完全解説『セックスワーク・スタディーズ』とは何だったのか?(坂爪真吾)

2018年9月、『セックスワーク・スタディーズ 当事者視点で考える性と労働』(SWASH編・日本評論社)が刊行されました。

編者のSWASH(Sex Work and Sexual Health:代表・要友紀子氏)は「セックスワーカーが安全・健康に働けることを目指して活動している」と称しているグループです。セックスワーカーとサポーターのメンバーによって構成されているとのことです。

SWASHは、性風俗に関わる支援団体や個人、性風俗産業を記事として取り上げているメディアに対して、主にツイッターやFacebook上で批判的なメッセージを発したり、異議申し立てをしていることが多いので、「ああ、ツイッターで見たことがある」という方も多いかもしれません。

その一方で、風俗業界の関係者の方や、風俗に関する特集記事を書いているメディア関係者の方からも、「坂爪さんのことをよく批判しているSWASHの要さんとかいう人、一体何を言っているのかさっぱり分からないんだけど」「使っている言葉や論理構成がとにかく難解で、繰り返し読まないと理解できない」という質問をよく頂きます。

SWASHは、当事者視点を強調しているにもかかわらず、(性風俗の現場で働く当事者はほぼ誰も使っていない)労働運動関連の左翼用語、ジェンダー・クィア理論に関する専門用語や学術用語を頻繁に使用しているので、風俗業界関係者を含め、現場で働く当事者の方々が理解・共感できないのは当たり前だと思います。

当事者視点で現場のことを考える資料としては、現役ヘルス嬢であるΩ子さんのマンガ『リアル風俗嬢日記』(竹書房)の方が数百倍分かりやすく・面白く・役に立ちます。

また、いわゆるセックスワーク論の歴史・現状・課題に関しても、鈴木凉美さんの『AV女優の社会学』(青土社)の中でコンパクトにまとめてあるので、そちらを読んだ方が圧倒的に分かりやすいです。

性風俗に関する学術的な研究書としては、熊田陽子さんの『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ――SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(明石書店)があります。

熊田さん自身がフィールドワークという形で実際に都内の風俗店の受付スタッフとして働き、7年間にわたって働く女性の生の声を集め、文化人類学的な視点から分析した力作です。

特定のイデオロギーに基づいた「結論ありき」の研究、誰かや何かを叩くことで相対的に自分たちの地位を高めるための研究ではなく、性風俗の世界の複雑性と多様性に向き合い、客観的な立場から論じているお勧めの一冊です。

こうした良書は、既に多数存在しています。そして、今回刊行された『セックスワーク・スタディーズ』には、これまでに刊行された性風俗関連の書籍と比べると、特に目新しい論点や一次情報が書かれているわけではありません。

内容的にも、現場で働く当事者に向けたものではなく、むしろ労働運動やLGBTをはじめとした左翼活動家界隈での評価(=内輪受け)を狙ったものになっています。

「当事者視点」というよりは、「いかに左翼活動家コミュニティの中の評価を獲得するか」という「内輪受けの視点」で書かれた一冊だと言えます。

その意味で、性風俗の現場で働く当事者、研究者や学生さんを含めた大多数の人にとって、難解極まりない『セックスワーク・スタディーズ』を積極的に読むべき理由は、ほとんどないでしょう。

その一方で、『セックスワーク・スタディーズ』には、これまでの、そしてこれからのセックスワーク論を考えていく上で、非常に重要な論点が含まれています。

また、「SWASH関係者が、なぜあのような言動を繰り返しているのか知りたい」という方や、「SWASHから批判・攻撃されたけど、一体何を批判されているのかよく分からなくて、非常に迷惑&困惑している」という方もいらっしゃることでしょう。そうした方にとっては、一読の価値はあります。

ただ、この内容&ページ数&ソフトカバーで2000円はちょっと高すぎるので、なかなか手が出ない人が大半だと思います。

そこで、学生時代から約15年間にわたって、第三者の立場からSWASHの活動を生温かくウォッチしている私が、『セックスワーク・スタディーズ』の中身を、現場で働く当事者の方々や、性風俗をテーマにレポートや論文を書いている学生さんにも理解できるように、専門用語を極力使わずに、分かりやすく解説したいと思います。

(以下、人物への敬称略)

第1章 SWASHと『セックスワーク・スタディーズ』

1-1 SWASHとは、どのような団体なのか

冒頭で述べた通り、『セックスワーク・スタディーズ』は、かなり分かりにくい、読者を選ぶ本です。

「はじめに」の時点で、いきなり「セックスワークの問題は労働問題である」「セックスワーカーたちの声をないがしろにすべきではない」という宣言がなされます。

実際に性風俗の世界で起こっている問題が労働問題なのか否か、そしてセックスワーカーの声がないがしろにされているか否か、そもそも国内の性風俗を論じる際に海外から輸入したセックスワーク論をそのまま適用できるのか否かについては、それぞれ異論・反論があると思いますが、「異論・反論は一切認めない」という前提で以降の議論が進んでいきます。

「セックスワークの問題を労働問題としてみなさない人たちは、全てダメ」「セックスワーカーを中心としていない運動や支援は、全てダメ」というスタンスです。いきなり上から目線全開ですね。

「なぜそんなに上から目線なのか」「その認識は変じゃないの」「ついていけない」と思う読者は、この時点で離脱すると思います。

そして第1章「誰が問いを立てるのか セックスワーク問題のリテラシー」で、要友紀子によるセックスワークの「二次利用」批判という、他団体への嫉妬と呪詛に満ちた観念的な議論が延々と繰り広げられるので、九割方の読者はここで挫折すると思います(笑)。

副題の通り、「当事者視点から考える」ことがテーマの本であれば、まず自分たちの団体にどのような当事者がいて、具体的に現場でどのような活動をやっているのか、という団体紹介から入るのがセオリーですが、そうした紹介や現場の話は一切出てきません。

ブブ・ド・ラ・マドレーヌによるSWASH立ち上げに至るまでの1990年代の話は、第0章で書かれていますが、2000年代以降、具体的にSWASHが何をやっているのか、どのようなメンバーがいるのかは、明確に書かれていません。

『セックスワーク・スタディーズ』には、大阪で2年間行った電話相談のデータ(85件)、3年間でオーナー研修を4回やって云々といったことが載っている程度で、それ以外の期間は一体何をしていたのか、そもそも何もしていなかったのか、よく分かりません。

本書『セックスワーク・スタディーズ』で終始一貫しているのは、「誰よりも当事者のことを分かっている私たちが、当事者のことを何もわかっていないあなたたち(支援者・支援団体)に教えてあげるから、ありがたく拝聴しろ」という、「謎」の上から目線です。

SWASHという団体自体の分かりづらさが、この「謎」に、さらに拍車をかけます。

ホームページを見ても、具体的に何をしている団体なのかよく分からないし、そもそもメンバーが誰なのかも明記されていません。

20年間にわたるSWASHの活動の大半は、性風俗の現場で働く女性当事者の支援でもなければ、政策提言やロビイングでもありません。

事実、そうした活動の話は『セックスワーク・スタディーズ』の中ではほとんど出てきません。

「HIVなどの性感染症対策に焦点をあてて活動している」とホームページでは記載されていますが、20年間の中で、そうした活動を組織としてきちんと行っていた期間はそれほど長くありません。

