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人の成功を純粋に喜べない自己嫌悪

人の成功や進捗を純粋に喜び応援したいのに、自分と比べて自己否定してしまったり、「凄い人になった君にはもう私なんて必要ないんじゃないか」と思ってしまったりするのを辞めたい。

好きな人の夢が叶う。数ヶ月前、まだまだわからないけれどいつか叶えたいんだと語っていた夢が、少し会わなかった2ヶ月間の間に企業から依頼が来て叶うのだと。
好きな人の最近を聞いて、たくさんの話を聞いて、きらきら輝いて見えて、うれしいよりも苦しかった。
この1年で生活を安定させて夢を叶えていく姿を近くで見ていて、聞く度にうれしいよりもくるしさが勝つようになっていった。そんな自分が大嫌いだ。
純粋によかったねとだけいいたいのに、一緒に喜びたいのに、なんだか勝手に自分が小さな存在のように思えてしまってずっと笑顔で聞けなかった。
好きな人のサインが特典になるんだって、「これ数十年後にはすごい価値になるよ」なんてふざけて言っていた落書きが、本当にそうなるかもしれないなと思えてきた。
そんなに大きくなった君に私がいる必要なんてわからなくて、惨めになる。

私が手に入れたくても手に入れられないもの全部もってて話す度心がきゅっとなる。
穏やかな家庭、好きなことで生きること、生活の安定、自分の夢が叶うこと。
全部私にはないもの。

私が好きな人に求めているのはきっと安心感で、それが欲しくて依存している。だから私ははやく好きな人がいなくても生きていけるようにならなきゃだめなんだ。

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