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ドール趣味から考えるオタクと宗教の類似性

今回のnoteはオタクグッズ大好き、その中でもフィギュアや人形ぬいぐるみが大好物の金津が投稿します。

幼少期からぬいぐるみが大好きで、よくペンギンやうさぎのぬいぐるみを集めてました。
次期に年を重ねるにつれ、オタクに成長し当然のようにフィギュアに手を出し始めました。
そしてついに、ついに手を出してしまいました。
そう、ドールです。

自分の人生と言っても過言ではない人形、その中でもディープと言われているいドールについて語りたいんです。
いや、僕が語らなければ誰が語るんだ。


というわけでついにお迎えしてしまったドールについてと何故オタクはドールやフィギュアを集めてしまうのかについて考察していきます!

皆さんは、ドールというと西洋人形や日本人形なんかを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
しかし、ドールは西洋人形にも近く、現代だとよりフィギュアに寄せた、オタク向けな物が多く出回っています。イメージで言うと、ローゼンメイデンのキャラクターのようなものです。
つまり、西洋人形のように着せ替えやポーズを取らせたりすることが出来るうえで、頭身や表情などはより現代のフィギュアに近いものとなっています。
フィギュアとの垣根が低くなった一方で、人形に対しての抵抗感とコンテンツにかかる高い初期費用も相まって、オタクコンテンツの中でもニッチな領域になっています。

この「抵抗感」と「高い初期費用」はそれぞれどこからきているのでしょうか。

「抵抗感」というと人形は古くから呪いの象徴とされていたり人形に関しての怖い話がいくつもありますよね。その結果、より人形に近しい造形の人形は今でも敬遠されることが多くなっています。自分はむしろ動いてくれたら最高だなって思いますし、人形が好きな人はあまり気にしないと思います。

費用に関しては、ドールを始めようとするとドール本体や専用の服、靴など万単位でお金がかかるので手を出しづらいコンテンツであると思います。
実際自分が始める時も10万円以上はかけました。。

そんな障壁を乗り越えてまでオタクがドールを始める切り口としては、人形が元から好きでドールに行く人と、キャラクタードールから入る人が多いのではないかと思います。
キャラクタードールとはフィギュアとドールの中間に位置するもので、イメージとしてはフィギュアにドールのような髪と服を着せた感じです。


どちらも楽しみ方としては写真を撮って楽しむ、毎日拝んでニヤニヤすると言ったところです。

さて、ドールについてなんとなく理解していただいた所で、ドールを持っておく理由について書こうと思います。

まず、ドールはカスタマイズ出来るところがポイントになります。


ドールは、人によりますが自分の恋人あるいは子供のような立ち位置に置く人が多いです。ちなみに自分は「理想を実現させたもう1人の自分」のような存在だと思っています。
自分だったらこういう服を着たい、こういう立ち振る舞いをしたいという欲求がドールに出ているのです。もしかしたら、ドールに「自分の子供」や「もうひとりの自分」を意識する人が多いことから、やがて魂が宿り、今の怪談のような話に繋がっているのかもしれませんね。

そうしてカスタマイズし、世界にたった一つだけのドールを作れるところがオタクにとって、彼ら/彼女らが特別な存在になっていくのだと思います。

余談ですが、オタクはフィギュアを持ちがちなので、それにも触れておくと、フィギュアはカスタマイズこそできないですが、近年ではゲームセンターなどのプライズ品でもクオリティの高いものが出てきていたり作りこみの細かいものが出てきています。
そのクオリティの高さに価値を感じる人もいますが、やはりオタクがフィギュアを所有するのはキャラクターが好きだという理由が大きいでしょう。

「推しのために頑張ろう」「推しに貢ごう」「家に帰れば○○が待ってる」


ドールに限った話ではないですが、人が何かを収集し所有するのは好きという感情やある種依存が理由だったりするのかもしれません。


ここでタイトル回収になりますがこれって宗教的な観念と似てると思いませんか?

この仮定に立った時フィギュアやドールへの信仰は偶像崇拝であり、仏教において仏像を拝むことと類似しているのではないかと思います。

※オタクを一括りには出来ないですが今回は狂信的なタイプのオタクについて書いていきます。


古来から人が観測できない事象を神として捉え、それを信仰することによって自分の周りに起きる不幸や幸福を説明してきました。これが宗教の始まりです。

これまでも宗教の役割として多くを担っているのは「幸せになるための道筋を示すところ」にあり、それぞれ宗教は人がどう生きていくかの教科書のような役割を果たしているではないでしょうか。

オタクというのも似たような側面があって、そのコンテンツが好きな人はその影響を強く受け、生きていきます。作品の登場人物を自分に投影し、自分の生き方さえもその作品に依存させます。
ドールやフィギュアを集めるのもその作品を自分に投影するだったり、よりどころにするためのものであるといえます。

こうして並べてみるとオタクと宗教の共通点が見えてくるのではないでしょうか。


日本人は宗教を信じていないと言われていますが仏教だったり神道だったりが生活の中で溶け込んでおり、正月もクリスマスもお盆もハロウィン行事にしてしまう日本は、実は様々な宗教/宗派のハイブリッドなのではないかと思います。それゆえ、「神」というものに対して親しいものを感じており、オタクコンテンツも根強く浸透しています。その中でもより宗教心の強い人が高額な金銭を投じ、ドールを手に入れるという仕組みになっているのでしょう。

これがフィギュアやドールを持っているのは宗教と考えている理由です。

とはいえ人の奥底にある信条は人それぞれあって調査しようがありませんし、あくまで自分はこうであるところからの考察なので数ある「”オタクとは”論争」の一つとして捉えていただけたら幸いです、、


敢えてもう一度言いますが、あくまで一つの仮定の話ですがコンテンツを考える上でオタク=宗教と考えると見えてくるものもあるのではないでしょうか。あるコンテンツに関して熱狂的なファンがいるというのも宗教と考えればファンの心理をより理解し、需要にあったコンテンツを生み出すことが出来るでしょう。
そういった意味で、オタク=宗教理論もコンテンツを考える上で、より作品理解を深めるものであれば幸いです。

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