一人がいいなら田舎より都会。でも《一人では生きられないという本能》が、サードプレイスに足を向けさせるのか。
「こもるなら田舎よりも都会がいいんだろうね。」
そう言っていた人がいました。確かに、とことん一人でこもるなら、となり近所に誰が住んでいるかわからなくても困らないような、たとえば都会のほうがいいのかもしれません。
自分はどうかと言うと、孤独になりたいのなら、スナフキンの言葉のように、旅をするのが一番だと思っています。そんなに長期間じゃなくてもいいから、ふらっとどこかへ、のんびりと。
そして、また誰かと話したくなったり、にぎやかな場所が欲しくなったら、たとえばギルドハウス十日町のような《サードプレイス(第3の場所)》へ行けばいいだけのこと。
人間は、本質的には、一人では生きられない。
ふだんは一人でいることが好き!という人も、そんな本能がどこかに残っているのでしょう。コミュニケーションが苦手という人も、なんだかんだギルドハウス十日町にやってきては、なんとなく打ち解けているようです。
以前、地元のお父さんが19歳の息子を連れてやってきたことがあります。
「ひっこみじあんの息子を、ここに住まわせたい。」
あれから約1年が経ちました。その息子さんは、まだうちに住んでいます。はじめは目を合わせて話せなかったけど、いまではいい感じ。自分もいっしょに住めたことをうれしく思っています。その息子さんと、いろんな思い出ができました。他の住人たちからもアダ名で呼ばれ、愛されているなあと感じます。
ギルドハウス十日町は、自宅、学校、職場とは別の、第3の場所であり、第2・第3の実家でもあります。いろんな人にとっての、いろんな目的でやってくる、いろんな意味合いの場所。もちろん自分にとっての意義もあります。
社会学者が言うところの「サード・プレイス」とは、同じ次元と違う次元が混在しているのを感じます。
それを体感しに来てもいいし、どうぞいらしてください。おかげさまで、今冬も夏より人が多くなりそうです。
そういえば、なんで?
ギルドハウス十日町には、夏にではなく、どうして過酷と言われる冬の特別豪雪地帯により多くの人が集まり、住むのでしょう。
それは、ひとが一人では生きられないという支えあいの本能、ひと本来の住まい方を思い出すから?それが心地いいから?
雪国で育まれた文化は、冬でこそ味わえるから?
それとも、長い冬のあとに訪れる、春の感動を味わいたいからでしょうか。
少なくとも自分は、いろんな意味で、冬が一番あったかくて楽しいです。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。