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☆白い魔法使いからのお手紙☆ 2019.6.17(射手座満月)~6.23 Astrology&Runic divination

週のはじまり。射手座満月です。

「甘くなんかない!」という雰囲気です。

愛がある故に削ぎ落としてゆくものがあるような様子です。

今まで育んできた関係性の中から最も大切にしたい人たちの顔が浮かんでくる・・そんな背景を持つこの満月。付け加えると「一つに絞らなければならない選択と同時に」という背景も同時にここにはあるようです。「これだ」「このことを今からすぐにでも着手しなくてはいけないのだ」ということが、はっきり分かってきていると同時に「このメンバーは外せない」「このメンバーが最小の単位ではあり、今後も伸びしろが見込める最大のメンバーでもある」ということもクリアに分かってきています。ですから「違うこと」や「違和感」に対しても自ずと目が向いてくる・・そしてその「違うこと」に対していかに時間を費やし、気も使い、疲れていたか・・ということまで波紋が広がるように「分かっちゃった・・」というか「見ちゃった」というか「気づいちゃった」みたいな雰囲気があります。そして思い当たることはきっと「もう、違うことや違和感を感じることについて時間を費やしている暇はない」ということかも知れません。

「違うこと」に関して今までは「私」を主体とした「合っている」「違う」という判断でした。しかし、ここまで歩いてきた私たちはどうやらもう一回りスケールの大きな枠組みの中にいる一員としての自覚もまた強くなってきているように思います。地域・社会・世界の一員としての私。その中でギューッとズームしていった先に「今一番身近にありながら外せないメンバー」の顔が浮かんでくるのだと思います。大きな枠組みの中に存在していると同時に小さな枠組みの中にも存在している「私」が「私が在る場所とは?」ということに対する答えを求め動き始めます。そんな力強く鋭く一歩動き始める・・そんな雰囲気をヒシヒシと感じます。

この両方の「私」という存在を、今年は特に春分あたりから何度も距離を変え、角度を変え、観るポイントを変え、「その役」をやってきたような雰囲気があります。去年に比べて「配役が多くなった」と感じている方もいらっしゃるかも知れません。それはきっと多くのポジションを経験してきた、というふうに言えると思いますし、出来事のほうもまたバリエーションに富んだものだったとも言えます。自ら選んで「このポジションを一度経験しておこう」となりやってみた「役」もあるでしょうし、いつの間にか「これやらなきゃいけないのね・・」と促された「役」もあったことだと思います。

この「様々な役柄を演じてきた」流れの中で、この満月に一つの見所を迎えるポイントがあるようです。この見所というのは「見極めどころ」と言い換えることも出来ます。

「一つも嘘臭くなく、リアルに、そして、肩の力を抜いてやり通せたものは何だろうか?」

「まずはやってみよう」というテーマが春分あたりから継続してきたわけですが、夏至が目の前に迫ったこの満月、いよいよ「さて、今までの経験からどれが一番あなたそのものを生きられた?」という問いが湧き立ってくるような、そんなイメージです。満月ですから「すでに時は満ちた」わけです。「これです。これが私が最もシックリときた生き方でした」という「1つ」を提示する場面もあるのではないか、と思います。

この「1つ」が何か?という見極めどころが、先ほど書いた「嘘臭くなく、リアルであり、けれども、力が抜けた状態で取り組み続けてこられたもの。その役柄はあなたにとってどんなものですか?」なのだと思います。

