読書摘み食い2(目に見える世界、心でしか見えない世界)

『君たちの生きる社会』伊藤光晴 (ちくま文庫)を今、読み返す。今こそ読み返して欲しい古い本だと思いました。

国連の気候行動サミットでスピーチしたグレタ・トゥーンベリさんに対して様々な批判もありましたが、彼女のスピーチが耳目を集め、環境問題に対して世界中を注目させることに成功したというのは事実でしょう。
これを空論だと笑う者とグレタさんと、果たしてどちらが後世に恥を残すというのでしょうか。

また、国内に目を向ければ、先般開かれた経産省税制ヒアリングで石油連盟から自動車の「走行税」導入に関する提案がありました。
この提案によれば1km走るごとに5円課税されるので年間1万km走れば5万円課税という事です。財源は道路の維持管理にまわされるという事で受益者負担の原則に基づけば正しい課税根拠なのでしょうが、石油連盟の思惑は電気自動車の普及に伴うガソリン税の負担上昇懸念から代替的な目的税として外国、例えばニュージーランドなどで導入されている「走行税」に目を付けた形のようなので、意地悪くいえば、全体のことを慮っているようで実のところは業界への打撃を避けようという魂胆のようにも見えますね。

この二つのニュースを見て、先述の『君たちの生きる世界』に書かれていたことを思い出しました。

それは経済成長と環境を本当に天秤にかけて良いものかどうか。
受益者負担の本質部分も目に見えている部分だけでなく、見えていない部分もよくよく比較考量しなければならないということです。

著者は1960年代に普及した合成洗剤について、従来の粉石鹸との比較において物の価額の見方を説明します。
お湯を使わなくても泡立つ合成洗剤は瞬く間に家庭に普及しましたが、その経緯には紆余曲折があり、実は泡立ちなどなくても汚れは落ちるのですが泡立ちがないと汚れが落ちた気がしないと使用者に不評であったことからなんと後から泡立ち成分をわざわざ加えたのだとか。
ともかくも当時、合成洗剤はキロ180円ほどで粉石鹸はキロ160円ほどだったらしいのですが、そのまま見ればあまり値段が変わらないのですから、便利な合成洗剤がどんどん普及していったというのは言うまでもありません。
しかし、天然成分で作られる粉石鹸に比べ石油合成品である合成洗剤は地中のバクテリアによる分解が難しく無害化しにくいのでそのまま川へ流れて泡ぶくとなったりと公害化します。
今は処理施設がしっかりとあるせいかあまり露骨なものを見る光景は減りましたが、子ども時分はよく川が泡だらけというのを確かによく見かけました。
また、合成洗剤に入っている燐やチッ素、これはし尿排泄などにもあるものですが、洗剤が市場に流通し爆発的に使用される事で自然浄化では間に合わない量が海中に放出され、赤潮被害を発生させることもあったということです。
結局のところ、通常の処理施設の5倍お金のかかる最新鋭の下水道第三次浄化処理施設を設置することで国や行政は対応してきたといいますがそのコストはもちろん税金です。
都心などに人口集中が起これば排水量も増すのでたくさんの処理施設が作られてきた事は言うまでもありません。
ここで、この合成洗剤を使うことによって、つまり利便を優先させた結果、税金を使ってその補填をしてきたということも勘案すれば、合成洗剤は粉石鹸に比べて約2倍の価額で売られているも同然なのだといいます。
しかし、今や便利な合成洗剤を手放す事は現実的ではありません。いったいどうすればいいのでしょうか。以下、引用です。

(競争は同じ条件でさせよう)
 お金の世界と、お金の外の世界と両方を考えるならば、合成洗剤はじつに二分の一の値段で売られているのであり、半分だけ補助金をもらっているのと同じことです。粉石鹸は一銭も補助金をもらわずに、他人に迷惑をかけることなしに、お金の世界だけで戦っているのです。
 合成洗剤は、二分の一の値段で粉石鹸と競争するという形になるのですから、洗剤が勝つのは当然でしょう。なぜなら、洗剤は五十点満点で戦っているのであり、粉石鹸は百点満点で戦っているのですから。洗剤は依怙贔屓されているようなものです。
 こんな不公平を許すことはできません。不公平を許せば、公害を出し続け、その分だけ安く売る悪い品物が、お金の世界で勝ってしまいます。他人に害をあたえない品物が競争に負けるということになるからです。
 どうしたらよいでしょう。
ひとつの解決の方法は、洗剤のように、お金の世界の外に損害をあたえるものには、その分、税金をかけるのです。燐を下水道処理場で取り除く費用を洗剤に負担させるのです。洗剤の値段はいまの2倍ちかくになるでしょう。それでいいのです。それがほんとうの値段なのです。そうすれば粉石鹸との競争は、公正な競争になります。
 こうした公正な状態に戻すために税金をかけること―これが必要なのです。このように、他人に損害をあたえるものは、その分を自分で支払わなければならないという考えを、だんだん人々が認めだしました。これをPPP(汚染者負担の原則=poluter payment polisy)
といいます。
 世界の先進国が集まって、この原則をみとめる、ときまめした。日本もこれに加わっているのです。しかし、これを実行するとなると、たいへんな反対がおこってきます。税金をかけられる企業が反対します。従業員が反対します。それだけではありません。消費者も反対しかねないのです。そんな税金をかければ洗剤の値段があがってこまる、と。
 しかし、みなさんはすでに知っています。洗剤の値段が正常なところまであがるほうがよいのを。そのために人々は洗剤を買わなくなり、粉石鹸にもどるかもしれないのです。世の中全体の立場から考えれば、これでよいのです。だが洗剤だけをとると、値段があがってこまるように思えます。
 ひろい立場で見る。ひろい立場で考える―これがたいせつな点です。

