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甘えたいとき

私はTwitterが大好きで、Twitterがあるから、一人でも生活できている気がする。
人間は一人では生きていけない、とか、そういう厳密なことは今日はいいです。
今日はそういう難しいこと考えないって決めたので、勝手に私の意思で。

悩むことがあって、ぐるぐる考えるうちにどれを選んでも正解がない気がしてきた。
考えるのが面倒くさくなって、考えるのをやめたくなって、半分やめた。
私の眉間には、Windowsのぐるぐるの輪っかが現れて、よく思考が止まる。

そういうなんだかもう無理だな〜、自分の中で気持ちを消化しきれないな〜、というとき(そういうとき以外でも)私がいつも逃げるのはTwitterで、もしツイートが全てひとり言として、口から言葉が吐き出されていたら、私は相当うるさい人間だったことでしょう。

今日も息をするように弱気なことをツイートしたら、Twitterで唯一繋がっているリアルの友達が電話をかけてきてくれた。
仕事では一日何十回も、電話をかけるし、かかってきた電話も取るのに、自分の携帯に電話がかかってくると(うわあっ)とびっくりしてしまう。
友達から電話が来たら私は嬉しいって感じるのに、誰かと話したいとき、友達に電話をかけられないのはなんでだろう。
話したいときに人に電話をかけるのが苦手で、私はツイートをしているのだとわかっている。

友達が話を聞いてくれて「茅野ちゃんの尊厳を傷つけないで」と言ってくれて、すごく心が軽くなった。
そういうことを伝えてくれる友達がいるというだけで、私は私のことが好きになれる。
とか言うと、重いんですけど。自分を核として魅力を作れる人がいいのでしょう、本当は。
でも、私はそういうことを伝えてくれる友達が私のそばにいてくれて、何年経っても、離れてなかなか会えずにいても、私と関わり続けることを選んでくれていることがとても嬉しい。
それを嬉しいと思う、自分のことも好きだから、もう私はそれでいい。
それでいいって言うと、『それ"で"いい、なの?』とか、そういうのも今日はいらない。

人に愚痴を話すのが苦手。
愚痴を話すのが苦手なんだと思う、ツイートはいくらでもできる。
友達に話を聞いてもらっていて、その理由が少しわかった。
話している間、自分で何度も「もう今となってはどうにもならないからいいんだけど」「仕方ないんだけど」と言っているのに気づいて、考えても仕方ないことをぐるぐるしているんだなってわかった。
そんなこと言っても仕方ないってことをいつまでも気にしていて、それに気づいてしまうと恥ずかしいから。
甘えたことを考えてるって気がつくからだ、と。
ツイートだと一度文字にするから、いくらでも推敲できるし取り繕えるけど、言葉は口から勝手に出てきてしまうから取り消せなくて恥ずかしいんだなって思った。

でも、友達は「うん、うん」ってずっと聞いてくれて、いろんな選択肢もくれて、私が思いつかなかったことばかり。
その中でも、人としてどれを選べば正解か、じゃなくて、私が一番つらくない選択はどれか、で話をしてくれたのが嬉しかった。
そもそもがそんな大それた話ではないので、今回は正解不正解もない内容なんだけど(そんなことで気を病んでいるけど)
友達が電話をくれて嬉しかった。話ができてよかった。ずっと情けない私だったけど。

今日のこともあって、いきなり電話をしてみたりしたいなと思った。好きな人たちに。
いっぱい話したい。好きなことも嬉しかったことも嫌だったことも、なんでも。

文字はいくらでも推敲できるし取り繕えるって言ったけど、全然、取り留めもなくなっちゃった。
今日はただ、友達が「茅野ちゃんのこと全然知らない人がそんなこと言わないで。なんでそんなこと言われないといけないの」って怒ってくれたのが嬉しかっただけです。

初夏がよく似合うあなたの誕生日を来年も祝えますように。ありがとう。

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