見出し画像

リツイートという名の大大大誇大広告

「他人に期待しない!自分に期待しない!」というスローガンを、中型スーパーの屋上にあったプレイランドの端っこに括り付けたアドバルーンの様に掲げ始めて、そう日は経っていない。

アドバルーンの”広告掲載主”がちょっと疑問を投げかけてきた。

Twitter上で流れてきたツイートに賛同しつつも、その人の考えに対して自分の考えを上乗せしてリツイートしたのだ。

リツイートしてから我に返ってしばらく考えた。

これは他人の考え方を肯定しつつも自分の考え方を押し付けてる可能性があるんじゃないか。そのリツイートは他人に自分をわかって欲しい想いと、更にこんな考え方にしてみたら?って思わせたいんじゃないだろうか。
しつこいセールスマンが自分の商品を大げさにアピールする誇大広告なんじゃないか、と思ったのだ。

で、リツイートを削除しようと思った広告主。しかし時すでに遅し。Twitterのスピード感に指と頭が追いつかず、相手の「いいね」がつきましたとお知らせが来たのだ。


「いいね」のハートの裏側の色は赤じゃないかも

画像1

「いいね」のハートマークの可愛さのに、その人の本心は見えない。目で見れば世界中誰もが知っている愛の象徴なんだけど、実はそれが真ん中からギザギザに割かれた真っ黒なハートを送られている可能性もあるよなと思って、ブルブル震えた。

お会いしたくて震えてるわけじゃないよ、西野カナさん。
会わない距離にいる人に対してネット上では簡単に相手の気持ちを度返しして、自己主張と相手の考え方のアップデートを求めてしまうことに対してスマホを持つ手が震えたってこと。最近疲れのせいか老いなのかスマホが重く感じて、本当に震えることがあることは、ここだけのナイショだ。老い乙。

その後、ツイート元の方からリプが飛んできて、ぼくの考えに近いものを持っていらっしゃることがわからなければ、今も悶々としていたかもしれない。

広告主は一連の流れに疑問を抱いたわけだ。西野カナ現象ならぬ”リツイートしてスマホガクブル現象は一体なんだったんだろうと。

他人に期待しないは誇大広告だった

生きていく上で他人に全く期待しないことは難しいんじゃないだろうか。
ただ、大多数の他人に対して期待することは求めていないという事に気づいた。結婚相手だったり彼氏彼女だったり、近しい人には少なくとも期待を込めて自分の考えを伝えてコミュニケーションを取ることが必要だと思う。

これは近しい相手に期待しながらも相手に自分の価値観をうまく伝えられるんじゃないかという自分に対して期待している行為なんじゃないかな。
だからこれからは「大多数の他人に期待しない。自分に過剰に期待しない」というスローガンに差し替えたいと思う。JAROに誇大広告で怒られる前にね。

画像2

キッカケは道の途中にたくさん落ちている。それを拾うかスルーして通り過ぎるかは、自分の視野の広さが重要だと思う。
ルックアップしながらも足元を確認して踏ん張りを効かせることで、大切な何かからのパスを受け取る準備はしていたい。スラムダンクを読んでいた時の桜木と流川のハイタッチを思い出した。

ぼくは天才ですからとは豪語しない。できない。
桜木が地道な練習を積み重ねた結果のハイタッチだったと思う。
メガホンを持って叫ばずに地道にやってくことにするよ。

左手は添えるだけ。そっと寄り添えるような人でありたいと思いながら、左手で持っているスマホをそっと置いた。スマホの重さを感じた早朝。いろいろと老い乙。

温かいほうじ茶でも淹れよう。
きっとブルブルというオノマトペな感情も落ち着くJARO?
あぁ、書いちゃった。老害のはじまりはじまり。

お後がよろしいようで。

さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!