では、SWASHとは一体何をしている団体なのか。

なぜ、そこまで上から目線なのか。

1-2 セックスワークの「二次利用」とは何か

『セックスワーク・スタディーズ』で出てくるキーワードの中で、最も重要なものは、セックスワークの「二次利用」です。

この「二次利用」という言葉が意味するものは、SWASHのロゴマークに端的に表現されています。

「スティぐま ゆうてるやろ!」というコピーと、怒った表情のクマとおぼしき動物が描かれています。

このロゴマークが一体何を意味しているのか、誰に対して何を訴えているのか、さっぱり分からない人が大多数だと思いますが、同書付録の用語集によると、「スティグマ」とは社会が特定の身分・職業・特性を持つ人に押す「負の烙印」を意味する学術用語です。

「それは当事者へのスティグマを強化・増幅している!」と主張すれば、たいていの支援者・支援団体をもっともらしく批判できるので、実践者を批判したい左翼活動家界隈ではよく使われている言葉です。

一方で、「スティグマを増幅しているのは、軽々しくスティグマという言葉を濫用して、頼まれてもいないのに当事者を代弁して相手を攻撃しているお前たち自身だろ」というブーメランが高確率で飛んでくる可能性が高い言葉なので、慎重な論者はあまり使わない表現ではあります。

「スティグマ」と同じような意味合いで、第1章では「有徴化」という言葉も使われています。これも学術用語で、ごく一部の研究者を除き、ほとんどの人は聞いたことすらない言葉だと思います。ちなみに私も知りませんでした(笑)。

これは、明確に風テラス批判で使われている言葉です。「風俗で働く人だけを支援の対象にするのは、風俗で働く女性への差別を助長し、スティグマを増幅させることになる。だから、全ての人が利用できる相談窓口に変えるべき」というのが、要友紀子の主張です。

一見もっともらしく見えますが、これは論理的には完全なブーメランです。

「だったらSWASHも『すべての当事者のための支援団体』にすればいいじゃん。以上」「セックスワーカーを最も有徴化しているのは、セックスワーカーの支援団体と称して20年間活動している要友紀子自身ですよね。以上」で終わりです(笑)。

まぁ、SWASHが具体的な活動を何もやっていないのであれば、「スティグマ」にも「有徴化」にも当たらないのかもしれませんが。

第2章で宇佐美翔子が述べている「セックスワークに携わるあらゆる年齢・性別・性的指向・職業の人を想定した支援をしなければいけない」という主張も、「だったら自分でやれば。以上」で終わりです。

全ての団体は人手・時間・資金に制約の中で動いているわけなので、「万人を想定した支援」は、端的に不可能です。理屈としては正しいですが、「そのやり方では万人は救えないの!」という批判は、「批判のための批判」にしかなりえません。

いずれも、具体的な活動をしていない団体が、(行動できない・していない自分たちを正当化するために)実践している団体を批判する時に用いられるロジックの典型でもあります。

このように、1秒で論破できる程度のロジックではありますが、『セックスワーク・スタディーズ』は、前述のような「謎」の上から目線と、こうした貧弱なロジックに基づいて構成された「スタディーズ」です。

念のため述べておきますが、「スタディーズ」=学問は、個人の信念や願望を正当化する目的で用いられるべきものではありません。

同様に、誰かや何かを批判することでしか自分たちの正しさを立証することのできない人たち、何かや誰かを叩き続けることでしか自分たちの承認欲求を満たすことのできない人たちの玩具(オモチャ)でもありません。

1-3 結局、SWASHとは何なのか

まとめると、

セックスワーカー(とSWASHが考えている人たち)に対してスティグマを付与しようとしている(とSWASHが判定した)人たちを批判すること

セックスワークを二次利用している(とSWASHが判定した)個人・団体・メディアを批判すること

これがSWASHの活動内容の大半を占めています。

つまり、活動の前提に

・「誰がセックスワーカーなのか」「何がセックスワークの二次利用にあたるのか」についての決定権、言うなれば国内における「セックスワーク」「セックスワーカー」という言葉に関する「著作権」は、当事者団体であるSWASHが握っている。

・セックスワークやセックスワーカーについて語る個人・団体・メディアは、全てSWASHの意向に沿う形、事前に使用許諾を得た形で発信しなければならない。

・それ以外は全て「二次利用」であり、当事者のスティグマを強化し、人権を侵害するものである。

こうした強固な信念があります。

さらに、以下のような特別ルールもあります。

・SWASHメンバーや関係者による発言は、いかなる場合でも「二次利用」には値せず、スティグマの強化にも当たらない。

SWASH関係者で『セックスワーク・スタディーズ』にも出てくるライターの松沢呉一は、街娼を取材した『闇の女たち』(新潮文庫)というセックスワーカーへのスティグマを増幅させまくりなタイトルの本を出していますが、SWASH的には、これは「二次利用」にはならないようです。

そして要友紀子は、(本人が当事者なのかどうかは知りませんが)この20年間、学会や各種イベントを含め、あらゆる場面でセックスワーカーを代弁して様々な個人・団体・政策をかなり恣意的に(詳細は後述)批判してきましたが、それも「二次利用」には当たらないようです。

自ら「二次利用」を繰り返している人ほど、自分自身が「二次利用」をしているという自覚がない。それゆえに、他者に対して「二次利用だ!」という批判・攻撃を繰り返す。

この時点で頭が痛くなってきた読者の方もおられるでしょうが、まだまだ序の口です(笑)。しばしお付き合いください。

1-4 実体は『LGBTQセックスワーカー・スタディーズ』

百歩譲って、SWASHが全国数十万人の風俗嬢データ&店舗ネットワークを持つ大手風俗情報サイト「シティヘブン」のような存在であれば、前述のような「セックスワーカー日本代表」のような振る舞いをする権利はそれなりにあるでしょう。

あるいは、日本風俗女子サポート協会のように、代表の女性が数多の在籍店でナンバーワンを取った経歴を持ち、全国200人以上の風俗嬢の会員を持ちながら、女性向けのセミナーや講演、風俗店のスタッフ向け研修を定期的に行っている団体であれば、そうした発言をする権利はあるでしょう。

しかし『セックスワーク・スタディーズ』に書かれている通り、SWASHに現役の当事者=実際に性風俗の現場で働いているメンバーは誰もいません。

同書を読む限り、SWASHのメンバーは要友紀子・げいまきまき・宮田りりぃの3名のみ。セックスワーカーの当事者であると公表しているのは、げいまきまきのみ(ただし「元」セックスワーカー)です。

当事者団体というよりも、「活動家団体」と言ったほうが正確でしょう。

『セックスワーク・スタディーズ』の執筆者には、現役の当事者が一人もおらず、LGBTQ関連の活動家・研究者がほとんどを占めています。

そのため、本書のタイトル・内容は、正確に言えば『LGBTQセックスワーカー・スタディーズ』です。

このタイトルであれば、(商業出版にはまず耐えられないとは思いますが)執筆陣が当事者を代弁して発言しても、誰からも批判は受けないでしょう。

執筆陣の属性に合わせて『LGBTQセックスワーカー・スタディーズ』にしておけばよかったのに、主語を無理矢理「セックスワーク」全般に拡大してしまったがゆえに、そして現役の当事者が誰もいない状態で、「セックスワーカー日本代表」として、国内のセックスワーク全般の「著作権」を主張してしまったがために、随所でブーメランが飛び交い、疑問符の嵐が吹き荒れる一冊になっています。

