意味分からんハンドルネーム(古)の意味

ハンドルネームってもう言いませんよね。
もう、古(いにしえ)の響きがあります。
アカウント名ですね。
フォロワーさんがアカウント名の由来を書いてたので、誰も興味ないと思いますけど自分のも書いてみます。

noteで何かしら考えてから書くんやったら当たり障りのないことじゃなくて自分なりに思ってること書きたいなって思ってました、というか上手に当たり障りないこと書き続けることが出来ませんので消去法的にそうなってしまいます。
フランス語のことざわとアリストテレスの言葉にはこんなんがあるみたいなんですけど。どっちも同じ意味で。

Ami de tous, ami de personne.(フランスのことわざ)
A friend to all is a friend to none. (アリストテレス)

みんなの友達は誰の友達でもない

書いてみたもののこれが正しいとは別に思ってなかったりする。
誰ともコミュニケーションとらなかったら何も始まりませんし、とりあえず作ってみた縁が太くなったりしますから、ええ感じに繋がりを作っていくのって大事だと思います。
でも、全てに良い顔してるとあんまり自分らしさが出せないのかなっていう気がしますし、それは文章にしても同じ気がします。

でもここでやっかいなのが、自分の考えがあるからといってそれを絶対視しだすとしんどいところです。
高い立場とかなんとかで周りに立てて貰っているおっさんとかが「われの意見こそ真理ぞ~!」みたいな感じで(いうて一庶民のクセに)偉そうなこと言ってるのとかがずっと苦手なので、それはやりたくなくて。そのコミュニティでしか通用しない権威って偽りっぽくて嫌い。
ただのおっさんが偉そうなこと言ってるのに周りが感心したふりして頷くっていう、その空間?
それを離れた視点からパッと見たときの、アホの喜劇、みたいな感じがもう堪らん。
おっさんに限らず、老若男女含めてネットにも現実にもそういう「わしは凄いんやで~!こんなこともやってきたしな!」みたいなのいますけど、ホンマに凄かったらそんなところでイキらんもんな。盛ってる感あるし。
なんかもう、漂流物みたいなもんですね。イキリ散らかしてきて、流れ流されたどり着いたのがここです~、みたいな。

なので、考えを書きつつも『どこの誰が言ってるかも分からん、個人の勝手な意見でしかないですよ』的なことは分かってないと気持ち悪いなあということで、who(誰かが)say(喋ってる)ってことにしました。
喋るだとsayじゃなくてtalkですけど、whotalkだとなんか微妙に長いし、talkだと相互コミュニケーションですけど一人で勝手に言ってるだけですし、英会話系アプリっぽい名前になるから適当にsayにしときました。

あと、自分の意見に責任取りたくないのもありますし、それが一番かもしれません。結局、知らんがな精神。

おわり。

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