金原 知宏

社会福祉士:お悩み相談室 goldenslumber02@gmail.com

金原 知宏

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マガジン

  • 自己紹介の。ような。

    NOTEの目的は、書籍化予定の原稿がどんなふうに周りから見られるかを確かめてみることだけれど、その手前の、自己紹介的な文章を、ここにまとめてみました。

  • 子供奮闘記

    小学1年生から6年生まで通う学童という場所で働いていた時に感じたことを綴る記録です。

  • お悩み相談室

    頂いた悩みの回答をまとめてみようと思います。 誰かの悩みが、誰かの悩みを照らすヒントになりますように。 「あなたが今日抱えた悩みは、明日の誰かの悩みかもしれない」

  • 福祉って本当にこれでいいの?

    自分を見つめ直すことが、より良い福祉を実践する第一歩になる 福祉の仕事をする上で、ほんとうに大切なものってなんだろう? よかったら福祉について一緒に考えてみませんか? https://www.amazon.co.jp/dp/4434325701

  • 福祉チャンネル

    よくわからないとか勉強したことがないという人とでも、福祉を一緒に勉強したい。そんな思いで始めました。何か質問とかあれば、どうぞ。

最近の記事

  • 固定された記事

#1「挨拶と、出発点と目標と」

――書籍用の原稿をここに投稿してみよう そう考えるまでに至った言葉を、少し整理しようと思った。 まずはNOTEのアカウントを作ってみたけれど、 なんて書こうか、試行錯誤していた頃から、遡ってみて。 さて、どうしようと、思った。 書きたいことを、書けばいいというのは、 その通りなのだけれど、 でも情報だけを書くのもつまらないし、 心情ばかりの自分語りも違う気がするし、 福祉をしている自分と 技術的な部分を語れる自分と その他等身大の自分とどのように語り分ければいいのか

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    • 音楽を深めたい

      ピアノ教室に行って、ダンスを習って、先生からは電子ピアノをすぐにでも買った方がいいのではないか、と提案はしてもらったのだけれど、私が踏ん切りがつかず。そうそう。認識のずれがあって、私は「音学」したいんだ、ということ。歌って、踊って、演奏して、みたいなトータル的に深めていきたい、みたいなのがあって、急いでどうにかする必然がないことに気づいた。でも、ペダルが必要な段階(たぶん3年後とか笑)まできたら、買っていいのかな、とか思ったり。

      • 桜について

        家の近くのすぐ公園が桜のベストスポットだと気づいた。(のに、わざわざ遠くの公園まで夜桜を見に行ったという、灯台下暗し案件)ここに公園があること、桜の木があること。全部感謝。自然発生的にこの景色は生まれたわけではないということ。こうして触れて感動するというのは、誰かの残したものが後世にいい影響を与えるということ。こういう仕事っていいなって思った。感謝。 海外に住んでる人で桜がないとか聞いたら、この桜が見れない四季なんて、絶対に嫌だと思い、永遠に日本で良いかもと思う。

        • 逆説的な孤独について

          福祉の目的って、その人に優しくするとか、受け止めていくとか、その人の人生を応援するということになるのだけれど、結局はその人の巣立ちを応援するというか。そういう在り方と、自分の在り方はオーバーラップしていて。友達探しているけれど、私は、その人の悩み事が解決されると関心を失ってしまう傾向がある。つまりは、私は友達を探しながらも、孤独になろうとしている。

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        #1「挨拶と、出発点と目標と」

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        記事

          出会いと別れの新解釈

          人が離れる新解釈。もともと縁の強度は決まっていて、その時にしかない感動とか、余韻の薄れ方とか、要は体験は永遠ではない、ということ。 そういうものを考えた時に、無理に繋がりを求めるというのは、「もともとはその時だけ」の体験を、無理させて引き延ばしているだけなのかもしれない。間延びさせているというか。その予兆のようなものが、「ズレ」だと思っていて、ずれ始めたら、「そろそろか」と思う。このなんとも修正し難いそれは、だからこそ、そういう物なのだと思っている。目の前のものは過去になりつ

          出会いと別れの新解釈

          自分の時間について

          仕事が忙しいのはわりと平気なんだけど、一番のストレスは、自分の好きなことができない、ということ。だから、頑張って早起きして、好きなことを好きなようにするわけで。逆を言えば、そういう時間が持てるだけで、けっこう頑張れたりする。つまりは、私はこの時間のために、生きているというか、日常を回しているともいえる。幸せな瞬間って、この時間帯にもしかしたら集約されているかもしれない。私が私と共に豊かな時間を過ごせているという満ち足りた感じは私を健やかにしてくれる。

          自分の時間について

          子供時代の回想

          考えてみれば、私は報われないことが多かった。仕事柄、というのもあるけれど、貸したお金は帰ってこず、寄り添えば怒りを向けられ、言うことを聞かなければ殴られる、みたいな、こうやって文章にするとヤバい感じだけれど笑 そう考えると、だいたいの人はそこまでじゃないというか。だから大体の人は私にとっていい人たち笑 いろいろ言われるけど、(言われる内容からしたら)子供時代に関わってきた人たちと比べたら全然ましだし。今の人間関係が、人生で一番幸せ。そう考えたら、子供時代の体験が、間違いなく今

