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【中田いくみ関連作品】叙情といとしさ溢れる挿絵が伝える、子どもの「ほんとのきもち」

『やましたくんはしゃべらない』をきっかけに、中田いくみ先生の描くこどもたちに出会いました。物語に寄り添い、いつしか彼らと同じ視線で「あのころ」の自分を思い出したり、親としての思いを新たにさせてくれた、あたたかさに満ちた3作品をご紹介します。

『やましたくんはしゃべらない』山下賢二・作/中田いくみ・絵(岩崎書店)

『やましたくんはしゃべらない』。目を惹くタイトルと、なんとも言えない表情でこちらを見つめる表紙の男の子に、引き寄せられるように手にした作品。

私も、小学校時代、うまく学校に馴染めない子だった。言われる「こうしなきゃ」をみんなが当然のように受け入れ、やっていることに毎日、いっぱいの「???」を感じながら日々を過ごしていた。だから二人の娘達が、毎朝ロケットみたいに家を飛び出して、楽しく通学してくれていること、それだけで嬉しいとか感謝とか以上に、すごいなぁ、と思ってしまう。

「やましたくん」は、べつにクラスに”馴染めていない"わけではない。むしろしょっちゅうふざけてて、しゃべらない謎も手伝ってか、人気者だ。やけにからかってくる男子達にも、臆せず向かっていく。ふつうの、小学6年生。むしろやましたくんを中心に、クラスが繋がっているようにも感じる。ひょうひょうとして何を考えているかわからない、けれど自分なりの日常を機嫌良く送っているやましたくん。おもに語り手となる隣の席の「たかはしさん」を始め、心の内の『想い』には決して踏み込むことなく、軽快にすすむコマとともに彼らの日々が描かれる構成。まるで自分もクラスメイトの1員となって、やましたくんとの、彼らとの、リアルな日常を生きているようだ。春から夏へ、秋から冬へ、そしてまた春へ…… 

「やました、こんどの さんかんびは かぞくのことをかいた さくぶんを はっぴょうするんや。おまえ、よめるか?」
「あれ、あのこ、たしか あんたのクラスの…」(やましたくん、やっぱり おかあさんとは しゃべるのかな?)

いくつものささやかな、時に不穏な、胸いっぱいになるエピソードを重ねて、やましたくんは卒業の日を迎える。壇上から校長先生が、名前をよぶ。「やましたけんじくん」「はい……」

証書を渡しながら先生がおどけて、「けっきょく、さいごまで しゃべらんかったなぁ」(きこえてへんかったんや……)(ガクッ)

そんなやましたくんの”素顔”がのぞけたような、ふふっと笑いたくなるラスト。(けっきょく、やましたくんの こだわりって、なんだったんだろ)クラスメイトの気持ちになって気になりつつも、なんだかそんなこと、どうでもよくなってくる。くだらないこと、という意味じゃなくて、そういうこともある、深く詮索しない、みんながそれぞれの”愛”のカケラをもって【しゃべらないやましたくん】との時間を過ごしてきたこと。ちょっと違う子、ある種の問題を抱えた子、見えているものも見えていないもの、大人になった私たちの回りにも沢山あって、不安で押しつぶされそうになっている当事者の方達、”アドバイス"しなくてはいけないと意気込む「こちら側」の方達も、みんな必死で、みんなが答えを求めている。

けれどこの作品のみんなのように、追い込まず苦しまず、しゃべらなかったやましたくんが中学校の制服をきて友達と笑い合っている最後の挿絵のように、『いいんじゃん?』という空気をもって、”ちょっと違う”を未来に繋がる想い出のひとつに出来たなら、それはすごく素敵なことなんじゃないかと思う。

②ママ、どっちが好き?/織田りねん・作&中田いくみ・絵(パイ インターナショナル)

子どもが大人に「自分ときょうだいのどっちがすき?」とたずねるとき、その底には「自分がほんとうに愛されているか、たしかめたい」という思いがあります。その思いは、満たしてあげたい。だけど、こどもたちをくらべたり選んだりはしたくない。もしそんな風に困ることがあれば、どうぞこの絵本をひらいてみてください。(織田りねん)

帯に書かれた、作者の織田先生の言葉。一言一言、まったく無駄がない、まさに”そのとおりだな”と、親として共感ばかりの言葉でした。そしてこのメッセージ通りに、育児において避けることのできない(かわいいんだけれど)ちょっと困ったシーンを、詩的に、柔らかく、愛情をこめて描かれた作品『ママ、どっちがすき?』手に取ったきっかけは中田いくみ先生の挿絵ですが、自身も絵本作家としても活躍されているという織田先生の作品にこうして出会えたことに感謝です。

「ねえ ママ、ぼくと キコ、どっちが すき?」
「どっちが すき?」

大体、忙しくて充分に構っていられない(だからこそ)に発せられる”きょうだい”からのこの言葉、困ってしまいますよね。その気持ちを正面からうけとめて、思いがけないたとえ話を始めるジョーとキコのママ。まるで私も3人目のきょうだいになった気分で、お話を”聞いて”いました。

