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愛、言葉は違えど・・・

わが家のベランダで孵化した7匹の青虫。このうち、生きていることが確認できたのは「青虫7号」のわずか1匹のみ。このままでは、鳥に食べられるなどして全滅しかねない。奥さんと相談し、蛹(さなぎ)になるまで家の中で保護することにした。この状態について、わが家では"軟禁"と呼ぶ。ただ奥さんはこれに異を唱え、頑なに"過保護"という言葉を使う。

苦肉の策

青虫たちが孵化したグレープフルーツの苗から枝を一本だけカットし、キッチンペーパーを敷き詰めた水差しに差し、そこで青虫7号を保護している。場所はトイレの隅。これで鳥に捕食される心配はない。

トイレに置いた理由は、起こりがちな人為的なミスを避けるための"苦肉の策"だ。どんなに気を付けても、誤ってぶつかったり蹴っ飛ばしたりしてしまう可能性は決してゼロではなく、それを防ぎたかった。

青虫7号の今ある状態はかつてのミャンマーの指導者、アウン・サン・スーチーとほぼ同じように見える。身体の自由こそ制限されていないものの、決められた一定の空間内でしか動けない。だから、軟禁。

一方、奥さんの見方は少し違う。自然は弱き物が淘汰される厳しい世界。そこから外敵や寒さなどといった脅威に晒されることがない家の中で過ごすのだから、それは過保護。なるほど、決して間違った解釈ではない。

軟禁と過保護。いずれも言葉のニュアンスはネガティヴだ。お互い、口には出さないまでも、青虫7号のあるべきところは、自然の中との考えで一致しているからだろう。言葉は違えど、青虫7号を愛でる気持ちは変わらない。

※関連リンク(青虫シリーズ):「愛、それは一瞬の気の迷い!?」「"芋活"という言葉を好きになれないワケ」「わが家の青虫連続失踪事件、事態解明へ」「生存率14・3%の世界

(写真:アウン・サン・スーチー=THE NATION)

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