著者は、お金の世界を「目に見える世界」、つまり表面的に見える価額の世界を指してそう呼びます。
買えば″いくら″という世界がある一方で、公害のような環境影響を価額にするのは難しく、人によっては「それは仕方がない犠牲」だと考える者もいるでしょう。
美しい自然や綺麗な水を大切に守ろうとする心はお金の世界の価値観だけで生きている者には失われがちだとも述べます。

もうひとつ、道路インフラの維持整備の費用負担にかかる議論の中に受益者負担の観点からの「走行税」のトピックがあったことについては先に触れましたが、著書はずっと昔にすでに「重量税」や高速料金の点から応分負担の盲点について鋭い指摘をおこなっており、この考えに準拠すれば走行距離云々の話より前に道路維持管理に関する費用の負担を国民全体でよくよく吟味して決めなければならない事がよくわかります。それは同時に税負担と価格負担のどちらを取るかという態度決定の話につながる未来のこの国のあり方を考える大事な話なのだという事もわかります。上任せでなくしっかりと政治監視していかなければ民主主義というものは維持できないのです。負担の裏に政財界の癒着やお金の回し合いがあるようなら更に馬鹿げた話しでしょう。

以下、引用です。

 洗剤のような問題はたくさんあります。ずしん、ずしんいいながら走っている大型トラックにも、同じような問題がたくさんあります。あの荷物を満載して走っている大型トラックと、すいすい走る乗用車と、道路をどちらかどのくらいこわすと思いますか。
 もちろんトラックがうんとこわすことは、すぐわかります。
 何倍くらいこわしますか。
一般に、車は車軸にかかる重さの四乗に比例して道路を壊すのです。ですから、十トン積むトラックに、二十トンも物を積んで道を走られたら、車軸にかかる重さは二倍です。したがって二の四乗、つまり[2×2×2×2=16]十六倍道路をこわすのです。あの軽い乗用車と、大型トラックとで、車軸にかかる重さが十倍ちがっているとするならば、重いトラックは、じつに[10×10×10×10=1万]1万倍も道路をこわすのです。
 その1万倍こわす、その倍だけ、トラックは税金や高速道路料金を払っていますか。高速道路料金は、せいぜい2倍ですね。だからトラックは、いま国鉄の貨物輸送をたたきつぶして、どんどんのびているのです。不公正な競争で有利だからのびている。そういうものは、この世の中にはたくさんあります。
 戦後の高い成長をしめした産業は、ほとんどこうした品物をつくっているのです。

本当の受益者負担を考えれば、走行税も含めて重量税も考えなければいけません。
もし、道路への破壊インパクトを考慮すれば、重量税の配分はもっと大型車両について大きくなる筈ですが、そうしないのは社会が鉄道輸送や船便よりもスピーディでかつコストの安くフレキシブルな大型自動車車両の輸送(荷物だけでなく人も)に依存して久しくその便益を享受しているからです。
そしてその分をやはり税金によって全体で下支えしているという事実があります。
しかし、その負担を真の重量による道路損壊の割合に応じて割り振れば大型車両は大変な税額を負担しなければならなくなります。
でもそうすればそれは運賃や荷駄賃に反映され商品にも上乗せされることになるでしょう。
コストを世の中の価額に反映させるか、はたまた税額で負担して価額には反映させないでおくかは結局のところ考え方です。実際のところ負担はおんなじなのですから。
ただ同じであれば正しい土俵上で比較考量するようにしなければおかしな事は先述のとおりです。

