建築における仮想

現在は、情報社会である。
その中で最も発展する概念が、"仮想"という捉え方だろう。

仮想とは、現実を構成する条件の一部をキャンセルした現実として位置づけられる。

そうやって、この世界に手を加えて、理想の世界を構築するのだ。

この仮想の概念には、人工であるという前提条件が発生している。人が世界に手を加えた後の世界を仮想としているからだ。

これを真だとすると、仮想とは、人の作った枠組みの中でしか存在し得ないことになる。

以上が仮想の概念である。

それでは、建築の中で仮想がどのように成り立つかを考えてみよう。

仮想が、枠組みの中に作られた人工の世界であることは先程説明した通りだが、これが建築とどのような関係を結ぶのだろうか。

先程の仮想の概念をもう少し分解してみよう。
仮想とは、"枠組みの中に作られた人工の世界"と説明したが、この文章から読み取れるのは、仮想が"境界"と"中身"の二つで構成されていることがわかる。仮想の範囲を規定する範囲としての"境界"と、仮想を成り立たせる世界としての"中身"である。この二つのあり方によって、仮想は決定される。

次に、建築の本来の目的について考えてみよう。建築とは、古来から、外部を分けることで、内部を作り出してきた。内部では、理想の世界を求めて、多くの技術が用いられた。建築は、"境界"を強く作ることで"中身"の強度を上げ、一つの世界を構築することに成功した。これは、先程説明した仮想の概念と一致する。

しかし、それだけでは飽き足らず、人々は"境界"をなくし、仮想の世界と現実の世界を強制的に繋げることで、人工の世界へ現実を引き込み、世界を手に入れようとしたのだ。モダニズムは、なんとか仮想と現実を繋げようとしたのだ。

この次に起こるのが、ランドスケープ的建築と、プログラム的建築である。この建築は、仮想の捉え方が二極化した建築だと言える。

ランドスケープ的建築は、現実世界の方へ手を加えだしたのだ。これは、モダニズムによる仮想と現実の接続が達成され、それだけでは飽き足らず、ついに現実を仮想にするとこで、世界を理想郷としようとしたのだ。

次に、プログラム的建築の発生である。これも同様に、境界が消された結果、中身のみが表出し、プログラムで建築が達成されてしまうのである。

これが、建築の世界における仮想の二極化と捉えてみたい。"境界"の消えた建築、"形のない"建築の始まりである。

うまく建築と仮想を繋げられてはいないが、現在までの建築と仮想の役割を少しは俯瞰できたのではないだろうか。

今後も、この考え方を軸に建築を述べていきたい。

2019.08.11

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