「この人たちは、一体なぜ・何のために・誰のために、ここまで偏ったやり方でセックスワークを問題化しようとしているのか」という疑問が、読者の頭の中で渦巻くことでしょう。

少なくとも、実際にデリヘルやソープの現場で働いている当事者のためではないことは明らかです。

1-5 SWASHとだいわりゅう

当事者の言っていることは、すべて正しい。

当事者不在の活動や支援は、全て間違っている。

自分たちだけが当事者を理解・代弁できる(している)。

自分たち以外の団体は、当事者を都合よく利用しているだけ。

こうした思想を「当事者原理主義」と呼びます。

SNSの普及により、感情論や単純な二元論が流行るようになった現在、こうした当事者原理主義を振りかざす個人や団体のアカウントは、ツイッター上ではよく見かけることが多いです。

他の当事者団体の名誉のために付け加えておくと、「当事者原理主義」を振りかざす当事者団体は、ごく少数派です。

なぜなら、当事者原理主義は、最も当事者から嫌われる思想だからです。

どんな分野でも、当事者を勝手に代弁して誰かを批判・攻撃しているような団体は、当事者から徹底的に敬遠・軽蔑されます。

「日本人であること」を掲げて中国や韓国を叩くヘイトスピーチやヘイト本が、大多数の良識ある日本人からは忌み嫌われることと同じですね。

むしろ、当事者が集まっていない団体であればあるほど、その事実を隠ぺいするために、あたかも自分たちの団体に当事者が集まっているかのように、当事者原理主義を振りかざす傾向があります。

その典型例が、一部のネット上で有名な「だいわりゅう」というアカウントです。

風俗嬢や家出少女を救うNPO代表と称し、「当事者のことを一番分かっているのは自分だけ」というロジックで、風俗関連の支援団体やメディアを含め、あらゆる人を見境なく攻撃し、デマの拡散や誹謗中傷などのハラスメントを繰り返す悪質なアカウントです。

ちなみに、だいわりゅうは「風俗で働く女の子を救えるのは、うちとSWASHだけ!あとは全部偽物なんです!!」と度々宣言しています。

なお、だいわりゅうは認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんに名誉棄損で訴えられて、敗訴しています。社会的にも法的にも、だいわりゅうの言動を真実だと信じる人は、もはや誰もいません。売名行為や炎上商法にすらなっていないと言えるでしょう。

にもかかわらず、だいわりゅうはデマの拡散や誹謗中傷を一向にやめていません。おそらく、自分の意志ではやめたくてもやめられないような状態=ある種の依存症状態にあるのでは、と思われます。

当事者原理主義には、一度ハマったら自分の意志ではやめられない、依存症にも似た怖さがあります。

当事者という「正義の御旗」を振りかざせば、相手を黙らせることができる。議論で負けそうになった場合も、「勇気を出して声を上げた当事者を傷つけるのか!」「それは当事者への差別だ!スティグマだ!!」と都合よく論点をすりかえることができる。

ツイッター上で名ばかりのフェミニズムやミソジニー(女性嫌悪)、ミサンドリー(男性嫌悪)を振りかざす人たちと同様、『セックスワーク・スタディーズ』にも、こうした「依存症としての当事者原理主義」が潜んでいます。

長年活動を継続しているように見える支援団体や当事者団体が、フタを開けてみれば、これといった活動実績はなく、実態は「依存症としての当事者原理主義」から抜け出せない人たちの集まりだった・・・というホラーのような話は、これからどんどん顕在化してくると思います。

『セックスワーク・スタディーズ』と呼ばれているものの実体を知ることは、依存症としての当事者原理主義に陥ること、ツイッター議論依存症に陥って自分や他者を傷つけることを回避するためにも、大いに役立つと思います。

第2章 『セックスワーク・スタディーズ』は、既に死んでいる

2-1 日本で「セックスワーカー」という言葉が根付かなかった理由

SWASHの活動は、一言で表現すれば、セックスワークの「二次利用警備隊」です。基本的な行動原理は、前述のだいわりゅうとそう変わりありません。

ジェンダー関連の学会やシンポジウム、ネットやメディアをパトロールして、セックスワーカーの二次利用(とSWASHが主観的に判断した対象や事件・出来事)を発見したら、即座に「差別だ!」「スティグマだ!!」と叩く。それによって、自分たちがあたかも「正義」の「当事者団体」であるかのように振舞う。

まさに「SWASHにあらずんば、セックスワーカーにあらず」「SWASHの事前許諾を経ずして、セックスワーカーを語るなかれ」といったところでしょうか。

当事者不在の自称・当事者団体(活動家団体)が、頼まれてもいないのに当事者を代弁して、実際に現場で当事者を支援している団体を「当事者のスティグマを強化している!」「人権を侵害している!」と攻撃する。

二重・三重・四重にねじれた活動なので、ほとんどの人にとっては、理解も共感も非常に困難だと思います。

当事者団体がそういった振る舞いをするのであればまだ分かりますが、前述の通り、SWASHには、一般的な届出風俗の現場で働いている当事者を代弁できるような組織実態や活動実態は無い。いるのは、(運動や研究のメインストリームに乗れなかった)LGBTQ界隈の当事者や活動家だけです。

メインストリームに乗れなかったコンプレックスの裏返しとして、貧弱な活動実績を「盛る」ための手段として、自らの活動を「なんとかスタディーズ」と仰々しく権威付けしたがるのかもしれません。

ここで考えるべきは、「日本の性風俗業界では、なぜ(SWASHが理想としているような)当事者主体の権利擁護活動が根付かなかったのか」という問いです。

その点を分析すれば、なぜSWASHが「二次利用警備隊」と化してしまったのかがよく分かると思います。

2-2 そもそもカウンターを放つ相手がいない

ここで、重要な点を確認しておきましょう。

ここまで「セックスワーカー」や「セックスワーク」という言葉をさも当たり前のように使ってきましたが、2018年現在、これらの言葉は、デリヘルやソープといった一般の届出風俗の現場では、全くと言っていいほど使われていません。

これらの言葉を頻繁に使っているのは、LGBTQ 界隈の活動家や研究者など、ごく一部の人だけです。というか、ほぼSWASH関係者だけです(笑)。

「セックスワーカー」や「セックスワーク」という言葉は、いずれも個人売春中心のアメリカで生まれ、そこから日本に輸入されてきた言葉です。

当事者の女性にとって、売春は、犯罪でも性的搾取でもない「仕事(ワーク)」である。それゆえに、労働としての観点から、働く女性の権利・健康・労働環境は守られる必要がある。

このことを主張するために、売春を犯罪や性的搾取として捉えている人たちや、売春否定論を唱えるフェミニストへの強烈なカウンターとして現場から生み出された言葉が、「セックスワーク」であり「セックスワーカー」です。