最後にもう少しお付き合いいただき、著者の紹介する「遺言書」についてみてください。

著者は、1900年代初期にアメリカはシカゴで亡くなった元弁護士ラウンズベリーの遺言についての箇所を引用します。
ラウンズベリーは有能な弁護士でしたが晩年は精神を病み、精神病院で貧しく孤独に亡くなった人物ですが、彼はある「遺言書」を残し、その残した「遺言書」が死後話題となりました。それは一文無しの彼が、人々に財産を贈るというものだったのですから。
あなたはこれを読んでどう感じますでしょうか。世迷い言と切り捨てられるでしょうか。
なぜなら100年も昔の「遺言書」の内容は現在守られるものかどうかどうやら怪しい様相を帯び、今やまだ成人もしていない16歳の少女が国連の壇上に立ちアクションを促しているくらいなあり様なのですから。

『世界の遺言』(Mコンシダイン・R・プール 青木栄一訳)によると、彼(ラウンズベリー)はつぎのようなものを書きました。
 ″彼は少しばかりの法律的知識という財産をもっている。それはわずかなものであるから人びとに贈ることはやめる。また私にとって、一番大切なのは、私の命である。しかし、これも一代限りのものだから贈ることはできない。そのかわり、この二つをのぞいて、私がもっている大切なものを、多くの人たちに贈りたいと思う。
 まず、子供をもっているお父さんお母さんに。あなたたちには、子供をほめたり、可愛がったりするための、いろいろな言葉を贈りましょう。お父さんやお母さんは、子どもの必要に応じて、これを公平に、しかも寛大に使うことができます。私がもっている、この大切な言葉を、遺産としてあなたたちに贈ります。
 子供たちには―世界のどこの野原でも森でも、そこに咲く花を遺産として贈ります。子供たちは好きなように、この花の中で自由に遊んでよろしい。また川辺や川の底にひかるきれいな砂、水面に影を落とす柳の枝のいい香り、そして木々の上を通っていく白い雲、これを全部子供たちに贈りましょう。
 そして、もう少し大きくなった子供たちには、野原や公園や広場で自由にボール遊びができるような、そういう場所を。魚釣りやスケートができる川や池、そうしたものをみんな贈ります。そして冬の夜になったらば、炉端で、自分一人、静かに燃えるまきの中に浮かびあがる炎の中に、楽しい空想ができることを、贈ります。″

 恋人たちには・・・・
 青年たちには・・・・
 そして老人たちには・・・・

 こうして、彼はあらゆる人々に、美しいもの、心あたたまるものをいろいろと贈ると書き残して、死んでいったのです。
 彼は精神病院で、狂人として死にました。しかし、ここに書いてあることは、はたして狂人の書いたものでしょうか。それとも、大切なことが書いてあるのでしょうか。この遺言書は、新聞に発表され、たいへんな評判になったということです。
 注意してほしいのは、ここにはお金で買えるものは何ひとつ書いてなかったということです。お金で買えないもの―しかし私たちの生活にとって大切なこと、大切なもの―それがつぎつぎ、つぎつぎに書かれているのです。

さて、ここまで読まれてあなたは何を感じましたでしょうか。人それぞれですのでいろいろな考えがあるでしょうし、やはり狂人の考えだと思う人もあるでしょう。
ただ、消費社会がもたらす物質的な豊かさは一定必要であり、人類に繁栄と余暇を生み出したものではあるでしょうが、過熱し過ぎたそれは本来の意味を忘れて人類を置いてけぼりにしそうです。
いろんな書物や死が迫る者の言葉を聴けば、物質主義がもたらす快楽や幸福感には限界効用逓減が働くようで、彼らの真の幸福感にはあまり関与しなさそうです。彼らの言うところの幸福感の在処はどうやら利他の精神を発揮したり愛情や自然美を感じるときだったりとまさにお金では買えない、目には見えないようなものにありそうです。
とはいえ人間は一方で弱い者であり、わかっていながらもまた流され生きるのかもしれませんね。

 あの遺言書を書いたラウンズベリーのような心が、今日、必要なのはそのためです。光化学スモッグや、赤潮で死ぬハマチなどを見て、なんというでしょうか。こうしたものに心をいためる人といためない人―その違いは、心で見るか、目だけで見るかのちがいだ、というかもしれません。詩人のブレイクはいっています。「目だけでしか見ない者は、心で見ない者は、つねにいつわりを信ぜざるをえない」と。

著書はジュニア向けに平易な文章で書かれていますが、内容はとてもとても考えさせるものばかりです。ほんの一部引用した形ではありますが、原発に関する考察、桃太郎の鬼退治寓話にみる内と外の思考、貧困問題、特許制度のこと、お金の話etcと興味をひく話しが満載です。
世の中の事を考えるときのヒントを提示してくれる良書、素晴らしくおすすめです。

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West side Nod

読書やコラム、記事、見聞したものに対して徒然に書いてきたいです🙂。omnivore(雑食動物、乱読、広く興味を持つ)なるままに。現代詩好き。茨木のり子、吉野弘、石垣りん、高橋順子、馬場あき子、河野裕子等。歌は洋楽AOR系が好き、青春はMTV、渡辺美里、大江千里。
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