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純粋であること

Inspiritブログ部のお題。

今回は「純粋であること」「純粋であることからイメージすること」です。


先日、私は仕事で失敗しました。

その仕事は前任者から引き継いで、ほぼ一年ほど経っています。

私が書類の様式に必要事項を記入して先方に送り、詳細を追記していただき、書類に押印をいただくというやりとりがあります。

その必要事項を間違えていたことが分かったのが、先方から押印済みの書類が届いてからでした。

担当から内容を聞いた時には、

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この人何言ってんだろう…押印もらってんじゃん…今までやったことないし、そもそもそれ、今まで担当も分かってなかったよね?

などなど、様々なことが頭をよぎりました。

他の件でも書類を何度か急ぎでお願いしていたこともあり、

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考えることを放棄しかけました。

しかし、そうもいっていられず、何とかいただいた書類で修正できるか、何とか手はないか、ぐるぐると考えていました。

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家に帰ってからも、何とかならないか、どうにかやりようがないかと、うだうだくよくよとしつつ就寝。

次の日、起きた時にはきれいさっぱり忘れており、もう朝晩は寒いねぇ…なんて思いつつも、やはり頭は思い出そうとするわけで。

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と、書類をどうにかしなければならないことを思い出しました。

その後、どうしたかというと。

職場に行ってデスクに座り、パソコンを眺めていました。どうしようかなど、昨日考えていたことは浮かばす、

訂正をお願いして、正規に書類を作り直そう。

それだけが浮かびました。それから先方に連絡を取り、謝罪の上書類を作成し直していただきました。

ここまでで、何が純粋であることと繋がるかというと、失敗した、と思った時には、様々なことが浮かびました。

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私は悪くないという自己防衛や教わっていないという責任転嫁、確認不足であった自分の情けなさや再三迷惑をかけている先方への申し訳なさなど、たくさんの情報が浮かびました。

そうなると、こんな時にはどうすればいいのか、記憶から生まれた対応策を探します。過去に同じような問題を解決していればいいのですが、はじめての問題だと解決方法を知りません。

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今回の場合は、はじめての問題で対応策がなかった、に近いです。

あらかた思考が出尽くしたあとは、損得や見栄などはなく、ただ何をすればいいのかが見えました。

どうして見えたのだろうと考えた時、根っこは一つだと気づきました。

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それは、自分のやってきたことにケチをつけたくない、でした。

まがりなりにも前任者から引き継いで一年近く、できる限り間違いのないように、時には先方に教えていただきながらも作ってきたものでした。

自分がやってきたことに対して、間違ったとか失敗したとか今更言えるのか。やってきたことが無駄になってしまうのでは。と思いました。

そこで、間違ったことをなかったことにしようとしたのは、自分の弱い部分、見栄や損得など、問題に対してのマイナスな面といえます。

そちらにフォーカスしている時には気づかなかったのですが、問題が起こってからくよくよと考えて夜を越え、次の日になるとマイナスからフォーカスが外れました。

次に見えたのがプラスの面でした。

今までやってきたことなのだから、間違ったまま提出はできない。先方にちゃんと私が間違ったと伝えて、謝罪の上で再度書類を作っていただく。

ケチをつけたくないから、間違ったことをなかったことにする。

ケチをつけたくないから、間違ったことを正す。

どちらも、自分のやってきたことにケチをつけたくないからこそ出てきたものでした。


今回のことで、「純粋であること」というのは、自分がどちらの面を見たいのかに気づくということでもあると思いました。

問題が起きた時に浮かんだ中に、はじめから「間違いを正す」という項目は入っていました。

ですが、私はその項目を素通りして、何とか間違いを正さずに進めないかと思いました。

あとからあとから出てくる問題に対する答えを探している間、私は落ち着きませんでした。それは、自分で最適な答えではないと感じていたからだと思います。

問題が起こった時には感情や記憶が波立って見えにくくなっていたとしても、波がひいていけば水底が見えてきます。

居心地の悪さと共に切り捨てた選択肢の中に、心地の良い答えがあるのかもしれません。


ここまで読み進めていただきまして、ありがとうございました。


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