「搾取モデル」に基づく売買春の理解を相対化するための「労働モデル」を提示するために、これらの言葉が生み出された、というわけです。

カウンターを放つべき相手となる制度や対象が明確なアメリカでは、非常にインパクトのある言葉でした。

しかし、日本においては、カウンターを放つ相手となる制度や対象が不明瞭だった、という問題がありました。

そもそも日本の性産業の中心になっているのは、アメリカのような個人売春ではなく、店舗型・無店舗型の風俗(非本番系サービス)です。

風俗は、風営法により30年以上前から「非犯罪化」されています。また個人売春についても、売春防止法には処罰規定が無いため、事実上「非犯罪化」されています。出会い系サイトやアプリを使った援助交際・パパ活は現在も大盛況です。

こうした背景があるため、「売春を犯罪化しようとするやつら、売春女性を管理・差別しようとする政府やフェミニストにカウンターを食らわせろ!」「売春の非犯罪化を実現しよう」という活動は、当然ですがうまくいきません。

デリヘルもソープも(それなりの摘発リスクはありますが、それは女性ではなく経営者側のみ)とっくの昔に「非犯罪化」されているし、自由意思で出会い系サイトやアプリで援助交際やパパ活をしている成人女性を、わざわざ行政や警察が把握・管理しようとするような動きもありません。

2-3 現場では誰も使っていない言葉

以上の理由から、「セックスワーク」や「セックスワーカー」という言葉は、日本の性風俗の現場ではほとんど使われていません。

私も15年間性風俗業界に関わり、札幌から福岡まで、全国各地で数えきれない人数の働く女性・店長・スタッフ・媒体関係者とお会いしてきました。

現在も、風テラスの活動を通して、ほぼ毎日のように、全国の女性や業界関係者の方々とメールやLINEでやりとりをしています。

彼らや彼女たちの口から「セックスワーク」や「セックスワーカー」という言葉を聞いたことは、ただの一度もありません。

デリヘルの事務所や待機部屋で、キャストさんやスタッフから「セックスワーク」や「セックスワーカー」といった言葉を聞いた記憶も、一度もありません。

「セックスワーク」や「セックスワーカー」も、日本においてはあくまで支援者用語であり、学術用語です。当事者以外の人が使う言葉です。

借金や病気で生活に困っている人が「私たち生活困窮者は~」という主語を用いることがまずないことと同様、性風俗で働く女性が「私たちセックスワーカーは~」という主語を用いることは、まずありません。

産婦人科医の間ではCSW(コマーシャル・セックスワーカー:性風俗産業に従事する人の意)という言葉が使われることもありますが、そうした言葉があること自体、デリヘルやソープの現場で働く女性はほとんど知らないのが現実でしょう。

2-4 「セックス」でも「ワーカー」でもない

なぜ日本では、セックスワークやセックスワーカーという言葉が現場で根付かなかったのか。

答えは簡単で、日本の性風俗で働く人たちは

・そもそも「セックス」を売っているわけではない

 ⇒建前上、挿入無しの非本番産業(デリヘル)が中心

・そもそも「ワーカー」(労働者)ではない

 ⇒雇用契約の下で働く労働者ではなく、業務委託契約に基づく個人事業主

からです。

そして一番の理由は、個人営業主体の海外の売春とは異なり、日本の性風俗は、女性が店舗に在籍して働く、という特徴があります。

売春は個人戦ですが、風俗はチーム戦です。

拙著『「身体を売る」彼女たちの事情 自立と依存の性風俗』(ちくま新書)では、一章分を割いて、こうした「チーム(共助)としてのデリヘル」の実像を描いています。

『セックスワーク・スタディーズ』には、この視点が完全に欠如しています。オーナー・店長・スタッフ・ドライバー・WEBデザイナー・媒体広告関係者・風俗案内所といった、性風俗の問題を語る上で欠かせない「チーム」の面々が、一切出てきません。

(これについては別な理由もあると思うので、後述します)

セックスワーカーという言葉に引きずられて、働く女性個人にしか焦点を当てていない。それゆえに、日本の性風俗の現場を知ってる人間からすると、全く現実感のない、抽象的な理論の羅列に終始してしまっています。

「個人戦」中心の海外で生まれた理論をそのまま無批判に輸入し、「チーム戦」中心の日本に無理矢理当てはめようとして、当事者の理解や共感をほとんど得られずに失敗した。それが日本における『セックスワーク・スタディーズ』の正体です。

権威主義に陥り、自らの活動を「スタディーズ」と仰々しく僭称して、「当事者の使っていない言葉で当事者を代弁する」「海外の理論や事例を振りかざしてマウンティングする」という「左翼活動家あるある」に陥ってしまった。

SWASHの問題は、そうした失敗を自分たちではなく社会や他団体のせいにして、ネット上で「セックスワーカーとしてイキる」ことを繰り返し、さらに他団体への批判や攻撃を「表現の自由」に基づく「スタディーズ」として正当化しようとしている、という点にあります。

第3章 SWASHは何をやるべきだったのか

3-1 問題設定の誤りを認められなかったSWASH

日本の性風俗産業においては、「セックスワーク」や「セックスワーカー」といった言葉を用いた「労働モデル」に基づく当事者主体の権利擁護活動はうまくいかない(成り立たない)。これは良いか悪いかの問題ではなく、事実の問題です。

実は、今をさかのぼること18年前、2000年の時点で、このことは明らかになっていました。

1999年~2000年にかけて、SWASHメンバーの要友紀子と水島希(現在はSWASHから離脱)は、非本番系風俗店(ヘルス、イメクラ等)に勤務する風俗嬢126人に対して、職業意識に関する調査を実施しました。

この調査は『風俗嬢意識調査』(要友紀子・水島希:ポット出版)にまとめられています。

本調査は、Amazonレビューで小谷野敦が批判しているように、「売春の非犯罪化をめざす人々による調査といいながら、調査対象はヘルス、イメクラなど、売春防止法からいえば違法ではない、セックスを含まない風俗業に従事する者だけで、ソープ嬢が含まれていない。根本的に欠陥を含んだ調査」だと言えます。

前述の通り、「セックスワーカー」という言葉自体、及び「売春の非犯罪化」という問題設定自体、日本の性風俗の現状と大幅にズレていることは間違いありません。

「セックス」を売っているわけでもなければ「ワーカー」でもない彼女たちの発言や回答を「二次利用」して、無理矢理「彼女たちはセックスワーカーとしての職業意識を持って働いているのだぁ~!」とゴリ押しするような内容になってしまっています。

「労働モデル」に基づいて性風俗で働く女性の声を代弁することは、一部の研究者や労働運動系の左翼活動家には響いたかもしれないが、現場で働く当事者には全く響かなかった。

こうした問題もあり、SWASHの活動は、立ち上げ直後の時点からうまくいかなくなっていました。

『風俗嬢意識調査』 共著者の水島希、同書に寄稿していた橋爪大三郎、瀬地山角、小倉千加子、宮台真司、南智子(故人)、同時期にSWASHらとセックスワークについて論じていた澁谷知美らは、今ではセックスワークについて、ほとんど、あるいは全く発言していません。

メンバーも減り、団体内部のいざこざや金銭トラブルで支援者や賛同者も離れ、事実上、(今でもそうかもしれませんが)要友紀子による個人活動=ワンオペ状態になっていたと思います。

