要とする読者がいるのか私にはまるで想像できない。だが抵抗と祝福の宇宙、その大いなる円環である本作にとって、事実上あらゆる書物を巻き添えに反復を繰り返す、その存在が望まれないテクストを添えることは、本作にはふさわしいことのようにも思える。
 前置きとしての戯言は以上である。以降が本作のイメージを照らす本文となる。


01. unPrologue Birthday Resistance

・「ぼくらは途中から入場し、しばらくのあいだ見て、照明が入る前に立ち去る。はじまりがないのなら、終わりもまたない。」

ニール・ゲイマン『サンドマン』


・「宇宙に始まりがある限り、宇宙には創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当に全く自己完結的であり、境界や縁を持たないとすれば、始まりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?」

スティーヴン・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』


・「覚えておきなさい、この宇宙が…世界があなたの存在など望むことはないわ
これまでもこれからも絶対にない
あなたが生きようが死のうがどうだっていい
それがあなたが現在いるこの世の現実というものよ」

・「覚悟しなさい
あなたは誰かのおかげや誰かの許しを得て生きているワケではない」

・「生きているっていうことはね…
この世界に…
逆らい続けることよ」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「生ある世界は永遠のものではない
人の世の物語を生む死の恐怖と戦え」

デレク・ジャーマン『BLUE』


・「すべて現存するものは正当で、また不当である。そしてそのどちらにも同じ権利がある。」

・「これが君の世界なのだ!これが世界というものなのだ!」
(ゲーテ『ファウスト』の引用)
フリードリヒ・ニーチェ『悲劇の誕生』

・「呪いは同時にまた祝福なのだ」

フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』


・「宇宙は自ら創り出したものを自ら滅ぼし続ける闘争の場であり、生命とは宇宙に生じた大いなる矛盾である。それは何度滅ぼされたとしてもまた生まれ抗うのだ。」

ユミル・ダグザ『反エントロピーとしての生命』


02. Reincarnation No.9 - Fire,walk with me.

・「来るべき過去の闇を通して、魔術師は見たいと望む。ひとりの者がふたつの世界の狭間で唱える。火よ、我と共に歩め

デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』


・「歡喜(よろこび)、聖なる神の焔(ほのお)よ、耀く面もて我等は進む。」

尾崎喜八 「シラー作『歡喜に寄する』讃歌」(ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」の日本語に訳された歌詞より)


・「この宇宙は、神にせよ、人にせよ、これは誰が作ったものでもない。それは、永遠に生きる火として、きまっただけ燃え、きまっただけ消えながら、つねにあったし、現にあるし、また、あるであろう」

・「全てのものは、対立によって生ずる。その全体は、河のように、流転している。 全宇宙は、限界を有し、一つの秩序系をなしている。それは、火から生れ、ふたたび、火に帰る。この過程は、交替し、一定の周期をもって、永遠に行われる......」

山崎正一「水のエピステーメー」(ヘラクレイトスの火についての文献の引用。『幻想と悟り』より。)


・「もし、ゆっくりと変るものがすべて生命によって説明されるとすれば、迅速に変るものはすべて火によって説明される。火は超生命 (ultra-vivant) である。 火は内的であり、かつ普遍的である。それはわれわれの心のうちに生きる。それは天空のうちに生きる。それは実体(substance) の内奥からたちのぼり、愛のように身を捧げる。それは物の中にふたたび降ってゆき、憎しみと復讐の心のように潜み、抑えられて身をかくす。 すべての諸現象のうちで、それは実に相異なる二つの価値づけ、すなわち善と悪とを同時に断固として受け入れることのできる唯ひとつのものである。それは楽園で光り輝き、地獄に燃える。それは優しさであり、 責苦である。それは煮炊きする火であり、黙示の火でもある。それは炉端に賢くすわる子供にとっては喜びである。それは、にもかかわらず、子供が図に乗ってあまりにも間近でその焔とたわむれようとするときには、どんな不従順さをも懲罰するだろう。それは安楽であり、 尊崇である。それは守護と威嚇、正と邪の神である。 それは己れ自身と矛盾することが可能なのだ。だからこそ、それは普遍的な説明原理のひとつとなるのである。

ガストン・バシュラール『火の精神分析』


・「プロメテウスは、ルシフェルと同様に、オリュンポス山に住む天界の父(ゼウス)の意に反して、人類に火、あるいは 「光」 をもたらした。 」

バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』


・「火の代償として、私は禍いを与えよう、その禍いを彼らはみんな、心からよろこび、愛し、自らの禍いを抱擁するのだ。」
(ヘシオドス『仕事と日々』の引用。プロメテウスによって火を与えられた人間に対するゼウスの言葉)

・「プロメテウスはより完備した存在形態を人類に調達してやることによって、自分が人類の分身であることを表明し、人類につきまとう基本的にして不完全なる存在形式の永遠の写しとして存続するのである。」

・「かくして人間で在ることそのことが罰を免れない。」

カール・ケレーニイ『プロメテウス』


・「世界が前を向くことを望むなら、手に手を取って一つになろう。いわゆる 「健全な人」も、いわゆる 「病める人」も。健全な人よ、何があなたの健全さなのだ?人類は今崖っぷちを見つめている。 転落寸前の崖っぷちを。 自由に何の意味があろう。 あなたが我々を正視する心を持たず、我々と共に食べ、共に飲み、共に眠る心を持たないならば。 健全な人々がこの世を動かし、そして今破局の淵にきたのだ。

