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私よりフェミニストな夫

SNSの方では告知していますが、また北海道の豊富にきています。

毎年春から梅雨にかけてアトピーが悪くなるので、すでに3月に「状態が良くても悪くても豊富に行こう」と、宿も飛行機も夫くんの夏休みもとっておきました。

去年は一応新婚なのに、同居後即1ヶ月の別居、冬にまた1ヶ月の別居と、急に決めて急にいなくなっていたので申し訳なく、早めに予定に組み込んでおけば心の準備もできるし寂しくないね、と、早めに計画しておきました。

体の方はこちらに来る前からぐんぐん治り始めていて、これはまた別途書きますが、「腸内細菌、わかっちゃいたけど、仕事柄誰よりもわかっちゃいたけど(ほんとうに!)、やっぱり重要だった」という感じです。

今年は、

  • とにかく脳を休めること

  • 脳の疲労を起こさないような仕事のやり方に整えること

  • 体力・筋力をつけること

  • ド・ペーパードライバーを返上し運転ができるようになること

にフォーカスしています。なので、5月ぐらいから休みを多く取り、豊富ではあまり仕事をしないようにしています。溜まっているウェビナーなどもみていますが、それもぼちぼちと。

その代わり、6月が終わって、7月からはエンジンをかけていくつもり。

今日は全然関係ないのですが、私がなぜ「夫くん」と呼ぶかをお伝えしようかと。

結婚当初、夫くんは、私のことを自分に従属する立場の人ではないので「奥にいる奥さん」でも「嫁」でも「家にいる家内」でもない、そう呼びたくないので「妻」と呼ぶ、と最初に言われました。

彼はいまだに私のことをさんづけで呼びます。

結婚願望もあまりなく、全くもって自分に「夫」と呼ぶ人ができるとは考えていなかった私もつられて考える。

私にとって、精神的・現実的な立場的に彼は「主人」でも「旦那」でもない。かといって、婚姻関係にあって、「パートナー」もしっくりこないので、「夫」と呼ぶことにしました。1年経って、新しい苗字には慣れたけど、そっちはまだ慣れず、「んー、夫」といつも一呼吸おいてしまい、慣れないもんで「夫くん」

海の向こうではもはや多数のジェンダーニュートラルな代名詞が存在し、ジェンダー代名詞を自分で指定するご時世で、一般代名詞の「呼び方」がものすごく取り沙汰されている中、この時代錯誤的な選択肢でほぼ占められている日本の配偶者の呼称、確かに女性蔑視のなにものでもない。すごく日本社会を表している感じがします。

海の向こうのフェミニストが日本の配偶者の呼称の「旦那」や「奥さん」がいまだにどれだけポピュラーか知ったらひっくり返っちゃうよ。

実際に自分からこだわって「妻」と言う呼び方を選ぶ夫くんはどんな感じかというと;

例えば私より上の世代の男性は、やっぱり女性が男性よりも、特に人前や仕事の場で、一歩前に行くのを好まない人が多いですが、彼は、例え私が彼より何かができたとしても全く気にせず褒めてくれます。手放しで褒めます。

仕事に関しても母に次ぐ私の応援団の一員で、ものすごく応援してくれるので、私も心置きなく仕事に集中できる。

女性のことを、単なる性の対象として見ることをとても嫌がる人で、おっさんの下世話なエロを心底嫌っています。「#Me Too」運動のことも私よりも気持ちを肩入れしてよく理解してる。私よりもはるかに女性の権利に敏感なフェミニスト。

家事は問題なくでき、自分の洗濯は自分でし、料理も半分ずっこ、掃除に至っては私より綺麗好き。脱いだ靴下を置きっぱなしにすることも当然なし。たまに取り込んだ洗濯物に使った洗濯バサミが2個ずつ至るところに置いてあるけど、そんなものは「あら、子うさぎが持ってきたのかしら」ともはやイースターエッグを探す気分程度。

去年、引っ越しで両手のアトピーがひどくなった時は、家事も料理も掃除も全部やってくれ、食後の果物をむいて食べさせてさえくれました。その習慣で今でも果物は彼がむいてくれます。何かがあったらきっと全力で守って世話をしてくれるだろう、というのが確信できる。

とにかく、私の全てをあるがまま認めて、尊重してくれる存在。

もともと外資に勤めていた時は、30年近く前から女性の管理職も多い職場だったので、男女平等な考え方の男性も多く、バリバリ働き続ける女性も多かったので、ジェンダーに関する壁はなく、男女平等があたりまえ。でも、そこから一歩出ると一般の日本社会ではやはり家父長制がとても色濃く、男女の仕事分けがされていて、無言の圧力が存在する。

確かに配偶者の一般名称にその色がまだまだ濃く残っているわけだから、ワンオペで大変な女性が多い現状も納得。

「主人」「家内」は完全に専業主婦のご家庭の呼び方で、今のご時世には合わないとは思っていたけれども、「旦那」「奥さん」はまあいいんじゃないかなと、ゆる〜く考えていましたが、フェミニズムを考える時は確かにそうじゃないよね。

特に「どうすべき」とかは思わないし、皆、自分と呼ばれる相手が一番心地よい呼び方で呼べばいいとは思うけれども、でも、その人がどの呼称を用いるかでその人と配偶者の関係性、または、その人が期待する配偶者との関係性がわかってしまうものだなぁとつくづく思いました。





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