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2019夏 三陸鉄道リアス線に乗って

2019年夏の東北旅行、2日目の記録です。

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朝早くに宮古駅を出発、三陸鉄道の片道途中下車きっぷを片手に盛方面へ向かいます。既に乗車した区間を戻りさえしなければどこで途中下車してもよい片道切符、約1時間後に後続列車もあるので途中の津軽石駅で降りてみます。特にこれと言った目的はありませんが駅の周辺を散策してみました。

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嵩上げが完了したばかりのコンクリート堤防より。津軽石川が宮古湾に注いでいます。宮古湾最奥部に位置しているため津波の波高も高かっであろうと考えられている同地域、津軽石川の左岸側は山が迫っている地形も関係して比較的被害が少なかったものの、右岸側は市街地を中心に大きな被害が出てしまったようです。被害のことを考えれば悲しい風景に見えてしまうけれど、それでも川面が空の雲を映す美しい景色を完成した堤防から眺めていれば、少しずつでも復興に向かっていることを実感できた瞬間でした。

津軽石から再び列車に乗り、次に向かったのは浪板海岸。

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せっかくだから海を間近で見たいよね、ということで海岸へ。ちょうど列車が来る時間でしたので時間をいただいて撮影させてもらいました。やってきたのは久慈行きの3両編成。しばし海を眺めて、お隣の吉里吉里駅に向かって歩いて行きます。

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吉里吉里と聞いて想起されるのは井上ひさし『吉里吉里人』でしょうか。この旅のあと、いつか読もうと思っていたのですが...なかなか時間もなく。やっと先日購入できたので、今読んでいる本が読み終わったら読もうと思っています。
吉里吉里という地名の由来はというと、一説にはアイヌ語で「白浜」の意を表す語からきているとか、鳴き砂のなる音の擬音語だとか、よくある「諸説あり」パターン。場所的にはアイヌ語地名があっても全くおかしくない地域ですので、とかいろいろ考えましたが、現地に行ってみてしっくりきたほうを由来として選んだほうが納得できそうです。が、しかし吉里吉里海岸は工事中で立ち入ることができず。またいつか来れるといいな。


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吉里吉里をあとにして釜石までやってきました。ちょうどラグビーワールドカップがここ釜石で開催される直前のタイミングでしたので、たくさんの広告が目に入ります。駅近くの定食屋さんで生姜焼き定食を食べていると、テレビから京急線の脱線事故の衝撃的な映像が。大変なことになっているぞ、などと言いつつ量の多い定食をたいらげて鉄の歴史館へ向かいました。

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歴史館には大島高任(釜石に洋式高炉を建設した人物)のキャラクターと別のキャラクターが2人で登場し、釜石の鉄の歴史について紹介してくれるコーナーがありまして。ずっとキャラクター化した大島高任が映像で案内していたのに、最後だけ本物の写真がしゃべり出した、という場面がなぜかツボにはまり、そんな記憶が一番印象に残っております...(笑)
写真は歴史館から見えた釜石湾に向かって立つ釜石大観音の後ろ姿。

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鉄の歴史館からは釜石の隣・平田(へいた)駅まで歩きます。海側の小さな工業団地を見下ろしながら坂を下っていると、釜石方面に向かう列車がやってきました。

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釜石から盛までは、元々は三陸鉄道南リアス線だった区間。震災で不通になっていたJR山田線釜石~宮古駅間が三陸鉄道へ移管され、元三陸鉄道北リアス線の宮古~久慈間を合わせて「三陸鉄道リアス線」として2019年3月23日から一貫運行が始まっていました。今回は宮古~盛間のみの乗車でしたが、いつか久慈方面も含めてゆっくり三陸鉄道を眺めてみたいと思っています。

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終点・盛に到着。実は最初に宮古から乗った列車の車内に手荷物を忘れてしまっていて、電話をしてこの駅で荷物を預かっておいていただきました。駅員さん、どうもご面倒をおかけいたしました...ありがとうございました。

さて、盛から先の気仙沼線は鉄道での復旧は困難と考えられたためBRT(Bus Rapid Transit)として運行が再開された区間に入ります。BRTに乗って陸前高田へ...と行きたいところですが、ちょっと長くなってしまいそうなので今回はここまで。また別の記事に続きます。

2019/9/5
宮古704→津軽石717-(周辺散策)-津軽石808→浪板海岸855-(吉里吉里駅まで散策)-吉里吉里1102→釜石1126-昼食-(バス移動)-鉄の歴史館見学-(平田駅まで徒歩)-平田1420→盛1507ー1525→[大船渡線BRT]→陸前高田1610-奇跡の一本松見学-奇跡の一本松1800→[大船渡線BRT]→気仙沼1829

【1日目の記録】


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