この時点でSWASHがやるべきことは、「セックスワーク」や「セックスワーカー」という言葉の呪縛を捨てて、本当に国内の性風俗店で働く当事者とつながるための言葉、そして当事者が必要としている支援を届ける方法を考えることだった。

しかし、そちらの方向にはいかずに、自分たちの頭の中だけ、半径1メートルの範囲にしか存在しない「セックスワーカー」というファンタジーを維持するために「二次利用警備隊」に変身することで、あたかも「セックスワーカー」という人たちが存在するかのように振る舞い続ける方向を選んだ。

具体的な活動を通して当事者とつながることよりも、自分たちの信じる「労働モデル」を死守する道を選んだ。

「労働モデル」に基づいた当事者主体の権利擁護活動がうまくいかない理由を、自分たちの理論や方法論(=二次利用!)のせいではなく、他団体や研究者・メディアの「二次利用」のせいにして批判・攻撃する道を選んだ。

この時点で、日本における「セックスワーク・スタディーズ」は完全に死んだと言えます。

その後のSWASHが(労働モデルに基づく活動が一定の成果を挙げているとされる)海外の活動家や映画作品を紹介するイベントに終始するようになったのも、こうした背景があったからでしょう。

3-2 『セックスワーク・スタディーズ』再生のために

「二次利用警備隊」の人たちが、自分たちの左翼的なファンタジーを維持するために他者を見境なく攻撃する「棍棒」と化してしまった「セックスワーク・スタディーズ」を再生するために、2012年に私が企画・主宰したのが、『セックスワークサミット』というイベントです。

日本における『セックスワーク・スタディーズ』は、残念ながらSWASHがダメにしてしまいましたが、海外で育まれたセックスワーク論自体のポテンシャルは、日本国内の現状に合う形で応用すれば、まだまだ十分に活用できる。

誰かや何かを叩くためではなく、現場で働く当事者の安心・安全、そして権利向上に資する建設的な議論をする場として、セックスワークサミットを立ち上げました。

これまでの6年間のサミットの議論は、こちらのホームページでご覧いただけます。『セックスワーク・スタディーズ』より100倍面白いことは私が保証しますので、未参加の方は次回、ぜひご参加ください。

ちなみに、サミットにはSWASH(要友紀子)も2回登壇しています。議論自体をダメにしてしまったとはいえ、日本におけるセックスワーク論の嚆矢は腐ってもSWASHなので、先人の活動に敬意を払って、そして「我々はSWASHの敵ではない」という意思を表明するため=SWASHからの攻撃を未然に回避するために、ゲストに招きました。

ゲストに招いた際、弊社の事務局に、SWASHメンバーの元客と思しきある男性から実名で「SWASHのメンバーにお金を騙し取られた」「お金が無い、風俗では働きたくない、子宮筋腫でSEXできないから援助交際も無理など、色々な嘘を並べて、自分からお金を騙し取った」「自分からお金を騙し取った後、すぐに他の男性と援助交際をしていた」「こんな人がセックスワーカーを支援するため、セミナーや学会等に参加することはふさわしくない。マスコミに告発したい」というタレコミが届きました。

このタレコミに関しては、事実であるかどうか判断できなかったので(そして当時は団体としてのSWASHを一応信じていたので)、スルーしました。

が、2回もゲストに招いたにもかかわらず、そしてSWASHを告発するタレコミを全てスルーしてゲストに招くという、主催者としては結構なリスクをとったにも関わらず、結局私も風テラスもSWASHから激しく攻撃される羽目(後述)になったので、「あのタレコミを信じて、ゲストに呼ぶのをやめておけばよかった・・・」と深く反省しております。

当事者を二次利用している人間にかぎって、自分自身が二次利用しているという自覚が全くない。

上から目線の議論をしている人間にかぎって、自分自身が上から目線に立っているという自覚が全くない。

『セックスワーク・スタディーズ』が依存症の一つの表れだとすれば、これはまさに「否認の病」です。

「自分は絶対に二次利用していない」という自己認識があるので、客観的に見れば明らかに「二次利用しているのはお前自身だろ」と言われるような状況であっても、それに一切気づかない。

サミットをきっかけにSWASHを知り・接触したために、SWASHから攻撃を受けてしまった方には、この場を借りて深くお詫び申し上げます。

第4章 『セックスワーク・スタディーズ』は二度死ぬ

4-1 マウンティング手段としての『セックスワーク・スタディーズ』

以上のように、『セックスワーク・スタディーズ』は、2000年代冒頭の時点で、既に死んでいました。

「上野千鶴子・中山千夏・兼松左知子・立岩真也・角田由紀子・松井やよりらの売買春否定論を徹底論破」という触れ込みで刊行された『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』(2000年・ポット出版)において、要友紀子・松沢呉一らは、上記の論者を含めて、様々な相手に「果たし状」のような批判を一方的に送り付けています。

当時学生だった私を含め、読者の大半は、「この人たち、セックスワーカーの人権云々というのはただの建前で、単に誰かにケンカを売って騒ぎたいだけなんじゃないの」と思ったはずです。

「攻撃されてもいないのにカウンターを放つ」ことによって、あたかも「敵」が存在しているかのように見せかける。そして、「自分たちが最も当事者を代弁しているのだ」というマウンティングを繰り返すことができる。

今から18年以上前、2000年の時点で既に、日本における『セックスワーク・スタディーズ』は、こうした活動家やライターによるマウンティングの手段、マイノリティ憑依の手段として「二次利用」されていたと言えます。

ケンカ依存症の人にとって、セックスワークの問題系は、誰かに議論を吹っかけるための格好の口実だったのでしょう。

そもそも国内における性労働完全否定派は、作家の北原みのりや弁護士の角田由紀子など、片手で数えられる程度の人数しかいなかった。大多数の人は、風俗自体を全く知らない無知・無関心派でした。任意の相手を無理矢理「売買春否定派」と認定して叩く、という振る舞いにも限界が来ていました。

前述の通り「セックスワーク」(労働モデル)は、売買春否定派(搾取モデル)へのカウンターとして生まれた言葉ですが、2000年代以降は、カウンターを放つ相手すらいなくなってしまった。仮にこちらから攻撃したとしても、相手にされなくなった。

そもそも「セックスワーク」というテーマでは、(実際の現場から乖離している+誰も読まないので)商業出版自体ができなくなった。

日本において「労働モデル」は、結局「搾取モデル」に勝てなかったと言えます。

それでも、当事者を代弁して「二次利用警備隊」を続けることはやめられない。「セックスワーカー」が現実には存在しないファンタジーだったということが明らかになってしまえば、そして「労働モデル」が「搾取モデル」に勝てなかった事実を認めてしまえば、それまでの自分たちの半生が無に等しいものになってしまう。

そこで、SWASHは「攻撃されてもいないのにカウンターを放つ」というスタンスからさらに踏み込んで、「自ら作り上げた敵を自ら叩く」という自作自演型のスタンスに舵を切ります。

4-2 「斬る相手」を作り出せ

SWASHにとって、『セックスワーク・スタディーズ』は、あらゆる当事者の人権を守ることのできる理論であり、あらゆる対象を都合よく上から目線で批判できる「最強の理論」です。