その答え、その回答を自身の内面に求めること・・これは「勘」で選べるタイプのものではないという気がします。特にこの満月に至る背景には「リアル」な背景があります。現実問題と向き合ってきた中で得られた心の回答・・それがきっとたぶん正解・・なのだと個人的には考えています。イマジネーションは生きてゆくうえでとても大切です。頼ることを拒まない存在としての想像・イマジネーション。ある時は救ってくれる存在である、想像。そのことには最大限に敬意を示しつつ、ここまで私を連れてきてくれてありがとう、と感謝を示しつつ。それでも「現実・リアル」に対して目を見開いていよう、この世界の中で生きようとし続けている「私」という存在が、この満月の光を輝かしく浴びている・・という時にいよいよ至ったのだというふうに感じられる方もきっと多くいらっしゃるのではないか?と思います。誇らしく・孤高の存在である「一人の私」を認識することを強く訴えているような満月。そして、それと同時にそんな私を取り巻く「今後タッグを組み育み愛を持ってさらに成長してゆくであろうメンバーたち」という存在にもまたフォーカスされています。この満月では「誰と?」という選択にまで鋭く切りこんでくるような「甘くなんかない!」時間。切り離しや選択がかなりバッサリと行われるのだと思います。

何故この「甘くなんかない!」ということが感傷的に感じられるか?ということにいたっては、「皆本当は誰かと一緒にいたいんだ」「それがいくら間違った、筋の通らない関係であっても人間は誰かと一緒にいたいものなんだ」という、ただ暖めあっていたいという可愛らしさや拙さが見え隠れしているので「バッサリ!なんてムリ!」「バッサリ!とか言うような人は最低だ」みたいな雰囲気にもなりやすいかも知れません。人間が本来持っている愛情表現なのだから・・でもそれって本当に愛情表現でしょうか?「情」だけかもしれませんよ・・という問いが実は先週あたりからサインとして出続けています。確かに「優しさ」や「愛情」を疑うことは誰しもしたくないことではあります。けれども、ここでは「どうしたって分かっちゃう」「だって分かっちゃったんだもの」という出来事も同時に起きてくるような雰囲気です。ですから、もしもあなたにとっての「1つ」「違わないもの」と目が合ったなら、鋭く切り込むような俊敏さと勇敢さを発揮して「素早くキャッチ」して手放さないようにして下さい。それが今後あなたにとっての「人生をやってゆく意味」に繋がるでしょうし「この小さなテーマ・集合体の中に実は全て詰まってた」ということを知る、という特別なギフトです。

話は少し逸れますが、この満月前あたり私はずっとこんなことを考えていました。

「信じるって何?」「信頼に足る存在とは?」ということについて。

信じた世界の住人になるには「その世界から信用を得なければならない」

ということなのではないかなあ?とずっと何となく頭の隅っこのほうで想いを馳せていました。

この満月「私は何を信じるか?」という問いや「信仰とは?」という疑問や、それに付随して「私はそれに値する人間だろうか?」ということにまで考えが巡ることもあるかも知れません。それは「私」という孤独な存在が「居場所を見つけつつある」過程にいる、ということだと思うのです。「私が居る場所」それぞれがリアルの中から模索し続けている、そういった雰囲気を感じます。今は過渡期で「そんな場所は簡単には見つけられない」というように過去に思ってしまった世界と「待って、今その場所が見え始めているよ」という世界とを行ったり来たりしながら、戦いながら、見つけようとしています。そして現実にその「場所」を作ろうとし始めている方も多くいらっしゃるように思います。存在しないはずの場所、それは「そんなに簡単にできるわけないじゃないか」と自分が過去に設定した話です。どこからでも巻き返せるものだなあ、と実感しておられる人が現実に多くいらっしゃることもまた私は実感しています。

その「ないはず、だった場所」を作ろうとする時に持ち上がるテーマが「私は信頼に足る存在なのか?」ということや「その場所自体、信頼に足るものなのか?」という不安だとも思います。この満月あたりそんなテーマが浮上した方には「認めること」という言葉を思い出して頂けたら・・と思います。あなたが今想像し、さらに現実化してゆこうと邁進している道の先々で登場してくる人物や出来事全てに対して「認めること」。善い悪いという判断があり、葛藤しながら進んでゆく道としてそれを設定しているわけではありません。「ただ認める」ということ。これをした時に力が抜けます。認める、ということは別に「好きになれ」とか「赦せ」ということではなく「そうか、この人はそうなんだな。そして私はこういう反応をしたんだな。」というストーリーの連続です。何度も何度も絶え間なくストーリーが展開してゆく、という時間に突入し始めている方もいらっしゃると思います。しかし、確実に「手ごたえ」を感じながら。この「手ごたえ」こそが「ギフト」です。夢物語ではない証としての「手ごたえのある、あなたの資質」が手の中に齎されているのだと思います。