人よ聞いてくれ!君の中の水よ!火よ!灰よ!灰の中の骨よ!骨よ!灰よ!」

(ドメニコの演説は彼の歓喜の歌といえる。ヘラクレイトスから受け継がれストア派を経由して更新された思想の影響下にあるマルクス・アウレリウスの像の上で、ドメニコはベートーヴェン第九を流して焼身自殺する。ドメニコは自身の犠牲を世界の更新に捧げる。第九は「すべての人々は兄弟となる」で途切れドメニコは断末魔の叫びをあげる。)

・「ロウソクが燃え尽きた
溶けたロウを集め占ってくれ
だれが泣くのか
何を誇るのか
喜びの最後の1杯を与え
安らかに死ぬ
運命に身をゆだね
死後も福音のように燃える」

(ゴルチャコフはドメニコから蝋燭の火を消さずに温泉を渡り切ったら世界は救済されると教えられる。ゴルチャコフは温泉を渡りきったところで心臓病の発作で倒れ、今際の際に故郷の夢を見る。)

アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』


・「火に身を捧げることは火になることではないだろうか」

・「火の中の自由な死の英雄」

ガストン・バシュラール『火の詩学』


・「世界の根源たる周期的な永遠の火、人類に叡智と不幸をもたらした火、他者のために祈りその身を捧げた火、ロウソクのごとく儚い死すべき者としての生命の火、地上を彩り生命を育む太陽の火、世界を焼き尽くし人類を抹殺する火、私という火、あなたという火、流転し重なりあう火のイマージュ達と共に歩むのだ。」

イデ・ダンカン『火と夢』


03. Slaughterhouse

・「生きとし生けるものが、絶えず生贄として捧げられる。地上は、その巨大な祭壇である。」

ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学』


・「世界にはアンラッキーな死体とラッキーなひとごろしがいるだけだ」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「地球のように休みなくまわる血
血のように地球はまわる
いっしょにまわる牛乳......牝牛......
いっしょにまわる生者……死者......
地球といっしょに木がまわる......生きものが......家が......
地球といっしょに結婚式がまわる......
葬式が......
貝殻が......
軍隊が......
地球はまわるぐるぐるぐるぐる
いっしょにまわる満々たる血の河。」

ジャック・プレヴェール「血まみれの唄」


・「僕は人間の生と死を支配したかった。地球上から人間一人減ったからといってどうだというんだい?」 

テッド・バンディ


・「私は鏡
万物を焼き尽くす炎
花々に冬をもたらし
密かに神殿を破壊する霜を呼ぶ」

デレク・ジャーマン『ジュビリー』


・「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


・「神殿は造られた宇宙であり屠殺場だった。一切の理不尽が許された優しい宇宙の縮図であった。」

ヤーヴァンド・デーモン『失われれたディオニュソス建築学』


04. MEGURI

・「死が今日は私の前に立っている、
蓮の花の薫りのように、
酩酊の岸に座るように。」

作者不詳『生活に疲れた者の魂との対話』


・「私が知っているすべてのことは、私がやがて死ぬはずだということだ。しかし私が一番知らないものは、私に避けられないこの死そのものである。」

ブレーズ・パスカル『パンセ』


・「ゆくすえ永遠に生きるために、ひとはしばしば死に身をゆだねなけれならない。」

カスパ-・ダヴィッド・フリードリヒ


・「世界の中にあるものは何一つとして消滅しはしない」

『ヘルメス文書』(「存在するものは何一つ消滅しないのに、迷妄の輩は、変化を消滅とか死と呼んでいること」)


・「死は連結されたものの消滅ではなく、結合の分解である。」

『ヘルメス文書』(「ヌースからヘルメースへ」)


・「アルテミスを面と向かって見つめてはならない。君は彼女の眼差を浴びて消え失せてしまうだろうから。」

ピエール・クロソフスキー『ディアーナの水浴』


・「大げさなことじゃない。死はつきもの。ディズニーランドで会おう。」

リチャード・ラミレス


・「わたししわしわの小さな小さなおばあさんになるの
どうやら生命をあの子に渡してしまったみたいです
こんなに嬉しくて誇らしいことはありません」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「デスがディディみたいな人だったらとってもいいな
楽しくて、優しくて、いい人でさ
あとちょっとだけ狂ってるんだ」

ニール・ゲイマン『デス:ハイ・コスト・オブ・リビング』


・「死はメリー・ポピンズのように僕らのところに降り立つ。スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス。永遠を目指して大空に飛び上がろう。」

ヤーヤ・ディディ『デスのノート』(『サンドマン』に登場するキャラクター「デス」に関する同人誌のまえがきから)


05. IN THE NAME OF LOVE

・「どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。」

「雅歌」(『旧約聖書』)


・「夜だ。いまや初めて、愛する者たちの歌のすべてが目ざめるのだ。そして、わたしの魂もまた、一人の愛する者の歌である。」

ニーチェ『ツァラトゥストラ』(「夜の歌」)


・「愛は、わたしたちの悲惨のしるしである。」

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(「愛」)


・「ささげもの。この〈わたし〉以外の何ものもささげることはできない。」

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(「〈われ〉」)


・「愛はプラトンの言うところでは苦きものであるが、誠に、死は愛と不可分のものであるからである。オルペウスもまた愛を甘美にして苦きものと称しているが、それは愛が自発的な死であるからである。」