それぞれに良いところがあるんだから、どっちも好きだよ。言ってしまえばそれが答えなのですが、幼いふたりの日々の生活の一コマ一コマから、それらの「違い」を丁寧に切り取り、想像させる構成がとてもすてきです。この物語の中で、ジョーとキコは答えそのものではなく、ママが(そしてパパが)いつも自分達を見てくれていること、見守っていてくれていることをすっと胸に落ちるように実感して、”結論"が出る前に、すっかり安心しきっていたようにも読めます。どちらも、同じくらい、愛されているんだってこと。言葉そのもので伝えることもとても大事だけれど、そこに至る過程がなければ、どんな「答え」も空疎なものになってしまう。日頃の自分の子どもたちへの接し方を反省しつつ、ふたりのママのような”在り方”を見習いたいし、それにはやっぱり(途中から素敵なパパも登場します)共に家族を見守ってくれる存在がいてこその、母親自身の心の余裕もとても大切なんだなと再確認しました。それにしても、キッチンから始まるストーリー、果物かごからりんごとみかんを手に取って「ジョーはりんご、キコはみかんのようなものだからよ」と話し始めるセンス、とっても素晴らしい。中田いくみさんのイラストとも相まって、家族であること、親子でいられることの愛おしさが1ページごとに心に染み込み、子供達を抱きしめたくなってしまう。ぜひ、家族の本棚に常備しておきたい、ビタミンいっぱいの物語です。

③『きみひろくん』いとうみく・作/中田いくみ・絵(くもん出版)

保育園のときから「ゆうとうせい」の、きみひろくん。同じクラスで仲良しのともくん。物語は、ともくんの目を通して、きみひろくんの”凄い!"が次々語られていくところから始まります。

勉強やスポーツはもちろんのこと、礼儀正しく、優しく、正義の味方で、友達だけでなく先生、(ともくんのお母さん始め)同級生の保護者や関わる大人からもいつもほめられっぱなしのきみひろくん。でも、仲良しで一番近くにいるともくんには、ちょっと困っていることがあります。それは、きみひろくんが、なぜかともくんにだけ、『嘘』をつくこと。

その『嘘』の内容もウィットが効いていて、さすがきみひろくんだな~と、読んでいるこちらも感心してしまうのですが、ともくんもそんなふうにいつのまにかケムに巻かれながらも、「そんなの、うそでしょ」と指摘することはしません。だって、きみひろくんの嘘は、誰も嫌な気持ちにさせない、明るい、楽しい嘘だから。それに、嘘を言う相手がもしいなくなっちゃったら、きみひろくんはかなしいだろうなって思うから。ともくんはともくんの視点から、きみひろくんのどこか奥底にある「何か」に気づいていて、この冒頭から既に、それを一緒に受け止める覚悟をしている。そんなふたりの絆が、おかしな嘘に笑いつつきみひろくんの謎行動に首をひねりつつ、読者であるこちらにも垣間見えるシーンです。

さてある日、どうも、きみひろくんがいつもの調子じゃない。どこか塞ぎ込んで、ついに、とっておきの嘘をつきます。「公園の どかんを とおって、アメリカにいく」と。きみひろくんによれば、きみひろくんのお父さんはアメリカに住んでいる。そのお父さんに、どうしても会いにいきたいんだと。いつもとは少し違うきみひろくんの様子や言葉にとまどいながらも、僕も一緒にいくよ、と、ともくんは思い切って伝えます。「ともくんはとくべつだから、連れて行ってあげるよ」と答えたともひろくんは、きっと、本当は胸の奥底でほっとしたかもしれません。かくして、2人の男の子の、初めての夜の大冒険がはじまるのです。

家をこっそりと抜けだし、夜のどかんの中で虫の音を聴き、そして静けさの中で、ふたりは話をします。いろんな言葉が、きみひろくんの口ではなく「心」から、こぼれます。僕のためにがんばらなきゃ、って言っているお母さんのこと。僕がいなくなれば、お母さんはきっとがんばらなくて良くなる、こと。だからアメリカのお父さんのところに行ってしまいたいし、僕はお母さんにとって「よその子」(だから迷惑かけたくない)なんだとすら、自分は思っている、ということ。

ともくんにとっては驚くことばかりで、でもひとつひとつ、そんな友達の言葉を受け入れていきます。あんなになんでもできて、「ゆうとうせい」のきみひろくんが、どうして!?なんて思いません。きみひろくんが、とても切羽詰まって、傷ついていることを、ともくんは傍にいるだけで分かってあげられる子です。いつも傍にいたからこそ、ともくんは言えます。「きみひろくん、それ、違うよ」「きみひろくんが いなくなったら、おかあさんは がんばれなくなっちゃうよ。がんばれなくなったら、おかあさん こまっちゃうよ」

やがて土管の山の上に立ち、おっきな満月をふたりで見上げてから、少し照れくさそうなきみひろくんと手を繋いで、ふたりは帰路を急ぎます。ふたりだけの、「ないしょ」を胸にしまって。きっとともひろくんは、これからはもう、ともくんにも嘘をつかないかもしれない。いや、つくこともあるかもしれない。それでも、子ども同士だからこそ支え合い、わかり合える、そんな出会い……この先なにがあっても、つないできた日々とこの夜の出来事が互いを暖めてくれる、そんな希望を確かな確信とともに感じさせてくれるお話。切なさに胸が痛くなりながらも、時折ページをめくることで、「親」として、推し量り損ねている子どもの気持ちがきっとあることを、痛みとともに私自身も受け入れて受け止めていきたい、そう思いを新たにさせてくれる作品でした。

(了)






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