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Precious things

この世界にはたくんさんの愛おしいものがあって、そのことを考え出すときりがなくて頭がくらくらする。
その一つ一つを積極的に愛でることをやめてずいぶん経ったような気がする。
心のどこかしらがパサパサと乾いてきたかもと気づいたのはごく最近のこと。

先日、引っ越した先のお隣のおばあちゃんが、彼女の宝物をもって家を訪ねてきてくれた。
なんとタイヤのなかに入っているひも状のものを集めて毛糸玉にしたものだった。糸とあればなんでも大切に編み物のためにおいておく。元漁師のおじいちゃんの釣り糸を見つけて、あんまり色がきれいだったのでそれで編み物をしてしまったことも(もちろんしこたま怒られた)。編み物は頂き物の糸がある時だけしているとのこと。

その元漁師のおじいちゃん(一本釣りオフシーズンは馬の世話をしていたという。)、趣味はビーチコーミングで、海で拾った貝たちを、加工してストラップを作ったりしている。
ストラップというそれは、小さくはかない、薄く透ける貝と紐をあわせたお守りのような作品だった。

人の宝物を見ているとこんなにも幸せな気持ちになるものなんだ。パサパサしたこころが少し潤うのを感じた。

わたしにもそういう物が少なからずあったはず。それがなんだったかなと思い出しながらここに綴ってみたいなと思った。
最近湧き上がってきたものは、子供の頃から変わらず大好きな文房具。

使ってこそのものだけれど、私にとっての文房具は手を加えない姿そのままを眺めていたいもの。使い始めるいっぽ手前を感じていたい。
毎年心踊って買ってしまうスケジュール帳は、できれば予定を書きたくないなと思っている。予定が入りはじめたら夢が終わってしまう。
365日に加えておまけのページ、紙質、印刷、表紙、サイズ、全て考えつくされた愛が詰まった本に見える。
ペラペラと空白のページをめくったり、最後の方の世界地図なんかを眺めていたい。
薄っぺらなのに裏写りしないらしい紙質を感じながら。
予定を書くと、その世界を壊してしまうような気がして、実用品としての手帳といまだに向き合えた試しがない。

人によってさまざまな、宝物とそのものへの気持ちが愛おしい。
宝箱にしまいこまれた、おろされない文房具たちへの思いが一層深くなった出来事だった。

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