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人生一度きりなのであれば、挑戦し続ける道を選ぶ。LinQのVPoGが語る熱きプロダクト作りへの思い

『世界中の人に使われるサービスをつくる』を掲げるLinQ。そんなLinQでVPoG(Vice President of Growth)をリードするのが今年11月に入社した金 大錫(キム・デソク)。
LINEでクリエイティブ及びコンテンツビジネスの責任者としてチームを率いた彼が次なるチャレンジの場として選んだのは、社員数一桁のスタートアップでのグロースの立ち上げ。LinQで働くいろんな方を紹介する「whoo’s story」の第4回目はVPoG(Vice President of Growth)の金 大錫を紹介します。

金 大錫(Kim Dae Seok)
元LINE株式会社執行役員。元LINE Conomi株式会社代表取締役社長。元LINE株式会社クリエイティブセンターセンター長。2007年LINE入社以降クリエイティブ及びコンテンツビジネスの責任者を歴任。直近はLINEのローカルビジネスの責任者としてLINE PLACEの運営を担当。

日本のカルチャーに惹かれて。初めての日本旅行から半年で留学を決意

– まずKimさんのご経歴を教えてください。

はい。私は1999年に韓国で除隊し1社目はハウスエージェンシー、そこから数社挟みマーケティング、企画、デザイン、PRなどの業務に携わらせて頂きました。
そこから2003年に日本に移り、日本の会社でプロモーション、制作など様々な仕事をさせて頂きました。
その後、韓国の知り合いからお声がけ頂きNAVER Japanで検索事業並びにNAVERまとめのリリースなどに携わり、直近はLINEのクリエイティブ及びコンテンツビジネスの責任者ならびにLINEのローカルビジネスの責任者としてLINE PLACEの運営を担当していました。

– 韓国から日本にきた経緯は?

きっかけは2002年の日韓ワールドカップです。元々日本のカルチャーに関しては村上春樹や北野武といったクリエイターを知っていたので興味はあったのですが、ワールドカップを見て更に日本に行きたいという思いが強くなったんです。そこから都内を2週間ほど観光しました。
観光中に池袋西口公園でストリートダンスをしている人と話していたら、韓国の若者と比べて日本の若い人たちはすごく自分を持っているなという感覚を覚えたんです。将来やりたいことや人生で得たいものを話す彼らの輝く目を見たら、更に日本のカルチャーに興味が湧き、翌年3月に日本に留学しました。
そこから日本語学校に通いながら生活していたのですが、貯金がすぐに底をついてアルバイト先を探し始めました。当時日本で発行されていたWebクリエイター向けの雑誌に掲載されていたウェブ制作会社リストに全て履歴書とポートフォリオを送ったんです。60、70社くらいですかね。ほとんどの会社で見送りの連絡が来たのですが、1社だけアルバイトとして採用してくれる会社が見つかり、その会社が日本で初めて働いた会社になります。
そこでの成果が認められ、正社員雇用して頂き本格的に日本で働く生活がスタートしました。

Yahoo!とGoogleに勝てるサービスを作りたい。サービスの立ち上げに尽くし続けた30代

– Kimさんの30代についても伺いたいです。

はい。日本で働き始めてしばらくして韓国のNHN Corporationから声がかかったんです。当時私はプライベートで日本のWeb2.0に関する情報を韓国語でブログ発信していたんです。そうすると日本と韓国のインターネットトレンドに詳しい方からたくさんコメントを頂き、その中でその後、NAVERのUIテクノロジー責任者の方と知り合ったのがきっかけです。

お声がけいただいた時は、結構迷ったんです。せっかく日本の会社に入ったのにまた韓国の会社に行く意味は何だろうと。ただ当時NAVERの検索事業は韓国ではシェアを持っていましたが、日本ではYahoo!が既に最大手としてマーケットを所有していて、Googleも攻めに来ているというレッドオーシャン状態。そんな大企業を倒して日本の検索市場をNAVERが取りに行くんだと、あまりにも野心的な目標を語るNAVERの方々を見たら、いつしか自分もこの壮大な夢を一緒に追いかけたいと思うようになったんです。そこから決意してNAVER Japanの立ち上げを行うことを決めました。

NAVER Japan時代のKim(右)