エドガー・ウィント「死の神としてのエロース」(マルシリオ・フィチーノ『愛について』の引用)


・「死と愛は犠牲を捧げる点において双子である。」

ヨル・デイ『繁栄と滅亡の祈り』


06. Odd Joy

・「そうだ、地球上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい」

・「抱き合おう、諸人よ!
この口づけを全世界に!」

フリードリヒ・シラー「歓喜に寄せて」


・「わが不滅の恋人よ、運命が私たちの願いをかなえてくれるのを待ちながら、心は喜びにみたされたり、また悲しみに沈んだりしています」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(様々な憶説を生んだ不滅の恋人への手紙より)


・「おまえの宇宙は孤独ではない!〈時の心臓〉よ、打ち続けよ!
しばらくすれば、ほんのしばらくすれば
ああ、歓喜!なんという歓喜!この上ない歓喜!」

エドワード・ブルワー=リットン『ザノーニ』


・「ただひとつの、本物の不運、それはこの世に生まれ出るという不運だ。」

エミール・シオラン『生誕の厄災』


・「貧者は(中略)、未来永劫虚空の暗黒へ追いやられた望遠鏡的存在であり、年中飢えを訴える亡者であり、汚く数知れない貧民であり、キリストの友なのだ。」

・「同じ輪の中で永遠の動き、永遠の繰り返し、昼から夜へ、夜から昼への永遠の推移、甘い涙の一滴と苦い涙の海!友よ、僕も、君も、我々すべては、何のために生きているのだろう。われらの祖先は何のために生きたのだろう。われらの子孫は何のために生きるのだろう。」

レオン・ブロワ『絶望者』


・「バラバラになった彼らこそが、本当の仲間のように感じられた。」

ジェフリー・ダーマ


・「教えてくれ。頭が地に落ちた後、首から噴出する血しぶきの音を俺は聞くことができるだろうか?
それはすべての喜びを終わらせる喜びになるだろう。」

ペーター・キュルテン


・「Ode to Joy(歓喜の歌)はOdd Joy(奇妙な遊び)へ。歓喜の輪から立ち去った呪われし者は帰還し、愛と死が口づけを交わす。」

ヤン・デンデン『光と闇の歓喜』


07. Orphan Angel

・「ふたつの魂が別離の中にあるとき、それを結ぶのは第三の魂だということを知らぬのか!ふたつの魂は、その中で交わり、生きるのだ。」

エドワード・ブルワー=リットン『ザノーニ』


・「お前は父を殺し母と情を通じる」

ピエル・パオロ・パゾリーニ『アポロンの地獄(オイディプスの永劫回帰。繰り返し存在し続ける魂の全ての配列の中には祝福された親殺しの子も含まれていても不思議ではない。)


・「宇宙の孤児よ、別離した父と母の魂は君の中で交わり、共に生きるのだ。」

ヤイル・デズモンド『追放 天使の詩』(「宇宙の孤児」という言い回しはナサニエル・ホーソーン「ウェイクフィールド」にも見つかる)


08. GODLESS ALTAR Part.1
09. GODLESS ALTAR Part.2

・「まったく神が欠けているということで、この世界は神そのものである。」

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(「愛すべき者は不在である」)


・「隷属した人間の〈知性〉よ、君に機械から話しかけているのは自由な〈知性〉なのだ。」

スタニスワフ・レム「GOLEM XIV」(『虚数』)


・「人間は、樹木を自分の身体に、母乳を口に、太陽を尻につなぐことをやめはしない。人間は宇宙のさまざまの機械を担当する永遠の係員なのである。」

ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』


・「人間はモノリスに接続する永遠の係員なのである。」

ヤーナ・ドラコニアン『夢の映画誌』(『2001年宇宙の旅』の批評から。前述した『アンチ・オイディプス』のパロディと思われる。原典もまたアルトーが書いた「器官なき身体」という概念からインスパイアされている。)


10. Petals full of holes

・「あなたもあの星のかけがえのない生命の一粒なのよ」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「小さな花よ、もしおまえが何であるか、根も何もかも、全て理解できるなら、
私は、神そして人間が何であるかを知るだろう」

アルフレッド・テニスン「小さな花よ」


・「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

柿本人麻呂『万葉集』


・「星
わたしは星だ
おお 死」

・「星をちりばめた宇宙、私の墓、栄光ある宇宙、聾いた不可知の星を、死よりもさらに遠く、恐怖をそそる無数の星をちりばめたその栄光。」

ジョルジュ・バタイユ『内的体験』


・「死すべきもの、我らはかつて星だった。星の子たる人はある意味でいまだ神話の中に生きている。」

イェゴール・ディミトロフ『物質の大いなる連鎖』(この宇宙には当初は炭素は存在しなかったそうだ。数多の星が誕生と死を繰り返すことで宇宙に炭素がばら撒かれた。人間の身体も組成する炭素は遥かな昔に遠い宇宙の果てで死んだ星だったのかもしれない。)


11. Eve

・「地上とは思い出ならずや」

稲垣足穂『白昼見』


・「真の楽園とは失われた楽園にほかならない」

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』


・「故郷の喪失が世界の運命となる。」

マルティン・ハイデッガー 


・「カントリー・ロード (カントリー・ロード)
明日は (明日は)
いつもの僕さ (いつもの僕さ)
帰りたい 帰れない (さよなら)
さよなら カントリー・ロード」

