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個性よりも役割。

じぶんが立ち上げた新しい住まいの形「ギルドハウス十日町」。

そこでの「ソーシャルな隠居」の生き方は相変わらずです。

このところ部屋にテントを張ってのんびりする「へやキャン△」にハマっています。夏は蚊帳になるでしょうし、冬はあったかく過ごせそうです。


また「ギルド飯」と呼んでいる食卓も相変わらずで、いつも10名前後で大家族のように食べているのですが、そこでのある日の出来事...。


最近住み始めた20代の男性が毎日のように読書をしているので

「どんな本を読んでいるの?」

と聞いてみたんです。

そうしたら、すでに数冊を読み終えたようで、そのなかの一冊が『人間・この劇的なるもの』(福田 恆存 著)である、と。


そして、その本にどんなことが書かれてあるかというと

彼いわく

「人間は個性より役割を求める生き物らしいです」

とのこと。


さて、みなさんはどう思いますか?


ギルドハウス十日町は立ち上げから4年と3週間が経ちました。そのあいだに延べ7,700人以上の訪問を受けながら56名と共同生活を営んできました。

それも山奥の限界集落と言っていい過疎の地域にもかかわらず、です。

そんな地域にあるためか、わざわざ住もうとやってくるのはいろんな事情を抱えた個性的なひとたちばかり。

しかしながら、来てみたはいいけれど初めての共同生活に戸惑うひとが少なくありません。

はじめは個性的な新参者として周りから興味を持たれても、ただ漫然と過ごしているだけではそのうち共同生活のなかで孤立してしまうでしょう。果ては「このひと何してるんだろう?」などと思われたり。

そうした状況から各自の立ち居振る舞い方を見つけていくようです。

つまり、各々の自発的な選択から役割を見つけていきます。

そして住人どうしなんとなく互いの役割が共有されていきます。

そうしていくことで

「このひと何してるんだろう?」

ではなく

共同生活のなかで信頼関係や相互理解が醸成されていけば、もし足りない部分や出来ないことがあっても仲間として助け合うようになります。


人間が個性よりも役割を求める生き物だとしたら、もし役割が定まらないまま共同生活に身を置きつづけるというのはお互いにとって苦痛でしょう。

それは共同生活に限らず、会社や学校も含めた社会全体に言えることかも。居場所とは「各自の役割がハマる場所」なのでしょう。


そうなると人間として求められるのは個性よりも役割なのか。

役割というより「役どころ」と言ったほうが正しいかもしれません。


ひとはおそらくみんな【ハマり役】を持っていて、誰もがスポットライトを浴びることができる。そして気の合う共演者どうしの絶妙な関係性で喜劇や悲劇が繰り広げられていく。

そこにはイケメン役もあれば、のび太くんのような役もあるわけです。

はじめはダメ人間や悪役のようでも、その成長していく姿が多くの共感を呼ぶことだってあります。

主役よりも脇役として花を咲かすひとだっています。


大切なのはハマり役を見つけて周りのひとたちとの共演で《劇的》になるかどうか。つまりは、だれとどんなふうに過ごすか、だと思います。


事実は小説より奇なり、と言います。

人生という名のドラマは、先がホント読めないのがいいですね。

じぶんにとってギルドハウス十日町は、ソーシャルな隠居というハマり役を持つことのできた、どんなに豪華な劇場にも劣らない、愉快で家族のような共演者たちでいっぱいの、とっても《劇的》な場所なんです。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。