しかし、この「最強の理論」は、労働運動やジェンダー、クィア理論などの共通言語を持った相手にしか通用しません。

セックスワーカーの人権や労働環境を守りたいのであれば、フェミニストや支援団体ではなく、女性を騙している悪質なスカウトや違法店、辞めた後も動画や画像を削除してくれない情報サイトと戦えばいい。実際、風テラスにはそうした相談が山のように届きます。

しかし、SWASHはそうした店舗やスカウト、情報サイトとは一切戦っていません。

その答えは簡単で、「最強の理論」が通用しないから。

路上のスカウトや違法店の店長、広告代理店の営業担当者やウェブデザイナーに、滔々と『セックスワーク・スタディーズ』『セックスワークの非犯罪化』を説いたところで、「は?」と言われるだけでしょう。

結果的に、似たような共通言語を持ち、似たような領域で活動している研究者や支援団体を攻撃せざるを得なくなる・・・というわけです。

何でも斬れる最強の刀を持っているにもかかわらず、肝心の斬る相手がいない。斬りたいのに斬れない。でも、誰かを斬らずにはいられない。

そうした欲求に駆られた人たちは、共通言語を持った相手を自分たちで育てて、それを斬ればいい・・・という発想に行きつく。

具体的な手順は、以下の通りです。

・「当事者(に近い存在)」あるいは「当事者の代弁者」としてセックスワーク・ジェンダー・人権等をテーマにした学会・講演・講座に登壇し、関心を持って参加してきた人たちに対して、最初は教え導くような形で優しく接する。

・相手が「最強の理論」をそれなりに理解し、同じ共通言語で語れるようになった頃合いを見計らって、手のひらを返したように「勉強が足りない!」「お前は当事者を二次利用している!」と激しい攻撃を開始する。

こうやって文字にすると、毒親やDV加害者の振る舞いと同じですね・・・。

斬られた側も、斬りつけてきた側が当事者を代弁していると信じているがゆえに、そして共通言語を理解しているがゆえに、「いや、二次利用をしているのはお前らの方だろ」とは反論しにくくなる。こうなると、もう斬られ放題です。

このループを繰り返せば、半永久的に「二次利用警備隊」であり続けることができる。「労働モデル」に基づく「当事者団体」を装い続けることができる。自分たちの正義に酔い続けることができるわけです。

『エッチなお仕事なぜいけないの?』(中村うさぎ編:ポット出版)の巻末にも書いてありますが、編者の中村うさぎが売春の非犯罪問題について論じた際も、SWASH関係者(要友紀子・松沢呉一)からあれこれ説教・批判されたようです。ちなみに要友紀子・松沢呉一の論考は、同書には載っていません。

風テラスも、弁護士さんたちがわざわざ3万円も払ってSWASHのセミナー(セックスワーカーのためのアドボケーター養成講座)に参加したのに、結局「二次利用だ!」「当事者を有徴化している!」と攻撃される羽目になりました。

弊社やじんけんSCHOLA、荻上チキさんをはじめ、これまでSWASHから攻撃された個人・団体は、たいてい何らかの形で要友紀子を一度講師として呼んでいる(呼ぶことを検討した)団体やメディアです。

SWASHとじんけんSCHOLAの争いの詳細はこちら

「お家に帰るまでが遠足」であることと同様、「SWASHに攻撃されるまでがセミナー」なのかもしれません。

4-3 「アウティングヤクザ」の手法

SWASHは、誰が組織のメンバーなのか、実際にメンバーが何人いるのか、そしてその中で実際に現場で働いている当事者であるのは誰か、ということを明らかにしていません。(そもそもメンバー自体がほとんど存在しないのでは、というツッコミは、いったん脇に置いておきます)

もちろん、セックスワーカーの権利擁護に関する社会活動をしているからといって、自分が当事者であることを公の場でカミングアウトする必要は全く無いと思います。

しかし、SWASHの問題点は、(実際に誰が当事者なのかは不明であり、そもそも当事者自体が一人もいない可能性もありますが)当事者であること、あるいは当事者であることを公にしていないことを、他者を攻撃する手段として悪用していることです。

具体的な手順は、以下の通りです。

1.誰も聞いていない(聞きたくもない)のに、自分から一方的に「実は自分は当事者である」「誰にも言わないでほしい」と打ち明けてくる

(特に親しくもない第三者に、こうやって無理矢理秘密を共有させること自体、ある種の暴力だと思いますが・・・)

2.その後、上記(4-2)のような形で攻撃してくる

3.自分たちが反撃されて不利になると、「私が当事者であることを漏らそうとしている!アウティングになりますよ?」と、急に被害者の立場に立って脅してくる

 あるいは、

4.周囲の人に、「●●さんが、私が当事者であることを他の人にしゃべろうとしているんです」と、被害者を演じて泣きつく

「当り屋(わざと車にぶつかって、運転者に損害賠償を請求しようとする輩)」というか、当事者性を悪用した「アウティングヤクザ」とでもいうべき悪質な手法ですが、リベラルな考えの個人や団体・研究者の場合、「当事者へのアウティングになってはいけない」という良心から、こうした脅しや虚言に屈してしまうことが多いです。

誰が当事者なのかを明らかにしていなければ、自分たちが不利な立場に追い込まれた時に、こうした「アウティングヤクザ」の手法を用いて、議論に勝つことができる。批判を全て封じ込めることができる。

自ら「敵」を作り出すことができる。

そして、必ず「勝つ」ことができる。

こうした条件が整っているがゆえに、セックスワーク・スタディーズは、一度ハマったら抜け出せない「依存症」になる、というわけです。

4-3 病としての『セックスワーク・スタディーズ』

まさに「現代の病」とでもいうべき『セックスワーク・スタディーズ』ですが、こうした「病」は、ツイッターで「正義」や「義憤」に駆られて常に誰かや何かを叩いている人たちに共通してみられる現象です。

自分が信奉する理論(信念集合)の「切れ味」のよさに悪酔いしてしまい、誰かを斬り続けることをやめられなくなってしまった人たち。自ら作り出した敵を斬り続けることをやめられなくなってしまった人たち。

こうした人たちには、もはや当事者を支援することも、当事者とつながることもできません。

決定的だったのが、2016年に社会問題化したAV出演強要問題です。

参考:もう一つの「#MeToo」 AV出演強要問題を考える

性風俗やAVといった、いわゆる広義のセックスワークの世界において、少なくともこの20年間で最も大きな社会問題になった事件です。

AV出演強要問題に関しては、多くの識者や団体がそれぞれの立場から意見を述べ、行動を起こしました。SWASHも、AV出演強要問題を社会問題化した認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ(HRN)ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)を批判する立場から、参加しました。