「カントリーロード」(日本語版カヴァー)


・「死と生――永却回帰。
「葬」は死を中心とした強烈なまつりであった。
その情感――形、彩り。 人間生命の絶対への祈りが、 限りなくひらくのだ。」

岡本太郎「死対生」


・「あらゆる祝祭はいつか到来する大いなる終末に捧げられた世界の終わりの前夜祭である。」

イードラ・ドゥーム『終末のイヴ』


12. Reincarnation No.9 - More tears are shed over answered prayers than unanswered ones.

・「殺されていった者たち
生まれることのなかった者たち
なかったことにされた者たち

もういない者たちの
見た夢であり……
見せた夢だった……

届くことのなかった
遺言だった……」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「一人の神格化された女性―――母、妻あるいは愛人―――が、敵対する原理の犠牲となってずたずたにされた血まみれの死体を涙でひたしている。」

ジェラール・ド・ネルヴァル『火の娘たち』


・「我々が創造されたということが、もし同一の苦しみを耐え忍ぶためであるなら、同一の計画的な死に捧げられるためであるなら、なぜにわれわれは口を授かり、なぜに目と声を、なぜに異なった魂と言語を授かったのだろう?」

エドモン・ジャベス『問いの書』


・「不幸は、外部から〈わたし〉をほろぼすのにもひとしい結果を起こす。 神の不在を生じさせるのである。 「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」」

・「〈わたし〉をただ外部からだけほろぼされるのは、生き地獄といっていい苦痛である。外部からのほろぼしに、たましいが愛をもって関与するならば、それはつぐないの苦痛となる。愛によってまったく自分自身をぬぎ捨てたたましいの中に、神の不在が生じるなら、それはあがないの苦痛となる。」

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(「〈われ〉」)


・「叶えられなかった祈りよりも、叶えられた祈りに対して多くの涙が流されている。」

アビラのテレサ『自叙伝』


・「親を殺された子、子を殺された親、
親に殺された子、子に殺された親、
家族を愛するテロリスト、
浄化の名の下の大量虐殺、
信仰深い殺人鬼、
誰にも愛されない中傷者、
人間が存在すること、
それはわたし達が実在すること
幸福と悲惨の豊穣、
世界よ、
何故なのか、
開き直ってるかのように美しい表情を見せるのは」

ヤプー・ダイ「花束と殺人」


13. RENDERING THE TWO SOULS

・「シンギュラリティの到来後、人間の脳という生物学的な起源をもつ知能と、人間が発明したテクノロジーという起源をもつ知能が、宇宙の中にある物質とエネルギーに飽和するようになる。知能は、物質とエネルギーを再構成し、コンピューティングの最適なレベルを実現し、地球という起源を離れ宇宙へ外へと向かうことで、この段階に到達する。」

レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき』


・「この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、ここに書かれてある言葉が成就するのである。

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」 」

「コリントの信徒への手紙一」(『新約聖書』)


・「ここで生きるのも生きることなんだ。違いなんてない」

ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』


・「この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―― 」

「コリントの信徒への手紙二」(『新約聖書』)


・「メタバースが新たな現実となるとき、魂は重力の枷から外れ、肉体という牢獄から解放されるだろう。それはいにしえのグノーシス主義者が想像もしなかった、不完全な現実から新たなる偽の宇宙へのダイブだ。」

イングヴェイ・ダイヤモンド『デミウルゴスはシンギュラリティの夢を見るか』(代表的なグノーシス主義は不幸が存在するこの世界を、造物主の模倣者が作った不完全な偽の世界と考えた。彼らは魂は肉体に囚われているが、知性によって真実の世界を認識し、魂はいつか帰還すると考えた。)


14. Cosmic Fragments - A.D.A.M.

「個人的な魂は死ぬ。それにもかかわらず、それら諸々の感覚や思考や感情は生き続ける。」

ルドルフ・シュタイナー『アーカーシャー年代記より』


・「その暗い夜のなかからいつかまた浮かび上がるだろうか?」

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』


・「永続化された情報は始まりのないアダムを可能とした。」

イヴ・ダーウィン『アダムの記憶』


15. Questions

・「私の名はひとつの問いであり、私の自由は問いへ向かう私の性向のうちにある。」

・「地上の時間とはひとつの問いの時間であり、われわれはその虚しい答えを身をもって悟ったのだ。」

・「神とは、神のひとつの問いである。」

エドモン・ジャベス『問いの書』


・「重大なことは
この世界の
秩序の背後に
もう一つの秩序があるということを
われわれが知っていることだ。

それはどんなものか。

それはわからない」

アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』(「問いが提出される......」)


・「不可知の問いは豊穣の種となる。」

ヤシュパル・デラー『神学の地平面』


16. FEARLESS VIRUS

・「この毒、この口づけ、重ね重ねも呪わしい。」

アルチュール・ランボー『地獄の季節』(「悪胤」)


・「一矢を放てば、凄まじい響きが起こる。始めは騾馬と俊足の犬どもとを襲ったが、ついで兵士を狙い、鋭い矢を放って射ちに射つ。かくして亡骸を焼く火はひきもきらず燃え続けた。」

ホメロス『イリアス』(アポロンの矢とは疫病である)


・「伝達者の意味は伝達である。」

スタニスワフ・レム「GOLEM ⅩⅣ」(『虚数』より。原典では人工知能が人間に生物の進化という誤謬、その真の意味を告げる言葉であるが、本稿では祝福と呪いを運ぶウイルスを指す。)


