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ソーシャルな隠居の、朝の過ごし方。

2015年5月に《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》を立ち上げ、そこで暮らすなかでセミリタイアし、《ソーシャルな隠居》という生活に入りました。あれからもうすぐ2年。常に10人以上の住人たちと共同生活をしながら、延べ5,000人を超えるユニークな人たちの訪問を受けてきました。

その隠居のスタイルを文章化すると、

自分の住まいに特徴的なコンセプトをもたせて広く開放し、共同生活と交流拠点の両面で成り立っています。働いているという意識がなく、のんびり隠居しているはずなのに、世間や人とのつながりがより一層広がって、気の向くままにソーシャルな取り組みに参画したりして刺激の多く楽しい、そんな毎日。そして、自分が老いても誰かしら周りにいて、死ぬまで楽しく生きていけたら。そんな想いでチャレンジしている生き方です。

ということになります。

なぜこんな暮らしをしているかなどについては、過去にいくつか記事にしましたので、よかったら下記URLのマガジンをご覧いただければうれしいです。

https://note.mu/west2538/m/m4dae37a1a1d1


さて、本題ですが、ソーシャルな隠居にとっての、朝の過ごし方とは。

まず、だいたい午前7時~9時のあいだに起床します。いまの時期(4月初旬)だとまだ雪が残っているので、背伸びしながら玄関を出ると、こんな風景が広がっています。

ゴミ捨ての日ならば、8時半までにその作業をしますね。それ以外の日は、とくに用事がなければ上記の時間帯のどこかでのんびり起きます。通勤の必要がないのでいくらでも寝られると思いますが、それでも規則正しい生活を心がけているつもりです。

そういえば、過去にこんな記事も書きました。

この記事にあるように、朝起きたら知らないひとが茶の間に居る、なんてこともあります。それもまた、刺激的で楽しいひとときです。

そんなこんなで、歯磨きをしつつ、茶の間のテーブルを拭いたり、神棚の水を入れ替えて、お湯を沸かしてポットに入れたり。

そして、そのお湯でモーニングコーヒーを淹(い)れてひと息つきます。

あ、そうそう。
コーヒーには、こんな味わいがあります、という記事も書きました。

コーヒーを飲みながら、ぼんやりしていると、

(あ、ごはんまだ十分あるかな)

と思い出したように炊飯器を確かめ、残り少なければお米を炊きます。

うちには食べ盛りの住人たちがいるので、油断していると一升もあるごはんがすぐに無くなったりするんです。

朝早く勤めに出るひとたちもいるし、じぶんよりものんびり起きてくる住人たちもいます。

朝はそんなふうにバラバラなので、朝食はそれぞれが用意して食べます。

ちなみに、昼と夜はその場にいるみんなで料理をして食卓を囲みます。

それが通称《ギルド飯》。
住人と訪問者が一緒になって食事する、楽しく豊かな時間です。

さて、ひと息ついたところで、この記事もそうなんですが、noteを書いたりすることがあります。

ちなみに、じぶんはこれまで5年間くらいずっとiPadを愛用してきましたが、最近ノートパソコンに移行しました。

Wi-Fiではなく安定感のある有線LANにつなげて、しかも15インチの大画面でどっしりと。それに伴い、デスクと座椅子も新調しました。


とにかく、おだやかです。

ぼんやりする時間もたくさん持てるようになりました。

じぶんを大家族のおじいちゃんのような立ち位置にする、そんな暮らしを自ら作ったことで、ひとり忙しく働く必要がなくなり、気持ちにゆとりができました。おかげで、将来に向けたいろんな仕掛けを作る土壌ができたと思います。

たとえば、今年の8月には、じぶんが考案したアプリを本格的に展開します。


そうこうしていると、またべつの住人が起きてきて。ご近所さんはもちろん、全国・海外から住人じゃないひとがふらっとやってきます。元住人もちょくちょく実家のように帰ってきてくれます。


そうして仲良くなったひとたちの場へ、気が向いたら散歩という名の旅に出ます。まるで親戚のうちへ遊びに行くかのようです。


まさに、ソーシャルな隠居。


会社勤めをしていたときは、

「会社に行きたくないなあ」

「まだ寝ていたいなあ」

と思うことがよくあったけど、いまやそんな気持ちはどこへやら。

とても自然体で、無理のない朝。

そんなじぶんの日常が、ここに集うだれかの価値にもなっているようです。


「新しい朝が来た。希望の朝が。」


そんな朝を、これからも迎えていけるように、ただ漫然と怠惰な暮らしをするのではなく、将来を見据えて今を大事に生きていこうと思います。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。