しかし、SWASHの掲げる『セックスワーク・スタディーズ』は、ここでも全く役に立ちませんでした。

そもそも「セックスワーク」という言葉自体が使えなかった。

AV女優が「セックス」を売りにしている「ワーカー」だということになると、売春防止法や職業安定法に抵触するため、彼女たちの権利を守ることができなくなる。

結局、AV女優を表す言葉として「表現者」という言葉が使われることになりました。セックスではなく演技を売っている、というロジックです。

皮肉な話ですが、「セックスワーカー」という言葉では、SWASHが守りたい「セックスワーカー」の権利を守ることができなかったわけです。

労働モデルでは、搾取モデルに勝てない。こうしたことは、2000年の時点でとっくに分かっていたはずなのになぁ、と思いますが。

ちなみに、「表現者」「表現の自由」というロジックでも、セックスワーカーの権利は守れないことが、その後のAVANの顛末で明らかになっていきます。

4-4 当事者とつながれない。被害者も救済できない。

AVAN(表現者ネットワーク)にアドバイザリーボードとして参加したSWASHは、AV出演強要の被害に遭った女性被害者を支援するHRNやPAPS、NPO法人ライトハウスに対して、例によって「AV業界で働く人たちへのスティグマを強化している!」と威勢よく攻撃していました。

しかし、それはコップの中の嵐にすぎませんでした。AVANは、結局AV女優たちとはほとんどつながることができなかった。そして、メーカーやプロダクションとも、うまくコミュニケーションをとることができなかった。

2017年7月に開催されたAVANの総会では、AV女優らのネットワーク団体であるにも関わらず、AV女優の姿は会場にほとんど見えませんでした。

セックスワーカーの当事者団体と称しているにもかかわらず、当事者がほとんどいないSWASHと同じ状態になってしまったわけです。

当事者とつながれない。被害者も救済できない。

そんな中で、被害者を支援している団体を「当事者を代弁して」執拗に攻撃するだけ。

こうしたフラストレーションと膠着状態の中で、結局いつも通り、「左翼活動家あるある」で、アドバイザリーボード内で内ゲバが発生。

代表も理事たちも、誰一人として説明責任を果たさないまま、AVANはいつの間にかホームページが削除され、消えてしまいました。

私もAVANのアドバイザリーボードに入っていました。その理由は、AVANには、SWASHのようになってほしくなかったから。

当事者や業界とほとんどつながれないまま、左翼的なファンタジーとしての労働モデルを振りかざし、当事者を代弁して支援団体への批判や攻撃を繰り返す。そんな団体にはなってほしくなかったから。

しかし結局、AVANもSWASH化して、消滅してしまいました。

AVANの名誉のために付け加えておくと、(代表・理事らが説明責任を果たしていないという点は厳しく批判されるかもしれませんが)当初の目的を果たせないと判断した時点で団体をきっぱり解散したのは、素晴らしい英断だったと思います。

少なくとも、SWASHのような「二次利用警備隊」と化して以後20年間も団体の延命を図るような振る舞いに出なかっただけでも、十分に評価されるべきだと思います。

AV業界関係者が誰も動かなかったあの逆風満帆のタイミングでAVANを立ち上げ、社会に向けてメッセージを発した川奈まり子さんは、個人的に尊敬しています。

AV出演強要問題におけるSWASHの行動とその顛末は、まさに日本国内における『セックスワーク・スタディーズ』の限界と終焉(もともと始まってすらいないと思いますが)を象徴するような出来事でしたが、『セックスワーク・スタディーズ』の中では、一切触れられていません。SWASH自身の言葉を借りれば、完全な歴史修正主義(笑)です。

自らの限界と課題を明記しない論考、都合の悪いことを隠ぺいするような理論を、「スタディーズ」=学問とは呼びません。

2000年の『風俗嬢意識調査』、そして2017年のAV出演強要問題の顛末を通して、『セックスワーク・スタディーズ』は「二度死んだ」と言えるでしょう。

第5章 「はじまりの一冊」ではなく「終わりの一冊」

5-1 「二次利用警備隊」の居場所は、もはやどこにもない

2018年現在、これまで紹介した学術書や新書に加えて、『日本の風俗嬢』『女子大生風俗嬢』(中村淳彦)、『最貧困女子』(鈴木大介)『風俗嬢たちのリアル』(吉岡優一郎)『東京最後の異界 鶯谷』(本橋信宏)『デリヘルドライバー』(東良美季)、『売春島』(高木瑞穂)、『女子高生ビジネスの内幕』(井川楊枝)、『漂流遊女~路地裏の風俗に生きた11人の女たち』(中山美里)らのライター陣による優れたルポは、多数刊行されています。

『匿名の彼女たち』(五十嵐健三)『デリバリーシンデレラ』(NON)『フルーツ宅配便』(鈴木良雄)などの性風俗をテーマにしたマンガ作品も、多くの名作が揃っています。

前述のセックスワークサミットをはじめ、現役風俗嬢が主催する「性を楽しむきっかけ作り」をコンセプトにした手コキ研究会、「風俗女子に夢と自信と明るい未来を!」をキャッチコピーとした日本風俗女子サポート協会(FJS)など、当事者によるイベントやセミナーも各地で行われています。

テレビや新聞などの公の場で取材を受ける風俗店長、イベントに登壇する経営者も増えており、運営サイドである男性の声を発信するメディア(『Fenixzine』など)も増えています。姫タックスのように、風俗に特化した税理士法人も登場しています。

風俗で働く女性のセカンドキャリアを支援する一般社団法人 GrowAsPeopleは、性風俗産業で働く女性数百人の声をまとめ、収入や実働日数、キャストをする理由などを分析した「夜の世界白書」を発行しています。

2015年10月に始まった風俗で働く女性の無料法律・生活相談「風テラス」は、弁護士とソーシャルワーカーが、3年間で延べ400人以上の女性の相談に対応しています。

風テラス立ち上げまでの経緯を記した拙著『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)は、3万部を突破するスマッシュヒットになっています。

弊社では、風テラスの現場で得た知見や情報を支援者に伝える「風俗福祉基礎研修」を全国各地で開催しています。

【写真】2018年6月、新潟市で開催された風俗福祉基礎研修の様子

地方都市でも、NPO法人国際安心安全協会新潟支部のように、デリヘルの店長・スタッフを集めた勉強会を開催しているところもあります。

【写真】働く女の子の気持ちを理解するための基礎講座2018@長野市の様子

『セックスワーク・スタディーズ』には、こうした業界の現状や変化はほとんど書かれていません。

主要執筆者の面子(要友紀子、畑野とまと、松沢呉一、桃河モモコ=ブブ・ド・ラ・マドレーヌ)がそもそも90年代から変わっていないので、時計の針が90年代で完全に止まっているのでしょう。

自分たちにとって都合の悪いことを意図的に書いていないのであれば、まさしく歴史修正主義(笑)です。

そして何より、『セックスワーク・スタディーズ』が生まれた90年代と最も異なるのは、性風俗で働く女性による発言や発信がネット上に溢れ、いつでも・どこでも・誰でも、それを読むことができるようになっていることです。

ツイッターや写メ日記を開けば、風俗で働く女性当事者たちのつぶやきや画像・動画といった「生の声」が、毎日数えきれないほど投稿されています。ケンカや炎上などのトラブルも起こりますが、働く女性同士がツイッター上でつながりあうことも多いです。

わざわざSWASHが「セックスワーカーたちの声をないがしろにすべきではない」という左翼的な主張をするまでもなく、当事者たちは既にツイッター上で積極的に発信しています。当事者たちの声や活動を最もないがしろにしているのは、他の誰でもない、SWASH自身です。