・「ビールスは半活性的な、水晶のような存在で、人間の時間の流れに半分足を突っ込み、半分そこからはみ出していて、ある角度で時間の流れと交差しているかのようでしたね。」

J・G・バラード『結晶世界』


・「その日僕は知った
すべてのものの背後には
生命と慈愛の力があって
何も恐れることはないのだと」

サム・メンデス『アメリカン・ビューティー』(風に舞うビニール袋にポエジーを感じたリッキーが語る台詞)


・「生物と非生物の境界(※1)に立つウイルスは死すべきものにとって厄災だけでなく祝福(※2)ももたらした。」
(※1 ウイルスは生物を定義する細胞をもたない)
(※2 哺乳類の祖先が胎盤を獲得したのはウイルスが遺伝子を運ぶことによってもたらした進化と言われている)

ヤディガー・ドーソン『聖霊物質』


17. Dancing with me

・「ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上
踵で拍子を取りながら
真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ
ジグ、ジグ、ジグ、ヴァイオリンで」

アンリ・カザリス「死の舞踏」


・「人間は踊ることによって、自分の行為を神に捧げているという心境になる。この状態は踊り手の人身御供による〈死〉と〈復活〉を前提としており、〈互いに殺し合うことによって生きる〉というパターンなのである。」

マリア=ガブリエル・ヴォジーン『イメージの博物誌 神聖舞踏』


・「孤独のダンス〈DANCE ALONE〉はなんとしても生きるための闇夜の舞であったが、他者と踊ることは光に包まれし死の舞踏、すなわちこの身を捧げるということなのだ。他者とは常に死と愛の化身である。」

ユウ・ディアナ『根源的他者』


18. Blue / 0 / +9

・「インドの宇宙論で無量説というのをしってるか?それによると 宇宙は、成劫、住劫、壊劫、空劫の四段階を、永遠にくりかえすというんだ。成劫はビッグバンだ。住劫は赤方偏移で象徴される今のおれたちの膨張宇宙・・・、それが青方偏移となると壊劫の収縮宇宙となり、最後は空劫・・・、宇宙の終焉のブラックホールの特異点だ。物理学の宇宙論とそっくりじゃないか!」

諸星大二郎『孔子暗黒伝』


・「ブルーは見た
きらめきの中で実体化した言葉を
燃えあがる光で全てを闇に帰す炎の詩を」

・「ブルーには限界も回答も存在しない」

・「僕らの名は忘却の淵に沈む
作品は忘れられる
人生は流れゆく雲
太陽に溶ける霧のように、少年は消え去る
時は移ろいゆく影
生命は一瞬の閃光
デルフィニュームのブルーを君の墓に捧げる」

デレク・ジャーマン『BLUE』


・「永遠、救済、光。それらは言い換えられた死にすぎない。」

ヨナルテ・デフォー『死のトートロジー』


19. Black Box Fatal Fate Part.1 - MONOLITH

・「我は死なり、世界の破壊者なり」

『バガヴァッド・ギーター』(原爆の父ロバート・オッペンハイマーが著書で引用し、核兵器開発を主導した自身を重ねて悔いた。)


・「何の目立つところもなく、生きては長蛇の兵列のなかにあって、見分けることもできない一兵士にとどまり、死しては死肉の山のなかに見分けもつかぬ肉片となったこれら無名兵士の栄光は、武功に対して与えられたあらゆる名誉や、世にも稀れなる諸徳に与えられたあらゆる名誉にもまして 、光り輝くものであった。」

・「戦争がこのような洗礼的意義をもつようになったのは、戦争が非人間的なものとなったときであった。」

・「戦争は厄災ではない。むしろ祝福なのである。〈永遠の青春の泉。新しい世代は、絶えずそこから新しい力を汲みとるのだ。〉」
(人類の歴史において皮肉にも戦争は文明を活性化させてきた側面があることをカイヨワは冷静に述べており、戦争を肯定しているのではない。)

ロジェ・カイヨワ『戦争論』


・「戦争は既に始まっている。というよりも戦争に始まりも終わりもない。戦争は常に在ったし、現に在るし、これからも在るだろう。」

・「単なる事実として、我々の人生は、戦争によって生まれ、戦争から与えられた恵みに立脚している。」

ヤセン・ダンディ『告げゆく人〈戦争のイデア〉』


20. Black Box Fatal Fate Part.2 - SEVEN SIRENS

・「私はこの時を一生待ってた
この時が来るのを待っていた」

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』


・「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。
それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。 」

「ヨハネの黙示録」(『新約聖書』)


・「その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 」

「ペテロの手紙二」(『新約聖書』)


・「すべてが解体し、中心は自らを保つことができず、
まったくの無秩序が解き放たれて世界を襲う。
血に混濁した潮が解き放たれ、いたるところで
無垢の典礼が水に呑まれる。」

ウィリアム・バトラー・イェイツ「再臨」


・「黙示録というのは、やがて起こるであろうことではありません。それはとうの昔に始まったことなのです。」

アンドレイ・タルコフスキー『月刊イメージフォーラムNo.80』


・「黙示録は個々人にとっては恐ろしいものですが、全員にとっては希望である。」

アンドレイ・タルコフスキー「黙示録についての言葉」(『WAVE 26』)