そこからYahoo!やGoogleに勝つためには何をしたら良いのかと、必死にプロジェクトチームのメンバーと考えるわけなのですが、相手は強敵なので。真っ向勝負したとしても勝ち目がないんですよ。そこで考えたコンセプトが「未来から来た検索エンジン」。当時私はUIテクノロジー部署で企画を任されていたので、そこで必死にコンセプトを叶えるインタラクティブな斬新なUIを考えていました。あの時はとにかく働きましたね。

– NAVER Japanのプロジェクトがその後どうなったのか気になります。

はい。結論から言うとご存知の通り、日本の検索市場を取ることはできませんでした。マーケットを取りに行くためにはコンテンツの絶対数が必要でしたがNAVER Japanにはコンテンツがなかったんです。その状況下の中で検索結果にヒットしやすいようなコンテンツの数を増やすための施策を必死にトライするのですが、コンテンツの絶対数がないので。ないものはないんですよ。

コンテンツがないのであれば作ればいいじゃないか、ということでQ&Aコンテンツを作ろうという話になりました。ただここでもYahoo!知恵袋が既に市場の大半を占領していました。Yahoo!以外にも様々なQ&Aサービスがあって、またここでも検索と同じような戦いをするわけにもいかないと考え尽くした先に生まれたサービスが「NAVERまとめ」です。

また、それと同時に皆さんご存知の「LINE」も誕生するわけです。同時期にNAVERまとめとLINEというサービスが生まれたので、社内は正直てんやわんやでしたね。

LINEの誕生に居合わせたことで得ることが出来た、唯一無二の経験

– NAVERまとめとLINEが同時に...。あんなに大きなサービスが同じ会社から同時に生まれたなんて信じられません。

はい。今も鮮明に覚えていますが、LINEは東日本大震災があった最中に作られたサービスでした。ちょうど発生から3か月後の2011年の6月にリリースしたので。

今思うとサービスのヒットというものは狙ってできるものではないとつくづく思います。あの時ほど家族や友人との連絡の必要性を感じた時はありませんでした。そのような背景も含めてLINEはすごい勢いで広まっていきました。それに加えてスマホシフトの波もあったわけです。あの時の風景というか、空気感はまさに毎日がお祭り騒ぎという感じでした。

2012年7月のApp Storeランキングにて

その後、私が担当したのがLINEのスタンプショップのグロースでした。
既にPCコミュニケーションの時代でもOK文字といった今のスタンプに近しいものであったり、モバイルでは絵文字という概念もあったので、どうやったらスマホライクかつLINEにしかない体験が創造できるのだろうと悩みました。日本は有名なキャラクターを持っているIPがたくさんあったので、どうにかコラボできないかと提案するのですが、まだまだ当時会社は日本では無名に近かったので話を聞いてもらえませんでした。
では、もうオリジナルで作るしかない!となり、その時に生まれたのがLINE FRIENDSです。ブラウンやコニーといったあのキャラクターたちのスタンプですね。

LINE FRIENDSのキャラクターは見ての通り、デザイン自体は一見シンプルなんです。ただし、このスタンプショップの立ち上げはLINEのグロースを大きく飛躍させるきっかけになると確信していたので、とにかくユーザーの間で爆発的に使われるものではなければならなかったのです。
そのため、とにかく喜怒哀楽がわかりやすい表情にしようと。使ってくださるユーザーの感情を代弁するような思いをLINE FRIENDSの表情に憑依させることに徹底的にこだわり抜き、皆さんから愛してもらえるキャラクターに出来るよう開発しました。

すると、想定していた以上の反響があり、その実績を持ってIPとの交渉に立ち向かえるようになったんです。LINE FRIENDSに加え、様々な日本のIPとのコラボスタンプによってスタンプショップ自体が大きく盛り上がったのを今でも覚えています。
そして、その次は一般人の方でもスタンプの制作・販売ができるクリエイターズマーケットというものを作り、そこで更に成長していきました。

LINE時代(2016年)

その後、日本だけではなく世界でもサービスが伸び始めていたので、グローバル拡大に向けたミッションに移りました。フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、インド、ロシア、スペイン、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどなど。本当に色んな国を掛け回りまして、一番長いところだと4ヶ月ほどドイツにいたんですかね。現地法人を作ったりもしましたね。

その後日本に戻り、名刺管理サービスのmyBridgeの立ち上げと地域のおすすめスポットを投稿するサービスであるLINE PLACEの立ち上げに従事しました。
LINE PLACEは主に飲食店を中心としたローカル情報を集めるサービスなんですが、丁度そのタイミングでコロナが国内でも流行し始め、サービスの性質上、直接的に打撃を受けてしまいました。

もう一度、ゼロイチをやってこそ自分は最高に輝ける

– コロナになってKimさんの仕事への心境に変化はありましたか?

