子どもの適応力は生きる力

保育園始まって初めての母子分離、初めてのお迎えを昨日終えました。
半年以上前に市の運営する一時預かりの利用はしたことあるけど、ここ半年は常に親と一緒の生活。

メソメソしてないかな、ひとりぼっちになってないかななんて思いながら保育園まで1人で歩く。
こども園の園庭で外遊び中だったので、中に入れてもらう。園舎の陰から園庭を覗く。

乗り物を模した遊具の中に、今朝娘に着せてった服が見える。
遊具から出てきたその子は帽子を被ってるから、帽子拒否の強い娘とは違う。
うちの子どこかなーなんて探すも居ない。
娘が持ってる服を着てるのはさっきの子だけ…

え、うちの子帽子かぶれんの!?

もう初っ端からびっくり。
帽子被せようとすれば自分の村に火でも放れるかのような嫌がりようなのに。
前日の母付き添いの慣らし保育では、外遊びの行き帰りに「最初どれだけ嫌がる子でも、そのうち被れるようになるから今被れてなくても大丈夫ですよー!」と言われてたのに。
2日目にしてクリア。適応能力ありすぎだろ。

みんなとお揃いのお帽子で園児らしさが増した娘、ずっとタンポポ1輪握ってる。

娘は結構お花への興味が強いと思う。
でも花壇とか人のお宅のお花を好きにするわけには行かず。
栽培してる花と野生の花の違いはまだ理解できないだろうから、花に対する対応を統一してた。
お花に触りたがったら阻止して、「チョンってするだけだよ」と言い聞かせて、指でピッと触る以上のことをしかけたら花から離すようにしてた。
そして「はい、お花さんバイバーイ」と手を振らせていたら、この頃では花に手を振るようになった。

花鳥風月全てに命と尊厳が有るように振る舞うディズニープリンセス系メルヘン女児へのルートまっしぐら。

そんな娘がタンポポ握って離さない。めっちゃ可愛い。
暖かな陽射しの中、自分の行きたい方に自由に歩き、先生に近寄ったり離れたり。

なんかもうその光景だけで泣けちゃって。
帽子被ってる衝撃、関わり合いは少なくとも集団の中で過ごせている衝撃、何かを大事そうに握ったまま離さない姿。

一緒に過ごしてる間、誰よりも一番近くで娘のお顔を見てきた。
それは私の特権なんだけど、近くにいたら見えないものが有ったんだなと。

幼児の集団の中で、その子の親だけが感じられる特別感と存在感。
そんな素敵なものが今まで見えていなかったことをちょっと惜しむような気持ちになったりして。

先生に促され、園舎の隅の私に気づく娘。
泣くかと思いきや、テトテトタタタと歩いてくる。
手に持ってたタンポポを「あーい」と渡してくれる娘。
そんなん私、号泣やん。
(なお、顔いっぱいに力んで顔真っ赤にしてブッサイクな泣きヅラで娘からタンポポをもらう写真が撮られて新しく、それが添付された連絡帳の返信を見て度肝を抜かれた。あまりのブサイクさに「私2度と人前で泣かないようにしよう」と誓った。)

私と離れても、先生たちがサポートしてくれる。
そして何より娘自身がたくましい。小さい脳みそで気持ちを切り替え環境に適応しようとする。
泣いたり笑ったりして周囲の関心を集めて生存しようとする赤ちゃんの時代は終わり、その場の環境に自らを適応させる幼児期に突入したのを実感。

しかしながら「お母さん一緒に遊ばないんでしょ?ここに来たら、私を置いていくんでしょ!」という現実に気付いたと思われるため、娘にとってはこれからが慣らし保育の正念場だと思う。

私としては、親が不在の時間も娘が守られて過ごせる環境に娘を送り込めたという安心感が得られた。

母と子で保育園への考え方に凄まじい温度差が有ると思うけど、ここは一つ頑張っていただいてせっかくの仕事復帰前の母子分離を楽しませていただく所存。

なお娘から初めて贈られたタンポポは、帰宅時にベビーカーも歩行も断固拒否の抱っこ小猿モードとのもみくちゃにより、原型を留めて持ち帰ることは出来なかった。



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