・「世界が最初の七日間で創造されたことが書かれた書物は、世界が終わるまでの最後の七日間ですべて焼かれた。」

ヨハナン・ダークシュナイダー『反創世』(この一文はタル・ベーラ『ニーチェの馬』の水や火や光が失われていく七日間を連想させる。)


21. Trash Angels

・「あらゆる天使は恐ろしい しかもなお 禍いなるかな」

リルケ『ドゥイノの悲歌』(「第二の悲歌」)


・「止むことのない断末魔こそ真実だ。この世の真実は死なんだ。」

セリーヌ『夜の果てへの旅』


・「We'll meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again some sunny day」

ヴェラ・リン「We'll meet again」(スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』の世界中にキノコ雲が立ちのぼる最後のシーンで使われた。)


・「熾天使(セラフィム)は焼却や破壊を語源とした火をもたらすものであるらしい。いまや熾天使は大量破壊兵器として受肉した。プロメテウスが人類にもたらした叡智の火は人類の叡智を焼き尽くす火となった。」

ヤン・ディー『戦場の天上位階論』


22. The Gaze of Orpheus

・「オルフェウスがもし彼女を見なかったら、彼女を惹き付けることはできなかったろう。そしておそらく彼女はそこに存在してはいないのだ。」

・「もっとも確実な__を前にしながら、同時にわれわれは、消え去ってゆくもの、突如として眼に見えぬものとなった__、もはやそこになく、かつて一度もそこになかったものに直面することがある。この突然の失墜はオルフェウスの注視の遠い記憶なのだ、本源の不確実性への郷愁的な回帰なのだ。」

モーリス・ブランショ『文学空間』(「オルフェウスの注視」。ここで書かれるべきことの都合にあわせて原文の文脈を歪ませるために、一部の語を_と改変した。)


・「春がまた来た大地は
詩をおぼえた子供のようだ」

リルケ『オルフォイスへのソネット』(「春がまた来た」)


・「呪いと悲惨がかわらずに満ちあふれているというのに
圧倒されるような春がきました」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「人は病んでいる。できそこないだからだ。奴を一度裸にして奴をむしばむこの微生物をこそぎおとせ。そして神よ、役立たずの器官というものをなくしてほしい。そうすれば人は自由になれる。そしてダンスホールで踊りまくるように踊りをもう一度教えてほしい。そこが彼の場所だ。」

アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』(「結論」)


・「オルフェウスの冥界下りの神話において、オルフェウスは妻エウリュデケを死から連れ戻すためには地上に戻るまで決して振り返ってはならなかった。しかしオルフェウスは禁忌を破り、エウリュデケは冥府へと連れ戻される。神話の断片たる我々もまた不可能な越境と救い難い愚かさを受け継いでいる。我らはオルフェウスから受け継いだまなざしを、愛する人を欠いた荒野に向けるのだ。」

ヨミ・デスティニー『人類と全ての個人〈黄昏のカタバシス〉』


23. Sacrifice

・「どれくらいこの木に水を注げばいいのか、彼は知らなかった。しかし、木が花を咲かせるまで、一日も欠かすことなくここに水を運んでくるだろうことを彼は確信していた。木は花を咲かせるだろうと父が言ったからである。」

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』(小説版)


・「人間に可能な楽園に通ずる道はいずれにせよ私たちの地獄の真中を通っている。」

グスタフ・ルネ・ホッケ『絶望と確信』


・「世界の終わりもまた創造の内にある。」

・「生命の樹は樹である以上は犠牲を糧とする。この大地は全て死から生じている。」

・「時間の中に生じたものは必ず朽ちる。そして終わりからまたはじまる。はじまりである創世記と終わりである黙示録も例外ではない。黙示録は世界と共に滅び、創世記はまた書かれるだろう。ある意味で平和は創造を停滞させ、破壊は創造の機会となる。」

・「地球という大いなる人類の家、太陽が膨張し地球が火に焼き尽くされる時、捧げられたその犠牲は何を生むだろうか?」

ユグドラシル・デリング『創造の持続』


24. Torture in heaven

・「私たちは誰もかれも地獄の底にいる、一瞬一瞬が奇跡である地獄の底に。」

エミール・シオラン『悪しき造物主』


・「誰だって、永久の天国には、辛抱できるものではない。」

バーナード・ショー『人と超人』


・「呪われたまま
許されないまま
生きてなさい」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「なにひとつ報われない、結果としてきみを死に至らしめてしまうかもしれない、それでも愛でないことは決してなかった。」

