お子、産院に出戻り入院。

ご無沙汰しております。
「マタニティーブルーズの経過の詳細って、書いたら誰かの助けになるのかなぁ」とか言っちゃって、世のため人のためな善人ぶって書いたnoteだったんですけどね、結局のところ根っこが怠け者なんですよね。
急に中止して音沙汰なし。そういう不義理な女なんです。

久しぶりにnoteのことを話題にしてくれる本当の善人、もはや聖女と関わりがありまして。
「あーそうだった。どこまで書いてたっけ」と読み返してみると、書いてた頃よりも動揺せずに読めたので、またちょっと書いてみたいと思います。
年末にね、年賀状作りで久しぶりにPCを起動したので、今回からPCで。
以前よりも脱線すると思います。こう見えてパソコンスピード検定3級(6級から始まる検定だから大したことない)なんですよ。


ただ、大きな出来事はメモで残してあるんだけど、下書きがもう尽きていて自分自身の詳細な記憶も曖昧になってるので、ざっくり。
完結させることを目標として!ね!!!

🌸産後7日目🌸


乳首が痛いとヒンヒン泣きながら朝を迎え、母乳外来の当日予約(午前中)の時間に産院へ出発。夫が車を出してくれたもんで、後部座席でヒンヒン言ってるうちに到着。
お子も一緒にベッドに横になり、桶谷式乳房管理士様の手技を受ける。
この助産師さん(桶谷先生と呼ぶ)がとにかく頼れる人。助産師としての経験もあり、話し方もサバサバっとしており、いろんなアドバイスをくれる。
手を動かしつつ口も動かす。
すごいよ。私なんて「口はいいから手を動かしなさい」と言われて育ち、今でも口が動けば手が止まる大人なのに。
会議に参加しながら議事録とか絶対書けないタイプ。

そんなわけで、桶谷先生から育児アドバイス・授乳アドバイス・産後の過ごし方・食事・お乳揉まれながらいろんな話を聞く。
「どう、母(母乳外来受診中の授乳婦を〇〇さんでもなく、ママでもなくこう呼ぶ。結構好き。)の調子は」なんて聞かれて、絶好調と答えなきゃと一瞬思うも、いやもう全部話してしまおう、今のままじゃ無理だわと覚悟。
しんどいことを全部話す。
・虐待する妄想が止まらない事
・全然満足に眠れない事
・寝たら寝たで悪夢を見る事
・悪夢の内容が決まって知らない人に我が子が虐待されそうになってるのに身体が動かず助けに行けない内容である事
・産後の一時的な情緒不安だと分かっているから耐えるしかないけど、わかっていてもかなり精神的に辛い事
・もしかしたら本当に虐待する人間かもしれないから、そうなる前に精神科に掛かって治療受けたほうがいいのかもしれないと思ってる事

桶谷先生、「ああ、それは母ツライな」と一言。
当時の記憶が曖昧になってると前述した割に、この「ああ、それは母ツライな」は声色から症状から全て記憶にある。分かってもらえたと安堵した一言だった。
「ちょっと黄疸も増えてるね。多分この子入院になるかも。そしたら母少し休みな」と黄疸測定のセンサーを取り出しピコンと。
なんぼやったかな、とにかく退院時よりも上がってる。
あと体重も退院時より減ってた。

いやー、黄色いなーとは思ってたんですよ\(^o^)/
でも退院できたし、生理的黄疸ってのが起きることを知識として知っていたし、病院バイト時代に見たものすごい黄疸出ちゃってる患者さんと比べたらまだそこまでじゃないし、別にレベル低下っぽいような雰囲気ないし。
「黄色いけど、赤ちゃんってこんなもんなのかな」「育児本には1か月で治まるって書いてるから、1週間なんてまだまだ黄色くて良いのかな」と思って様子見てたらナンテコッタイ。

とりあえずセンサーの値が基準値を超えていたため、採血のためお子は桶谷先生が産婦人科外来に連れて行ってくれる。
私は(産婦人科外来と母乳外来は別の場所なので)母乳外来から一度外を通って車で待ってる夫に状況説明をしてから産婦人科外来へ。

採血でも基準値オーバー、13時-翌13時の24時間光線療法突入
「お子さんこのまま病棟の方にお連れしますねー。入院に関して今から助産師が説明に来ますので待合でお待ちください」とのことで、待つ。
入院中に関わってもらった記憶のある超絶優しい助産師さんが来てくれて「あらー、ママ大変だったねえー。頑張りすぎちゃったー?」なんて朗らかに声かけてくれたもんだから、産婦人科外来待合で人目もはばからず号泣。
泣いてばっかだなほんと。