春分の頃にご依頼を頂きました方へ<春分のお手紙>をお届けさせて頂きました。今年のテーマは「あなたのギフト」「調和した状態を知ろう」というものでした。この満月後の6/22は夏至です。最高の愛を注げるメンバーと共に、場所と共に進まれてゆかれることを・・と思い返していました。私がそのまま在る状態・・というところから今では「私がそのまま在れる場所」というところまでテーマは進んできました。それぞれの光は、さらに細分化し、さらに意思や信念のもとに絆を強め、ずっと進んだ先の世界には「私たちにとって最も大事なもの」が自ずと残ってくるのだと思います。ひとつの小さな光が、より強く光り輝くと、そこにワッと他の光もまた集まってくるように。その集まる場所を今それぞれが具体的にしてゆこうとしている、そして、メンバーもまた鋭くそして明晰であろうとしている・・こんな壮大なスケールの満月という一面もあります。

                                                          ☆

この満月、夢の中でリアルな夢をみるということもありそうです。夢の中で夢をみてる・・と実感があるようなそんな夢。それが全て現実と繋がるわけではないかも知れませんが、「誰この人?何でこんなにリアルなの?そして面白いことを言うの?」みたいな経験もできるかも、です。

眠気に襲われたら十分に休みを入れて下さい。まだまだ先は長いです。何となくかなり壮大なイメージの満月ですので「完!」みたいな気分になり呆気に取られてしまうシーンもありそうです。でも、ここが現実です。これからなのです。「私」という存在の在り方について、満月は「この先」を照らし出します。

               ☆

この満月への言葉をルーンで見てみました。何かのお役に立てたら幸いです。

<過去に遡り、「壊された」と感じるものから解放されましょう。そこには過去にあなたが属していた集団があり、友人がおり、仲間だと信じてきた人物がおり、信じてきた光景が広がっているかもしれません。けれども、時間は過ぎました。今あなたにとってあなたを突き動かしてくれる者たちが傍にいます。そこからが始まりです。そこからまた動き始めます。>

翌18日(火)には月は山羊座へ。

満月の頃持ち上がったテーマが現実として動き始めたことを実感するような配置です。自ら動かしてゆく方もいらっしゃると思いますし、出来事があっちからやってきた!という方もいらっしゃると思います。

この時さらにもう一度「私は何を信じるか?」ということが心の中を過ぎることがありそうです。「未来のことはどうなるかなんて決定できない。だからこそ信じる。」という心意気を感じます。満月時に「嘘臭くないこと」を選ぼうとしてきたこともまた思い出すことの1つかも知れません。この見方を誰かや状況に対して行使するのではなく、是非ここではご自身に向けて問うてみて下さい。演じることをどこかで続けてきた、その理由が現実として目の前に立ちはだかる時でもあります。ですから「私を信じたい」という想いがここで湧き上がっています。強くなりたい、と願うこともあると思います。願い、から、あなたの信念へ・・そういう心の変遷をこの山羊座の月は促しているように思います。リアルに足を踏ん張って顔を上げて。そしてもし、そう頑張っている人を見かけたらあなたが出来る最善を尽くして「そのままを認める」とただ思うだけでも良い、ただ一言声をかけるだけでもいい、それがどれほどの力になるか、という場面に出会うこともあると思います。私は私だけれど、どこかで繋がっている・・ということを痛感するのであれば、あなたはどんなふうに「繋がり」を「選択」しますか?