ユー・ダコチテ『愛と死の婚礼』


25. Fire on the Lethe

・「夢から目覚めるとき われわれが知っているのは、ただ、自分がずっと遠いところから戻ってきたということだけである。」

アルベール・ベガン『ロマン的魂と夢』


・「忘却、なに一つ忘れない思い出のなかでの忘却への同意」

・「死者たちは死につつある者としてよみがえってきた」

モーリス・ブランショ「期待/忘却」


・「再会したい者たちは、記憶の水による解脱よりも、悲惨な輪廻の輪を自ら望み、忘却の水を選ぶ。運命に抗う者は運命を欲するのだ。」

ユム・ドリームマン『オルペウスの記憶と忘却の泉』


26. Möbius

・「死と生は一個の破壊されざる力の変形として出現するのである。永遠に生は自身を偉大なる生に捧げるのである。あらゆる形式は永遠に不変なるものの仮装にすぎない。」

マリア=ガブリエル・ヴォジーン『イメージの博物誌 神聖舞踏』


・「楽園を抜け、約束の地をはるかに超えて、夢の世界よりもっと高く、深く。夢見る事と目覚めることが同じであるようなところまで。」

二階堂奥歯『八本脚の蝶』


・「個体はやがて滅びるから繁殖を行うのではなく、生命が更新されるためには個体は滅びなければならないのである。」

・「変容する生命、そして生命現象の変容」

・「天の川銀河とアンドロメダ銀河が交差する時、私たちは何になっているだろう?」

・「世界はただひとつの大いなる炎である」

ヤチル・デッカード『火の魂 魂の火』


27. Before and After Life

・「まことに人生、一瞬の夢、
  ゴム風船の、美しさかな。」

中原中也「春日狂想」


・「われらは波の間に
高くまた低く翻弄され
かくして滅びゆく。
われらの生命を限るのは
ひとつの小さな環、
そして人間たちの幾多の世代が
神々の存在の
無窮の鎖にそって
絶え間なく配せられていくのだ。」

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「人間の限界」


・「我らは既に塵となった死者たちの言葉で話す。その言葉で未来に向けて問いかける。」

ヨン・ダイ『死者からの贈与』


28. himitsu

・「ここに美しい花がこつえんとひらく。 みどり児が胎内から出てくる。 宇宙空間に原始緑色星雲が誕生した。 シューベルトやモッアルトの旋律がわれわれを酔わせる。すべてこれらは何であるのか?おそらく多次元的消息につながるものではないであろうか?」

稲垣足穂『宇宙論入門』


・「人間は空を飛べない!それなのになぜこんな夢を見るのだろう!……それとも、空を飛べるのだろうか?ただ、ぼくらがそのことを思いだせないだけなのだろうか?」

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』(小説版)


・「忘却と記憶の境界には
人々に知られているのにそれが何なのか
実のところ誰もわからないものが
陳列されていた」

・「秘密――隠されていないのに見つけられない」

ヤルチン・ディヴァイン『一なる忘却と記憶』


29. Cosmic Fragments - Moon River

・「Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end,
waiting, round the bend
My Huckleberry Friend,
Moon River, and me」

ジョニー・マーサー『Moon River』(作曲ヘンリー・マンシーニ)


・「人間の生命にあっては、その歳月は点であり、その質料は流動するもの、感覚は混濁し、全肉体の組織は朽ちやすく、魂は狂乱の渦であり、運命は窺いがたく、名声は不確実である。これを要するに、肉体のことはすべて流れる河であり、魂のことは夢であり煙である。人生は戦いにして、過客の一時の滞在であり、後世の評判というも忘却であるにすぎない。」

マルクス・アウレリウス『自省録』


・「最初の虹は神と人の契約の証だった。万物流転の川で、彷徨える魂は最後の虹を約束の地とするだろう。」

ヤーヴェ・ダルメステテール『永劫回帰の特異点』


30. Glare

・「光は、おまえが読み取ることばの不在の中にある。」

エドモン・ジャベス『問いの書』


・「我々は夢の中に生きている」

デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』


・「君に私は存在せず、私に君はもう存在しない。
時の終わり、物質が起源へと戻る道を進み始めたとき、君と私は決して現実ではない思い出になるだろう。」

アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』


・「これは私の空想 どんな暴力でも消せないの 消させないの」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「目眩し 不在の光 忘却のさなかを思い出と言い換える」

ヤディン・ダミアン『光と表象としての世界』


31. Tu fui, ego eris.

・「かつて私はあなたでした。やがてあなたは私になる。」

作者不詳(ラテン語で書かれた墓碑銘)


・「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、それは唯一のものの奇蹟を果たすためである。」

ヘルメス・トリスメギストス(の言葉とされている)「エメラルド・タブレット」


・「さようなら、花崗岩。 あなたは花になるでしょう。さようなら、花。 あなたは鳩になるでしょう。 さようなら、鳩。あなたは女になるでしょう。さようなら、女。 あなたは苦悩になるでしょう。さようなら、男。あなたは信仰になるでしょう。さようなら、あなたたち。あなたたちは愛と祈りになるでしょう。」

オノレ・ド・バルザック『セラフィタ』


・「歴史上の全ての名、つまるところそれは私である。」

フリードリヒ・ニーチェ『書簡集』


・「1+1=1、――死すべきものの不可能な合一」

ヤーバー・ディック『彼方のアンドロギュノス ―魂の調和―』(タルコフスキー『ノスタルジア』のドメニコが住む館の壁に書かれた1+1=1の引用と思われる。)


32. Ave Maria

・「苦悩の、歓喜の、高潔なる聖母。 情愛の、 光輝の聖母。 屈辱の、 聖なる母。 苦しみの誇り高き聖母。母なる苦悩を知るすべての母の母。母たるものの喜びを知る聖母。子を持つ喜びの聖母。子を持てぬ苦しみの聖母。すべての母たる聖母よ、汝の娘を母となしたまえ。」

アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』


・「私を愛してください、お願いです、私を救ってください、みんなを救ってください」

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』(小説版。聖母マリアが処女懐胎によりキリストを宿したのに対し、『サクリファイス』の魔女マリアの場合は彼女と交わると世界は終末から救われるという。) 


