スナフキンは自由を謳歌したのか。

春になったらムーミン谷に戻ってくるスナフキン。

所有を避ける、最近ちょっと話題になった生活スタイル《ミニマリスト》の先駆け。自由と孤独を愛し、気ままに旅する、そんな彼に憧れを抱く人は少なくないでしょう。

《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》でも、ほとんどルールがなく型にはまらない場の有り様に「自由だなあ」と感想をもらす人がいました。

かく言う自分も、あちこちふらふらと気ままに旅してきたので、まるで「スナフキン」だとか「空海」「伝道師」などと冗談まじりに言われたことがありました。

さて、スナフキンには、こんな名言があります。

「自由が幸せとは限らないさ。」

文法としては否定的ですが、真意は違うのではないでしょうか。

ギルドハウス十日町は自由だと言われる一方で、不自由なこともあります。都会でないことの不自由、古い家であることの不自由、法律的な不自由、そして他人が出入りする中での不自由、やりたいことが満足に達成できていないときに感じる不自由など。

しかしながら、田舎のゆるやかな自由、新築にはない自由、法律が守る自由、血縁関係でないゆえに気楽に話せる自由、やろうと思えば仲間と共にいろいろ挑戦できる自由などもあります。

不自由のなかにある自由。短所は長所。不安のなかから生まれる可能性。ピンチはチャンス。すべては表裏一体。そんな世の中だからこそ《住み開き》という概念が開放的で自由に思われるし、人は不自由さがないと自由を謳歌できないのでしょう。

スナフキンもそんなことを思ってか、「自由が幸せとは限らないさ。」と言いつつも、自分には「だからこそ自由を感じられるんだ!」と、とても前向きな言葉に思えます。不自由を受け入れながら、真に自由を謳歌していたということです。

お金がない不自由さの中でアイデアを絞りだそうと努力すること。不安と隣り合わせの自由な時間から思いきって踏みだすときに生まれるエネルギー。場づくりには、不自由さが欠かせません。何もかもお膳立てするのは、かえって自由を奪い、逆効果となります。

そういえば、自分はついつい自由をわがままと履き違えちゃうことがあるような。そんなことを自省しつつ、不自由のなかにある自由を、ふだんは謙虚に、ときには大胆に、のんびり気ままに謳歌していきたいです。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。