「忙しい」という字は「心を亡くす」と書くけど、忙しいはずなのに余裕で気配りのできる人がいるのはナゼなのか。

自分がいままで会ってきたなかにも、そんな人たちがいましたね。

そういう人たちの共通点は?というと、

「自分のやるべきことがわかっている。」

ということのようです。

以前、『バンビ~ノ!』という漫画にこんな描写がありました。主人公がイタリアンレストランで料理の修行を積んだ末に、尋常じゃないほどのたくさんの注文を次々とさばけるようになります。それも楽しそうに、余裕をもって。しかも一流の味で。そんな主人公の姿を見て、確か副料理長だったと思いますけど、「あれは自分のやるべきことがわかっている目だ」とつぶやきます。

というわけで、まわりからは忙しそうに見えていても、当の本人はそうでもなかったりして。誰から話しかけられても挨拶や相談に十分な時間を割いてくれるし、髪型が少し変わっただけでも気づく。以前に少しだけ会っただけなのに、久しぶりの再会でも細かく覚えていてくれる。

そんな人と会うたびに「すごいなあ」と思います。

ギルドハウス十日町を立ち上げ、自由に使える時間をたくさん作れたはずの自分も、ちょっとくらいはそんな人に近づけたのだろうか、なんて思うことがありますね。まだまだ精進が足りないことを痛感することも多々あるんですが。

言い訳がましいようだけど、相手が忙しかったり、うちに出入りする人たちとの交流で時間切れとなり、自分とゆっくり話せないって場合もある気がします。だから、仕掛けを作りました。それはまたいずれ話そうと思います。

これからいよいよ12月!ということで年末、つまり《師走(しわす)》です。先生も走り回るほど忙しい月、という意味らしいですね。

自分は、先生というかギルドマスターであるわけですが、師走だろうと関係なく、ソーシャルな隠居生活をゆるやかに楽しみたいものです。


さて、自分のやるべきことがわかる、そんな状態になるにはどうすべきか。自分は、とにかく興味の赴くままいろんな事柄に首を突っ込みましたね。難しいことを考えず、あれこれ行動を起こしていきました。先々で得られたご縁で、また面白そう!と思った場へ旅して、会いたい人に会って。それを繰り返し、何度もなんども。やりたいと思って選んだわけなので、どれも情熱を持って取り組めましたね。

そんなあるとき、脈絡もなかったかに見えたどの事柄にも、ある一本の筋(共通点)があることに気づきました。

「ああ、これが自分のやりたいことなんだな。」

それ以降、やるべきこと、やらなくていいことが自分の中でハッキリ分かれたんです。そうなると、不思議とご縁がうまい具合に広がりやすくなりました。おかげでギルドハウス十日町を立ち上げることができたし、ソーシャルな隠居生活に入ることもできました。

というわけで、自分の場合はそんな感じでした。

やるべきことがわかり、どう過ごせるか。自分にとって、この生き方が良いのかどうか判断するために、師走はひとつの指標であるのかも。いま、ふとそう思いました。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。