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玄関先のイチジク

玄関先にイチジクはふさわしくない。個人的にそう思う。先日、奥さんが苗木を買ってきて玄関先に置いたのだが、ドアを開けると目に入ってくるイチジクがある風景に、なかなか違和感を拭えずにいる。そんな思いをよそに、苗木はぐんぐん成長し、早くも実をつけ出しだ。奥さんは"ベビー・イチジク"と言ってはしゃいでいる。

違和感の根源

イチジクといえば、実母の実家の広い庭にあったイチジクの木が最も印象が強い。幼い頃、夏休みなどを利用して祖父母を訪ねたとき、母がそこにあった果実をもいで食べさせてくれたものだ。

この思い出が、そのままイチジクにふさわしい風景として記憶に強く残っている。都内にある住宅の狭い玄関先に、イチジクの苗木が置かれているのに大きな違和感を感じる根源はきっとここにあるだろう。

「もちろん、食べるため」ー。玄関先にイチジクを置くという個人的にはありえないチョイスについて奥さんに尋ねると、にべなくこう答えた。さらに「これぞ、地産地消」と得意げな表情で続ける。

地元活性化につながっています、社会貢献しています、良いことしていますとでも言いたげな顔。これに対しては、わが家のイチジクは単に花屋で買ってきた苗木を育てて食べるだけだからねと言ってやりたい。

"不老長寿の果実"

イチジクは"不老長寿の果実"と呼ばれている。調べてみると、実際、便秘に効くらしい。その歴史は古く、原産地のアラビア半島では6000年以上前から栽培されてきたことでも知られている。

最近の研究では、海外の新石器時代の遺跡で、1万1000年以上前の炭化したイチジクの実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物だった可能性もあるそうだ。

こうした"ご大層な代物"であるはずのイチジクが、玄関先に置かれている状況に違和感が一段と膨らむ。あらためて玄関先にイチジクはふさわしくないと言いたいが、そうしないうちに苗木が目に見えて育ってきた。

現時点で、大きな実が一つ、小さな実が複数。さらに、それを見つけて収穫を心待ちにする奥さんの嬉しそうな表情がある。玄関先のイチジクに感じた違和感はこのまま置き去りにされ、押し流されていく予感がする。

それも悪くない。

(写真〈上から順に〉:"ベビー・イチジク"=りす、不老長寿の果実と呼ばれるイチジク=tenki.jp、古代エジプトの壁画に描かれるイチジク収穫=キッチン・サイエンス・ラボ)


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