「日中の授乳時間に合わせて来てもらってもいいけど、しんどかったらミルクあげちゃうし、どうする?」
「来るなら16時ので大丈夫。OK,じゃあ来るって病棟に伝えとくけど、しんどくて休みたくなったら電話くれたら良いからねー」
「この後先生のお話あるから、それ聞いたら一旦お家かえって休んでね。赤ちゃん居ないからって家のこと済ませちゃおうなんてしたらダメだからねー」

本当に暖かい対応をしてもらったなぁ。
あの時期はメンタルきててきつい自覚もあるのに、すごい第三者の目が気になってしまってた。「こういう時は、こうしなきゃいけない」という強迫観念みたいな。
「熱心に育児に取り組む人は、こうするべき」みたいな。
ちゃんと出来てるでしょ?大丈夫でしょ?とアピールするように過剰に「授乳きます!大丈夫です!来れます!」て言い続けてた。

今同じ状況なら絶対授乳行かずに家で銀のさらで出前して食って寝るわ。

主治医の先生から光線療法の説明受けて、帰宅。

とりあえず明日の退院まで、娘は産院のスタッフさんの庇護下にあり、虐待の恐れのある私から離れて過ごせることに安堵。
絶対安全な環境。私も娘も助かったと心からホッとした記憶あり。

家着いて早速寝りゃ良いのに、16時の授乳時に持参するために搾乳を開始。
搾乳持ってこいなんて一言も言われてないのにね。
(むしろミルクあげるから休めと言われているのに。)
私の頭の中は「良いお母さんは、ここできっと搾乳を持っていくんだろう」と。
露骨なほどの「良いお母さんアピール」だったなぁ。

16時授乳にて面会。高線療法(保育器じゃなくて、コットの下から光を当てるタイプ)中の我が子見て、退院後初めて笑ってしまう。


「宇宙船に乗ってるみたいでしょ💗」
と紹介される。


「うちの子、核分裂してますやん」
と。
昔見た原子炉始動時のチェレンコフ光の動画と同じ色で光ってますやんと。

とりあえず、授乳。黄疸のせいで倦怠感があったせいか、入院のため授乳のタイミングがずれてミルクあげてもらってから3時間未満で来たからか、光線療法でぽかぽかで心地よかったのか、なんでかは分かんないけど起きない我が子。

体重減少してるの知っちゃってるもんだから、飲まない事に焦る。
一緒に娘を起こそうと刺激してくれている助産師さん(入院説明してくれた人とは別)の前で「もっと体重減るじゃん、飲んでよ」と泣く。

仕方ないから持参した搾母乳とは別にその場で搾乳。
その分だけ哺乳瓶の乳首で飲むもんだから、また感極まって泣く。
「なんで直接飲まないのさ。飲んでくれなきゃあんた死ぬんだよ」というと助産師さんが「その時は搾乳すればいいし直接にこだわらなくても死なないよ、大丈夫だよー」と。
確かにそうだ。なんならミルクでいいじゃん。
産前は「母乳にこだわりません。出なけりゃミルクで良いでーす」なんて思ってたのに、やっぱ疲労と睡眠具足と情緒不安定は人を変える。

授乳後「じゃあ今夜はお預かりしますね。明日授乳来るなら10時でお願いします。しんどかったら電話ください。ここで一つアドバイスなんですけど、手が空いたからって家事はしないでください。赤ちゃんがママにくれた休息時間だと思って休んでください。2人目3人目の出産のママだと『上の子とゆっくり過ごせてラッキーでした』ってリフレッシュした顔で退院お迎えに来るくらいなんで、それくらいの気軽さで休んでくださいね」と念押しされる。


産院を出る=子供が安全な場所にいることが約束された瞬間となり、めちゃくちゃ気が楽に。

この産後7日間で一気に妊娠前のと同じ体重まで痩せてしまい、自宅の階段を一息で上がれなくなってた。

休んでりゃいいのにこの後夫としゃぶしゃぶ食べ放題に行き、飲酒。
久しぶりの酒は染みるねぇ。最高だよ。キリン。
国産牛食べ放題の一番いいコースでしゃぶしゃぶを食べまくり、瓶ビールあけまくったさ。
途中お胸痛すぎてトイレで搾乳したりしたけど、とにかく食べた。
「明日迎えに行ったら、本当にしばらく外食なんて無理だね」なんて言いながら。

まさか1か月検診突破した途端に方々連れまわして外食してるとはこの時は思ってなかった。


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