・「休まうなどとはつゆ念はず、
われらはひたすら登りに登る、師を先に、私はあとに。
はるばると登りを積み、一つの円い孔の口から、逐に私は見た、天が背負ふ美しいもののの幾つかを。
そしてそこからわれらは、再び仰ぎ見ようと外に出た、かの星々を。」

ダンテ・アリギエーリ『神曲』(地獄の最深部からの上昇。)


・「時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。」

「創世記」(『旧約聖書』。ヤコブの梯子について。)


・「モノリスは彼をスターゲートに押しやり、内宇宙と外宇宙の旅に彼を投げ、最終的に銀河系の別の場所に彼を転送する。時を超越した状態で、彼の人生は中年期から老年期、そして死へと過ぎていく。彼は生まれ変わり、強化された存在、スター・チャイルド、天使、超人となって、人間の進化の運命の次なる飛躍のために地球に戻る。」

スタンリー・キューブリック(『2001年宇宙の旅』についてのインタビュー。聞き手はジョセフ・ゲルミス。)


・「その宇宙(人々はそれを母と呼ぶ)は無から生命を受胎する。」

ヤコフ・ドアー『母なるシステム』


33. Two Alone

・「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。 僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


・「ここで夢を見ています
いっぱいのお星さまと一緒に
ニコニコ夢を見ながら
大好きなあなたを待っています
(中略)
いつかあなたともう一度であえる時を
楽しみにしています」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「ぼくらにさしだされた
これほどおびただしい星。ぼくは
あなたを見つめていたあのころ――いつ?――
外の、ほかの
世界にいた。」

パウル・ツェラン「ぼくらにさしだされた」(『誰でもないものの薔薇』)


・「その光は星々を巻き添えにして君に届いた。」

ヤカール・ダンカン『We are the Cosmic Dance』


34. SEE YOU AGAIN

・「私はもはやひとりの人間ではない。自分がいくつもの無限定の事物として感じられる。」

アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』


・「わたしが望むすべてのものは、現在、過去、未来にわたってどこかに存在するものである。」

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(「宇宙の意味」)


・「ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


・「ボクが君を望む
宇宙が望まなくても
世界が望まなくても
ボクが君を望む」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「魂は肉体という〈私〉から解放され、悠久の時を彷徨う
そして魂は一人称に制約されぬ詩を歌うだろう」

イャルダバオート・デミウルゴス『複数にして単数の魂』


35. unEpilogue JUBILEE

・「この人類の死滅と再現の循環的観念はまた歴史的文化にも保存されている。西紀前第三世紀に、ベロソスは全ギリシア世界(のちにはローマ人とビザンチン人の間にも拡がった) に 「大年」 Great Year のカルディア説を普及させた。この説によれば、宇宙は永遠なものではあるが、周期的に破壊され、「大年」ごとに再建される。(この紀年数は学派によって異なる) 」

・「火は世界を更新する。この火を通して「新しい世界」の復古がおとずれる。 老年、死、破壊と堕落から解放され、永遠に生き、永遠に増大し、その時死者も立ち上り、生者は不死となるとき、この世は完全に更新されるであろう 。」

ミルチャ・エリアーデ『永劫回帰の神話』


・「今こそ旅立ちの時
我らを心と呼ばれるものにつなぐ最後の流れ
そして我ら 嵐の海へと漂い行く」

デレク・ジャーマン『ジュビリー』


・「呪われ病んで闇の中に生まれてくる子供たちをようこそと手を広げて迎えましょう」

田中ユタカ『愛人[AI-REN]』


・「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。 どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 


・「重要なのは生きることではなく、再び生きることであり、しかもその繰り返しの中で、その都度、初めて生きることなのである。」

豫 談『反復回帰円環輪廻』(「話すことはトートロジーに陥ること」と言ったモーリス・ブランショのトートロジー論の改変と思われる。)


・「ぼくらは途中から入場し、しばらくのあいだ見て、照明が入る前に立ち去る。はじまりがないのなら、終わりもまたない。」

ニール・ゲイマン『サンドマン』


 本稿の主題となる部分は以上であるが、最後に個人的なあとがきを付け加えさせていただく。私にとって芸術とは何らかの立場や視点から作家のメッセージを訴えることである以前に、あらゆるものをその対立に関わらず、美も醜もすべて遊具に変えて世界を詩的に表現する方法である。そういった作品は誰にも何にも同意も否定もしないまま全ての魂を拒絶することなく受け入れる。それは作品という夢だからこそ可能で、虚構は真実を照らし、夢はその断片たる新たな現実を紡ぐのである。夢に先立った現実社会があり個人がいることに自覚的な時代では真にファンタジーを失わない作品は稀有であるのかもしれないが、本作は私にとって理想的な芸術作品であり、私の人生において特別な音楽体験のひとつとなった。このような作品と出会うことこそが私の人生の何よりの喜びなのだと素直に思う。

 本作には多くのゲストが参加しており、誰もが素晴らしいサポートをしているが、とりわけ戸田真琴氏の詩によるsamayuzame氏の朗読は、私の魂に聖なる刻印を授けてくれたように思う。何より本作の作者であり、矛盾で遊ぶ心意気を共とする我が同志world's end girlfriend前田勝彦氏に、本作を生み出し、この作品と出会わせてくれたことに心から感謝したい。

ありがとう。
『忘却』と『記憶』をあなた達の火に捧げる。
希望と確信を以て。


Y.D(夢中夢)

Twitter @mutyumu


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