「雇用を生む会社」を創ることの是非

住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」にやってくるひとたちのなかには、いろんな事業を立ち上げようとしているひとも、わりといます。

立ち上げ間近というぐらい具体化している事業があれば、アイデアや事業目的だけという漠然としたものもあります。

一方で、旅したときとかに、たまに出会うんですけど、すでに戦後から実績を作ってきた各地の実業家(もしくはその影響を強く受けたひと)とも話す機会があります。

前者も後者も、「新たな価値を生み出して伝える」という意味で、同じ起業家と言えるでしょう。

ただ、「雇用を生む会社」を創るという意味では、なんとなくですけど、両者から受ける印象に違いがあるように思えることがあります。


自分が過去10年間くらい住んでいた、とある地方都市では、通勤と帰宅のラッシュ時になると、中心地と郊外とのあいだの幹線道路でたくさんのクルマの渋滞が出来ます。

その地方都市で会社員をしていたときはとくに気にもしなかったんですけど、先日ちょっと立ち寄ったとき、そのクルマの光景を見て、とても不自然に感じました。

クルマで片道30分以上かけて、それも、それぞれ別々のクルマで。

ふと、

みんな相乗りすればいいのにな。

とか

自分の地域で働けばいいのに。

とか

このままどんどん中心地への通勤・通学のひとたちだらけになったら、そのぶん自分たちの地域が閑散としちゃうのでは?

とか

ご近所がさみしくなったりしないのかな。

とかとか。

東京一極集中が問題になるのと同じように、地方都市でもそんなことが起きているのでは?

なんて、まるでエコノミストぶった感想がもれてきちゃいます。


これからの、「雇用を生む会社」を創るということ。

それは、たぶん、上記のような光景を作るものではないと思いたいです。

戦後の急激な経済成長では、たくさんの諸先輩方がすばらしい功績を作ってきた一方で、いろんな弊害も生まれたように思います。

なので、これからの事業を創るひとたちには、ただ会社を大きくしたいとかいう利益至上主義や大量生産・大量消費で考えてほしくないな、なんて偉そうなことを思ったり。

たぶん、きっと、おそらく、これからの起業家やリーダーと呼ばれるひとには、もっと本質的で哲学的な視点が必要なのかな、とも考えたり。


だから、自分はよく、

どうしてそれをしたいの?

どうしてそう思うようになったの?

と何度か繰り返して、聞いてみたりします。

その返答から、そのひとがそうしたい原点や本質が見えるような気がするからです。


自分はStartup Weekendという世界的な起業家コミュニティの新潟県版「Startup Weekend Niigata」の代表というか発起人を務めながら、地域で起業家を生む支援活動もしています(と言うと社会的な使命を帯びた感じで偉そうですが、自分が楽しいと思うからやっています)。

また、自らの住まいという日常的な視点から、「ギルドハウス十日町」という場を創り、そこに集うひとたちを陰ながら応援しています。

いずれの場においても、さっきのような問答をしながら。


「雇用を生む会社を創りたいんです。」

「いいね!でも、どうして?」

「地域を元気にできるからです。」

「どうして地域を元気にしたいの?」

「自分の生まれ故郷だからです。」

「どうして自分の生まれ故郷を元気にしたいの?」

「だって、さみしいじゃないですか?」

そうだね。。。
じゃあ、君もみんなも、その地域でさみしくならないようにしないとね。


よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。