今回の『セックスワーク・スタディーズ』を、「セックスワーカー当事者と研究者・支援者・ライターたちが協働で書き上げた、かつてない一冊!」などと言って騒いでいるのは、こうした現場や歴史を知らない人たちだけでしょう。

私を含め、過去の歴史を知っている人からすれば、「セックスワーク・スタディーズ?ああ、昔失敗したアレでしょ。まだ懲りずにやってるの?」と思うはず。

数多の書籍が出版され、女性当事者たちが活発にオンライン・オフラインで発言&交流し、現場で堅実な活動を積み重ねている支援団体やNPOが成果を出している現在の風俗業界に、「二次利用警備隊」の居場所は、もはやどこにもありません。

日本における『セックスワーク・スタディーズ』が、理論の構築・普及、そして世代交代による継承、全てにおいて失敗したことは、火を見るより明らかです。

その意味で、今回の『セックスワーク・スタディーズ』は、「はじまりの一冊」ではなく、「終わりの一冊」だと言えるでしょう。

5-2 『セックスワーク・スタディーズ』という依存症の果てに

前述の通り、『セックスワーク・スタディーズ』は、ある種の依存症です。

依存症であるということは、「やめたくてもやめられない」ことを意味します。そして、アルコールや薬物と同様に、行動がどんどんエスカレートしていくことを意味します。

SWASHによる他団体の批判・攻撃は、ここ数年、明らかに一線を越えています。

言論による批判を超えて、盗撮や著作権侵害、人格攻撃などの誹謗中傷、デマの拡散や記事の捏造、ストーカーまがいの業務妨害にまで及んでいます。

【参考】SWASH要友紀子氏らによる当社に対する業務妨害・デマの拡散について

ホワイトハンズの射精介助事業のことを「風俗店のくせに!」「手コキデリヘルのくせに!」と、風俗店に対する社会的偏見をそのまま利用する形で批判しています。これも同じく、セックスワーカーの権利擁護を掲げている団体としては、ありえない行為です。

こういった行為は、セックスワーク・スタディーズが依存症であると考えれば、理解できます。

セックス依存症の人は、実はセックスそのものや異性が嫌いなことが多いです。セックスワーク・スタディーズを標榜する人たちも、実は風俗が嫌い・男性が嫌い(ミサンドリー)・異性愛者が嫌い(ヘテロフォビア)、という感情的背景があるのではないでしょうか。

『セックスワーク・スタディーズ』の中で、実際の業界の話=男性スタッフや店長、男性客の話がほとんど出てこないのも、それが理由なのだと思います。

5-3 本当の被害者は誰なのか

なぜSWASHが法律という一線を越えてまで、他団体を執拗に批判・攻撃するのか。ここまでお読みくださった方は、その理由がお分かり頂けたと思います。

日本国内で労働モデルに基づく主張をする限り、他団体を批判・攻撃し続けないと、自分たちの存在意義を立証できない。結果的に、依存症のような状態になってしまう。

「セックスワークの非犯罪化」を主張するためには、自らが(実際に違法な売春行為をすることを含めて)犯罪まがいの行為をし続けるしかない。

こうなってしまうと、SWASHによる一番の被害者は、SWASH自身だと言えるでしょう。

20年間活動しても、結局当事者とも業界ともほとんどつながれなかった。当事者団体を装い続けることしかできなかった。

その反動として、当事者を代弁して誰かや何かを叩くことしかできなかった。

結果として、自分たち自身を社会的に孤立させるだけでなく、多くの人を巻き込んで不幸にしてしまった。

『セックスワーク・スタディーズ』には、誰がSWASHを立ち上げたのか、明確には書かれていませんでしたが、メンバーを含めて、関わる人すべてを不幸にすることしかできなかったSWASHの生みの親は、きちんと「製造物責任」を取るべきだと思います。

5-4 『セックスワーク・スタディーズ』の死を無駄にしないために

最後に、冒頭で提示した問いに答えて、本記事を締めくくりたいと思います。

『セックスワーク・スタディーズ』に含まれている、これまでの、そしてこれからのセックスワーク論を考えていく上で、非常に重要な論点とは何か。

その答えは、日本における性風俗は、「ワーク」ではなく「チームワーク」だということです。

海外のセックスワーク論には、「セックスワーク・イズ・ワーク」という標語があります。ワーク(労働)なのだから、労働者としての権利と安全を認めて保障しろ、という意味です。

日本においては、「セックスワーク・イズ・チームワーク」と言い換えることができます。

風俗の仕事は、一人で孤独に戦う世界ではありません。キャスト・店長・スタッフ・ドライバー・広告媒体のチームで戦う世界です。

その意味で、風俗の世界は「セックスワーク」ではなく「チームワーク」の世界です。『セックスワーク・スタディーズ』には、この視点が完全に欠如していた。そして、それゆえに失敗した。

SWASHも失敗した。『セックスワーク・スタディーズ』も失敗した。しかし、それらが現代病としての依存症の一つの表れであるとするならば、これから先の時代、SWASHと同じような振る舞いをする団体は必ず出てくるでしょう。

『セックスワーク・スタディーズ』と同じようなロジックで、頭の中で作り上げた当事者像を二次利用、三次利用して、他者や他団体を執拗に攻撃し続ける団体も出てくるはずです。

そこで必要になるのは、そうした団体の言動を「面倒臭そう」「怖そう」といってスルーせずに、明確に「NO」を突きつけること(必要であれば、専門家に相談の上、しかるべき措置をとること)です。

SWASHの不幸は、明らかに破たんしたロジックを振りかざしているにもかかわらず、誰もきちんとそれを指摘してやらなかったこと、そしてあからさまな不法行為をやっているにもかかわらず、皆がそれを黙認していたことです。

(この点に関しては、もっと早い段階で指摘・法的措置をとるべきだったと、私も反省しております)

第二・第三のSWASHを生み出さないためにも、そして、本当に現場で働く当事者の権利と安全を守るために役立つ理論枠組みを作るためにも、「チームワーク」の視点を有した新しい性労働理論、私たちがこれからの風テラスやセックスワークサミットの中で構築していきたいと思いますので、ご期待ください。


あとがき

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

賢明な読者はお気づきのことと思いますが、私個人はSWASHの活動には全く興味がありません。ただ、今後本を出す時に「『セックスワーク・スタディーズ』を参考文献に入れなかったな!この歴史修正主義者め!」とSWASHから攻撃されるのも面倒なので(笑)、本記事を書かせて頂きました。

本記事が、前途ある学生・院生さんや研究者、メディア関係者、そして風俗の現場で働く当事者の方々が、暴力としての『セックスワーク・スタディーズ』に巻き込まれて、不幸な被害に遭うことを防ぐためのお役に立てば、幸いです。

暴力としての『セックスワーク・スタディーズ』の被害に遭われた方は、弊社事務局(m@whitehands.jp)までご一報ください。専門家におつなぎした上で、しかるべき措置をとるためのお手伝いをいたします。

「セックス」も「ワーク」も「スタディーズ」も、本来は、「暴力」でも「病」でもなく、社会の中で立場や価値観の異なる人同士がつながりあい、支え合うための、素晴らしい手段なのですから。

(坂爪真吾)

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