          子供時代の回想

          優しさについて

          一緒にご飯を食べた人が、親とは関係が薄くて、家族との関係で何とか頑張って仕事して、サバイバルしている、という話を聞いて、前向きに頑張っているという話にうれしくなったけど、同時に、この世界ってそういうことをちゃんと配慮してやってあげられるほど優しくはない人も多いわけで、そう考えると、理不尽な世の中だな、と思う。もちろん、そういうのが関係ないところで評価されることが、平等性の担保にもなっている、というのはあるだろうし、一概に理不尽だと言ってこの社会は悪いとか、そういう話ではないの

          優しさについて

          バトンのようなものなのかもしれない

          やり取りした人が、私とのやりとりで救われていて、という話を受けて、その人は元気になって、仕事も変えて、ということをしたようで、本当に安心したんだけど、ちょうど、誰かの言葉を誰かを救うことがあるかもしれない、ということについて考えていた。まさかそのことを考えたら、そういわれるなんて、バトンというとちょっと重いけど、何か私も救われたみたいに、誰かを救うことがあるだろうか、と考えたら、なんか、生きてて、というか、一人ではない、ということ、誰かもこの世界に一緒に生きている、ということ

          バトンのようなものなのかもしれない

          8日

          昔、ベルギーにいるけど、日本が好きで日本語めっちゃ話せるみたいな人と話したとき、私が何か理不尽なことを受けていて、それを怒ってくれた、ということがあった。何がそんなに怒ることがあるんだろう、と思ったら、その人の境遇が難民的な国籍取れるかどうかとか人種とか難しい問題を孕んでいる状況にあって。そういうものもオーバーラップしての怒りだったんだろうな、と思うのだけれど 「あなたのような良い人が理不尽なことをされることが私は許せない」「幸せになるなら分かるけど」と私からするとびっくりす

          7日

          他人が離れていきそうな気配を感じた時、それは新しい出会いの前兆だと思うようにしている。と同時に、自分のことにちゃんと関心を向けなさいよ、というサインだと受け取るようにしている。私は誰か他者がいるとついついその人に関心をよせすぎてしまう。代わる事なんて、できないのにね。だからこそなんだと思う。だからこそ、できることはやってあげたいと望んでしまうのが、私の悪い癖だ。(やれやれ)ま、そんな私のことを、私は気に入ってるんだけどね笑(どうしようもない)

          6日

          私は本質的に他人を必要としていないのかもしれない。と思った。必要としていないと言うと語弊がある。他人が身近にいなくても一人の単位でタフにサバイバルできるんだろうな、と思う。一人で生きていく、というより、孤独に自立(自律)して生きていく、という意味合いで。孤独はどういう立場でも決して消えはしない、と思っていて、少なくても家族がいてもなお私は孤独だったから、この孤独感は何をしても消えることはないのだ、と悟った十代。だから私は全身全霊でこの社会でサバイバルしていくために、どうやって

          5日

          人間関係は取引だ、という言葉を見て、同意する自分がいる。そうであってほしくはないと、無償性の部分を信じたい自分もいるけれど。人間関係というものは、しがらみではあるんだけど、究極的には趣味なんじゃないか。と思う。つきつめると、人は人間関係の中で配慮をしつつも、言いたいことを言いたいように、その人の都合で言っている。だとしたら、それをどう受け止めるのも、本質的には自由なんだ、ということになる。

          4日

          モスバーガーに行きたくなって、バーガー買って、でもポテトはマックがいいから、マックを経由して、飲み物はやっぱコーラでしょ、て思って一番小さいサイズも追加して、 帰ったポテトはしなしなで、プライパンで油でいためなおして、もう一回カリカリにして、食べたんだけど、なんか、すっごい充実した時間だった。 ちゃんと食事した気がする笑 自分の好きをちょっとずつ集めるようにラインナップ揃えて、コーラは多すぎるって思っていて、Sサイズにしてこれくらいでちょうどいいって思ったし、けっこう楽しかっ

          #16「おにいちゃんの葛藤」

          学童で働いていた私が子供との関りを綴る日々の記録です。 幼稚園から小学生に上がる。担任の先生が変わる。学年が変わる。環境の変化は様々に起こります。色とりどりの変化の中で、これらに匹敵するくらい大きなものがあります。それが弟や妹ができて、お兄ちゃん、お姉ちゃんになるということ。 仲のいい兄妹を見ると微笑ましく思う反面、喧嘩に介入する際は、支援者として平等に接します。ここでは役割の殻を脱いでありのままの姿で居られる場所でもあってほしいと思うのです。 当然ですが、親御さんからする

          #16「おにいちゃんの葛藤」

          #15「お片付けのかけひき」

          学童で働いていた私が子供との関りを綴る日々の記録です。 学童では本やおもちゃが数多くあります。片付けないと、あっという間に足の踏み場もなくなるので、遊びの展開に合わせて片づけるように声をかけます。散らかりすぎると心が落ち着かなくなりますし、整っていれば気持ちがいいですが、整いすぎると管理的になり、片付いていればいい、というものでもありません。「物」も含めて、空間の居心地の良さ/悪さ、落ち着く、落ち着かない、を決める大事な要素、ということですね。 いつものように片付けの声かけ

          #15「お片付けのかけひき」