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誠実であること

Inspiritブログ部のお題。

今回は「誠実であること」「誠実であることからイメージすること」です。


誠実とは、偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられる様。

真心とは、真心他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心。誠意。

という意味です。

誠実であることというと人に対して使われることも多いですが、まずは自分からではないかと思います。

自分に対して誠実である、というのは、日々感謝をして、愛を語る。

というようなものではなく、自分を認めていくこと。自分の思うことをそのまま認めること。

好きなら好き。嫌いなら嫌い。怖いなら怖い。楽しいなら楽しい。

それに理由をつける前に、自分が感じたことをそのまま認めるということです。


何かを嫌いだと思った時、どうして嫌いなのだろう。何か嫌いになるきっかけが? 嫌いだということは自分が認めたくない部分が見えているからで…。

というように、どうにかして、嫌いだということから別の面を見出そうとしていました。

見出すことに関しては構わないのですが、その前にやることがありました。

分析や他の面を探すより先に、自分から出てきたものを認めることでした。

マイナスに捉えられる感情は認めることが難しいところがあります。

嫌いだと思ってしまう自分がおかしいのだろうか。他の人は好きだと言う。嫌ってしまう自分がおかしいのか。

などと考えることもしばしあります。

しかし、嫌いなものはしょうがない。

ただ、自分がそれを嫌いなだけです。嫌いだということを周りに強要するようであれば別ですが、自分一人が嫌いだという感情を抱えている分には問題ありません。

自分から出てきたものを見ずして、その気持ちを分析も何もあったものではありませんでした。

そうなんだ、と認めると、案外ストンと収まるところに収まって落ち着きます。

「嫌い」だけではなく「好き」にも同じことが言えます。


自分が体験したことや体験から得られたものを人に伝えるには、言葉だけではなく、言葉に乗せる思いも重要になってきます。

伝えたい事柄に対する自分の思いを認めないまま言葉にしても、伝わるのは見せかけの部分です。

嫌いは嫌い。好きは好き。

理由は後からなんとでもつけられます。出した結論に合わせて、理由ができていきます。

自分に対して誠実であることとは、その時の自分をないがしろにしないことだと思います。

「その時」は変わっていきます。

今は好きでも、嫌いになっているかもしれない。今は嫌いでも、好きになっているかもしれない。

その時、自分がどうであるのか。

変わっていく自分をもまた、認めていくことではないかと思います。


ここまで読み進めていただきまして、ありがとうございました。

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