丁度、LINEとYahoo!が経営統合することが決まったタイミングでもあったので、非常に良い意味で日本のインターネット企業の中でも存在感の強い会社へと成長していく過程を目の当たりにしました。

もちろんLINEヤフーで挑戦できる新しい仕事にもワクワクはしていたのですが、私としては10年前にLINEを立ち上げた、あのエキサイトな体験を再度感じてみたいと思う気持ちが大きくなったのです。

サービスをゼロから作るというのは本当に根気がいることですし、奇跡や運も必要なので簡単に成功するわけではないことは自分が一番わかっていました。ただ、それでも挑戦したい。そう考えてから、間もなくしてLINEを辞めました。

– 次の就職先を決める前に、LINEをやめることを先に決めたんですね。

はい。退職を決めた後に、4ヶ月ほど海外一人旅もしました。趣味がバイクなので、大阪からフェリーで釜山に移動して、そこからロシア、モンゴル、フランスなどを巡る旅をしたんです。
大好きなバイクで異国の地を走って、風景や食事を撮影して、色んな人や文化と出逢って、フランスから帰る飛行機では、「あぁ自分は本当に命が燃やせる仕事がしたいんだな」と改めて思ったんです。

「最高にイケてる」と胸を張って言える、そんなサービスを作りたい

– そこから原田と出会ったんですね。当時のLinQの第一印象を教えてください。

当時は会社に原田さんと武田さんしかいなかったんです。まだ2名の会社だったので流石にこの規模は小さすぎるかもしれないと思ったのですが、VCの方ともお話させて頂き、投資家目線もインプット出来たことで、興味がどんどん湧いてきました。

代表の原田(左)とKim(右)

事業を立ち上げるというのは、ロジカルに考えることも大事ですが、頭ひとつ抜けているクリエイティブな発想が取り入れられたものになっていなければいけない。その感覚が原田さんと僕は非常に似ていたんです。
初めてお会いして以降、毎週事業の話をしました。話せば話すほど、この会社は伸びしろしかないと思ったんです。最後の方はワクワクしはじめていました。

– 最終的な決め手はどういったものだったのでしょう?

他社様からもお声がけ自体はいくつか頂戴していました。当たり前ですが会社のビジョンや、条件面でアトラクトしていただくことが非常に多くて。でもLinQの場合は「とにかく使っていて楽しいサービスを作りたい。そのために自分たちも最高に楽しく仕事したいんです」と言われたんです。

それを聞いて、自分も同じだなと、自分も純粋に、楽しくて新しいことをやりたいんだと気づかせてくれたんです。働くメンバーと一緒に「このサービス最高にイケてるよね」と言える、そんなサービスを、そんなチームを作りたいと思いました。

– LinQにジョインしてからの様子も教えてください。

2023年の忘年会の様子
CTO武田(左上)とコミュマネ巖(右上)とインターンのKen(左下)との1枚

現状はほぼ毎日出社しています。サービスの立ち上げなので、とにかくメンバーが仕事に向かう温度を肌で感じようと思って、コミュニケーションの頻度を高めています。オフィス以外の場所でもランチに行ったり、飲みに行くことも凄く多いですね。

LinQは本当に明るくて楽しい人たちが多くて、良いメンバーが揃っていると思います。若い人も多いので、ある意味固定概念に縛られていないということも強みの1つです。
いわゆる、このスタートアップの空気感はずっと崩したくない。LinQの大切なカルチャーとして大事に育てていきたいと思っています。

– 今後、LinQはどんなチームになると思いますか?

明るいメンバーしかいないので、既に楽しいですが、より楽しく、エキサイティングなチームになると思います。この熱量を保ったまま会社として成長していきたいですよね。

LinQのメンバーはインターン生含めて非常にポジティブな人が多いんです。これは成果を出す上でも非常に重要な要素の1つだと思っています。
利他的であり、自分自身でモチベーションの源泉を放出できる人はどんな環境であっても活躍できると思っています。今後のLinQもそんな人を多く集めて、最高のチームを作っていきたいです。

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