生きたまま四回死んだら猫になれる
死んだまま生きると決めた夜がある人はつよくなれる。そうやってつよくてニューゲームを繰り返していまもいきをしている。
14で死んでいた未来も17で死んでいた未来も18で死んでいた未来も20で死んでいた未来も23で死んでいた未来もあった。23さいを生きている。
どれほど傷つけば人は優しくなれるのだろうか、否、どれほど傷つかなければ人は優しくなれるのだろうか。
「人生何周目だろうかと思う人に出会うことがある。それは死んだつもりで生きることを決めた過去がある人なのかもしれない」というツイートをわすれられない みつけられなかった。
賢い子だね、と大人に評価される度に突き放されている気持ちになった。自分もいい歳をした大人、のくせに。
賢さを操れない限りその賢さは愚かさだ。感情の奥底に気づいてそれでも感情をせいぎょできないのならばこどもだ。
感情的で素直な先天的性格と、論理的で慎重な後天的性格の2つが相反する存在すぎて自分がふたりいるような感覚があるしどちらかにもうすこし振り切れてくれたら私はもっと他の人からして扱いやすい人間であったのに。
何か一つでも、縋るものがあれば、
祝前日だから人の気配が消えない深夜。
椎名もた
馬鹿なフリが抜けない。
煙草を吸って空を見上げる。スマホを放ってみる。くぐもった音楽。目を瞑る。肺喫煙。こんなんじゃなかった。
すきなひととベランダで並んで吸う煙草が好きだ。ひとりでもそのときを思い出せるから何十回と繰り返したこのベランダを捨てたくはない。
君には安心感が足りないんだよ、と言った彼の言葉はきっと間違っていない。でも彼自身は私の安心感にはなり得ない。私が縋ることは自分を律せず相手を巻き添えに壊れる要因になり得る。
安心感にはなにならなり得るのだろう。
君の救いになりたい。
救われたい私ではない。私は、君の膵臓をたべたい。予測変換が照らし合わせた過去に好いた小説のタイトルを回想する。君の膵臓をたべたい、それは愛だろうか。
空を見上げる時間が大事だ。
ぼやけた視界に光る4時32分。
身を慎み、
無理をしない。
最近ひきあてるおみくじには大抵、身を慎み、との言葉を受ける。
身を慎み、誠実に。そうすれば時が経てば全て上手くいく。
身を慎むってなんだろうとずっと考えていたけれど無理をしないことなのかもしれない。無理をしないでストレスを溜め込まないで生きることなのかもしれない。健康に。
身を滅ぼさないように。
自己解決が上手くなった。自己解決するまでが早くなった。この調子で感情を制御出来たら。私はもっと。
もっと幸せになれたかもしれないね。
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