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イエラ・マリ『あかい ふうせん』に見る、デザインと絵本のファンタジックな関係

『字のない絵本』。ひとつのジャンルとして、過去も今も一定の支持を得ているものの、その先駆けともいわれるのが、イタリア出身のデザイナー・絵本作家、イエラ・マリによる『あかいふうせん』。

強めの緑と赤という、ビビッドなカバー色からしてとても目を惹く本作。40年以上も前に出版されたとは思えないほど、色褪せないセンスがまずその表紙から強く伝わってきます。

大きくふくらむ”ふうせん”……

白一色のシンプルな風景を、ふくらんだ”ふうせん”は泳ぐように飛んでいき、やがて赤いある「くだもの」となり、実ったその木からも零れ落ちて……

「まるかった」はずの”それ”は、チョキチョキはさみを入れられるように自在に形を変え、美しい蝶の姿に。それはまた、次のページをめくるころには、なんだか、”お花”の姿に見えてきて。

自在に白い「平面」を駆け巡りながら、”ふうせん”を膨らませた女の子のもとへと戻ってきた”それ”は、またまた、形を変えて。思いもよらない「あるもの」となって、女の子にそっと寄り添う”ふうせん”だったもの……。文字がなく、シンプルの極限の線画に、読み手の私たちが膨らませるのは「ふうせん」の代わりに『想像力』なのかもしれません。繊細かつ、グラフィック・デザイナーとしての仕事の傍ら、絵本という、ある種究極の「アート」とも呼べる色褪せない世界を生み出したイエラ・マリは、きっと、子供の目、子供の感性で見た「世界の姿」を、こうして誰もが手に取れる素晴らしくユーモアにあふれた作品として世に残してくれました。

「戦争下。戦火に苦しんだ子供たち、市井の人々を救った芸術家たちの姿/ブルーノ・ムナーリ」

こちらも芸術家、画家、デザイナー、絵本作家として数々の肩書を持つトップアーティストであったブルーノ・ムナーリも、イエラ・マリと同時代のイタリア出身の作家です。主に谷川俊太郎さんとのコンビで、日本においてもたくさんの絵本作品が発表され、誰にとっても一度は手に取ったことのある、馴染み深い作風でしょう。マリやムナーリ、それに同じくイタリア出身で同じく素晴らしい絵本作品・デザインにまつわる作品を遺したレオ・レオーニも、第二次大戦という激動の時代を生き抜いた世代です。

その時代を「体感」していない私に、その厳しくつらい経験が彼らや彼らの仕事に与えた経験について想像する資格はないかもしれません。けれども、そうした時代を生きたからこそ、何十年という時を経て子供のみならず大人の心にも響き続ける作品が生まれたのだと、祈りのように確信します。平和でわけへだてのない、子供の笑顔があふれる時代を、そんな日々がやってくることを、何よりも希求したからこその”絵本”というかたち。いま、不穏な時代の中ではありますが、明日もわからぬ命、親しい人たちの生死というやり場のない悲しみと緊迫の中ではなく、日常を穏やかに過ごすことのできる私たちが、作品を手に取ることで”子どものように”素直に感じることのできるあれこれは、穏やかで優しくあるからこそ、逆説的に【その時代、その想い】を忘れてはいけない、ということなんだと思います。

「暖かく強く、そしてファンタジックに、親しみやすいアートを絵本作品に著したエリック・カール

レオ・レオーニがNYの広告業界で活躍していたころ、見出したのがご存じ、『はらぺこあおむし』のエリック・カール。日本でも、翻訳絵本の代名詞ともいえるほど、人気も知名度も抜群のおひとりです。親しみやすい人柄と絵柄もあいまって、ユーモアと明るさに満ちた作品は、誰にとっても笑顔を運んでくれるものばかり。しかしそれは、視覚的に計算されつくした、やはりデザイナー・アーティストとしての学びと深い知識がセンスとして昇華したものでしょう。”絵本の魔術師”とまで呼ばれる、日本だけでなく世界中で愛されるカール氏の存在は、「時代」という断絶、「芸術」と「子供むけ作品」の断絶、知らぬうちに私たちが”関係ないもの”と見做してしまう物事が、この世界において、深く関わりあっていることの象徴のようにも思えてきます。

優しく、あたたかく、誰にとっても、わかりやすい。それらは、手に取る読者――特に子どもたちへの、深く強い愛情がなければなしえないほどのエネルギッシュな”仕事”でしょう。紹介した3名も、それ以外にも大勢のこうした偉大な(そして偉大ぶらない!)作家たちが、子どもも大人も、あるべき”正しさ”から外れない心を育むのに、どれだけ寄与したものか。私事ではありますが図書館という場所で、長く愛される良書、そしてほっぺを真っ赤にして大好きなそれらの本を探しにやってくる子ども達と触れ合うたび、絵本――理屈でなく心に残る美しさと明るさを持ったデザイン絵本―の、愛とユーモアにあふれた姿に、あらためて心に火が灯り、本の世界に関わるものとして勇気をもらえる気がするのです。

【終わりに】児童文学者・渡辺茂男氏からのメッセージ(『あかい ふうせん』によせて)

(前略)字のない絵本は、まず絵になる考えと着想がなければ生まれません。つぎに、その着想の展開、つまり構成がたいせつです。形と色と表情で、はじめに何かが始まることをにおわせ、そして、つづくページを開くと、前のページとつながりながら、前のページとはちがう新しいできごとが展開し、それが、流れとリズムをもって、クライマックスに読者を導いていかなければなりません。途中で、流れが切れてしまったり、意味のわからない場面があったりすると、そこに、それを説明することばがないだけに、読者は、ついていかれません。その逆に、全体の構成が、あまりにも陳腐で、わかりきった子どもだましであれば、読者は、くりかえし見ようとはしません。イエラ・マリの『あかい ふうせん』は、何回見ても、息をのむほど新鮮で、ため息のでるほど、あかぬけした、心のはずむ傑作です。

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