満月の頃に一度立ち帰るような不思議な時間が週の中ごろまで続きます。

週の中ごろ。20日(木)には月は水瓶座へ。

いよいよ「ある呪縛」からの解放が鮮やかに浮き立つような印象を受けます。まだまだ序章ですが満月の頃に「このメンバー」という意識が持ち上がったことがこのあたりから成就し始めます。ただある意味「人選」のようなことを無意識で行ったということだってあると思います。無意識だったはずなのに目に見えて「違うものから遠ざかってゆく私」ということは驚きに値することだと思います。

例えば願ったことが即効で叶ったら「え~!本当に!何か騙されてるんじゃ?」と思うことがあるのと同じように。え~!そんなふうにそんなにすぐになってほしいと思ったわけじゃないのに!と流れの速さに驚くこともあるかも知れません。まだまだ地味に解放が始まっている、という雰囲気ですから行き成り根こそぎ変わりました!メンバーが入れ替わりました!何ていうことはないと思います。けれども確実に「あれ?風向き変わってきたよね」と思うことはあると思います。

それは周りが変わったわけではなく、あなたがあなたの選択について責任を持ち始めた、ということ。というふうな雰囲気があります。

ただ、それだけのこと。をこの週の中ごろには「そういうことか!」と痛感したり、「ええ!叶うってこういう感じか!」と体験できてみたり、と忙しいです。現実ってツマラナくないな・・と思えたら・・笑って笑って!生きてることを思う存分味わうためだけにここにいる、それは最高の気分だということです。活力・エネルギー、ということについても「愛」は教えてくれるんだ・・そういうような社会的な出来事がこのあたりでは起きるかも知れません。一人の力がどれほど大きなものか、ということについて目の当たりにするかも知れません。

翌21日(金)には海王星が逆行に転じます。(11/27まで)

また「新たなシーンを体験する」ということをこの逆行で感じる方もいらっしゃると思います。ここまでは「演じている私」として体験してきたことが、この逆行時には「そのままの私がどれくらい通用するか?」と変化してゆくと思います。

2019年の上半期よりも、下半期は「その場その場、現場でどれくらい私はできるのか?」ということをフォーカスされてくると思います。演じているんかも・・という想いを満月時に置いてきた心の在りようは、下半期に繋げてゆく為だったのかも知れません。率直であること、さらに生真面目に精進してゆくことが今後は必要となってくる、とも言えると思います。

週末。夏至。太陽は蟹座へ。

蟹座の皆様、お誕生日月間のはじまりです!おめでとうございます。素晴らしい一年となりますように!

ここからは、より「想いを大事にしよう」という動きが出てきます。現実として事が動くようになってくるこの夏至というタイミングにおいて「想い」というところにフォーカスが絞られるのは「皆がここまでコツコツやってきた想い」という過去にやはり遡り語られること、を指しています。今現在の想いの中に「今までの想い」も組み込まれます。ですから「昔は~だった」とか「未来では~です」とかいう話よりも「今も昔もないよ。いつだって当然であるべきこと。」というような論点に切り替わってくるというような雰囲気があります。

昔でも今でも皆が望んでいることの1つとしてあること、というようなテーマは今後この下半期大きく大きく変化してゆく部分でもありますし、盛んに話し合いがされるテーマだと思います。このテーマこそ、ここから先の時間の中では息が長いテーマです。ですから、この週末ゆっくりと頭も体も休めてながら「将来って、未来ってどうなってゆけば楽しいかな?」と考えてみる時間にあててみるのもお勧めです。時間軸が長すぎて分からない(笑)でも良いです。ただ、この先が楽しく感じられるかどうか?ということを体感で知ること、それはとっても大事なことだと思います。

ドキドキもワクワクも過ぎ去ったように思えた・・けれども、まだ何か何かあるのかも知れない・・という予感とともに季節は夏へと向かってゆきます。夏は自我を忘れるほど暑い太陽が降り注ぐ季節です。自我を忘れるほど遊びつくす中で、きっとどこかで陰影も深く濃く刻まれてゆくのだと思います。影の部分は私たちに精神の深みを与え続けます。「今在ること」そのものを見続ける季節が巡ってきました。私たちもまたその季節の巡りの一部分であることもまた思い出してゆきたいです。

親愛なる全ての友へ。

幸いあれ。

星言葉紡ぎ屋店主 白い魔法使い

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